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馬上の二人

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 帝都とエルラント王都の間には緩やかな街道が通っており、馬で行けば二日とかからなかった。
 商人風のマントのフードを目深に被ったかぶったマリウスは、息せき切って城下の花屋まで来たが、玄関口に顔を出したエミーユは困惑している。
 その顔つきでは、中にはどうしても入らせてもらえそうにはなかった。
 玄関先でマリウスはエミーユに向かって言った。

「エミーユ、俺は譲位する。皇帝から、ただのお兄さ……、ただのおじさんになる。そしたら、番になってくれる?」

 マリウスがそう言えば、エミーユは返答をはぐらかす。

「あなたは偉業を成し遂げたのですからいつまでも特別です」
「たとえ特別なままだとしても、エミーユ、俺はあなたが好きだ。俺と結婚してほしい」

 そう言えばエミーユは息を飲んで見つめた。

「俺と結婚を……」
「そんな。そんなの……っ」
「まさか、番だけで、結婚は考えてないとでも思ってた?」

 そう言えばエミーユは黙り込んで、首を横に振った。
 とりあえず、そんな不誠実な人だと思われていないことには安堵するも、エミーユはまたもや返答をはぐらかした。
 馬留につないだ馬を眺めやる。

「もしかして、ブラックベリー?」
「お、覚えてたの?」
「いつもあなたを助けていた。賢い馬だ」
 
 エミーユは馬留まで行くと馬の首を撫でた。
 ブラックベリーもエミーユを覚えていたのか、優しい目でエミーユを見つめた。

「乗せてもらえる?」

 エミーユがブラックベリー号に訊くと、ヒヒンと鼻を鳴らした。
 意外にもエミーユは馬に乗りたいようだ。
 あぶみを調整し、エミーユを鞍に乗せて、マリウスはその後ろの裸の背中に乗る。
 石畳の町を抜けて、葡萄畑の斜面を超えると、草原が広がっていた。ノルラントの草原よりも標高は低く草の色も違うが、それでも、草原でのことを思い出した。
 腕の中に感じるエミーユの体温がマリウスに喜びを与える。
 リズミカルな蹄に風が心地良かった。

「マリウス、手綱を引いてみても?」
「もちろん」

 操作を教える。
 まだ、エミーユには駆け足ギャロップは怖いようで並足でゆっくりと進む。マリウスは手持ち無沙汰になった腕をエミーユの腹に回してみた。
 エミーユの肩に顎を乗せて後ろから頬と頬とをこすり合わせる。
 エミーユはくすぐったいのか、笑い声をあげた。

「くふふっ」

 マリウスの胸に喜びが弾けた。

(エミーユ、笑ってる………。可愛い、可愛いなあ……)

 笑い声を聞いたのは初めてのことではなかった。小屋にいたとき、マリウスのことが可笑しいのか、エミーユはよく笑っていた。マリウスは耳を済ませてエミーユの笑い声を聞いていた。でも、再会してからは困惑したり苦しそうな顔をしてばかりだった。

(ずっと笑っていて欲しい)

 おそらく、草原の風と馬上の高さと蹄のリズムがエミーユを解放的にしているのだろう。
 エミーユの楽しげな笑い声に浮かれてマリウスも笑えば、ブラックベリー号も嬉しそうにいなないた。

(幸せだ……。こうやってエミーユと一緒にいることができるなんて)

 マリウスの胸がいっぱいになってくる。
 馬上の高い位置からの景色は、一人乗っているときと、愛おしい人との散策では感じ方がまるで違う。
 戦場では前かがみに前ばかり見ていた。けれども、今は空を眺めあげたい気分だ。
 やっと戦争が終わって、平和が来たのだ、マリウスはそれを実感し、幸せをかみしめる。

(獣人と妖人は愛し合うものなのに。妖人に傷を移すだなんて。戦争はひどいものだ)

 そのときになって唐突に、古なじみの罪悪感が湧いてきた。

(ああ、俺もエミーユにひどいことをしたのに)

 エミーユを抱きしめる手が震え始めた。
 エミーユもそれに気づいて、振り返った。

「お、れ、俺、あなたに傷を移したんでしょう? 草原にいたとき、あなたに怪我を」

 エミーユは片手でマリウスの手を撫でるだけだった。

(俺はあなたを傷のゴミ入れにした……)

 マリウスはそのことにずっと引け目を感じていた。

「だめだ、これからは何があってもそんなことをしちゃだめだ」

 マリウスが言うも、エミーユは何も答えなかった。どこからともなく不安がマリウスに押し寄せた。

「エミーユ、お願いだ、約束して! もう二度とゴミ入れにはならないと」
「わかりました。私はゴミ入れにはなりません」

 エミーユの断言にマリウスはほっとする。エミーユは穏やかな横顔を見せて、黄色い花を咲かせている群生を指した。

「あそこに、フェンネルが」
「フェンネル?」

 マリウスが訊くと、エミーユはマリウスを振り返った。
 その顔つきはくつろいでいるのか柔らかかった。

「お腹の調子を良くする薬草です。病人や怪我人の消化も助けます。根っこも食べられます」
「もしかして、俺も食べたの?」
「はい」
「また食べさせてくれる?」

 エミーユは笑うだけで答えなかった。約束してくれないことがマリウスには少々不満だったが、それ以上は何も言えなかった。
 前を向くエミーユに首を伸ばして、その頬にキスをする。
 エミーユはまた笑うだけで拒絶しなかった。
 
 それから暇さえあれば、マリウスはエルラントに馬を走らせた。
 商人姿で王宮に入り、楽長室でエミーユとの逢瀬に耽る。
 楽長室に入るなりエミーユを抱きしめれば、抱きしめ返してくれる。
 エミーユとの愛を人知れずはぐくんでいた。そのつもりだった。
 女兵士の影はなかった。最初からいないかのようにエミーユからはその存在を感じなかった。
 実際そんな女兵士などいないのだが、マリウスにとっては仮想敵だったその存在をマリウスは忘れ去った。
 エミーユは拒絶を見せなかった。皇帝へ恭順している態度でもなく、マリウスをマリウスのままに受け入れているように見えた。
 楽長室から追い出しはしないし、体だって開いてくれるし、「風が怖い」と言えばそばに来てくれるし、頭を撫でてとせがむと撫でてくれる。
 要するにエミーユはマリウスを存分に甘やかしてくれている。
 マリウスにはエミーユとの恋人関係を順調に築いている自信があった。
 しかし、楽長室での情交を結ぶようになって三か月、いまだ、情交どまりだった。
 番にもなっていなければ、何の約束も交わしていない。それに。

(誰にも紹介させてくれないし、してももらえない)

 マリウスの側近も、エレナ女王も、二人の関係には気づいている。しかし、この関係は、忍んだままだ。そこに、危うさを感じていた。

(もしかしたら、また俺をおいてまた逃げ出すんじゃないだろうな。俺からきれいさっぱりと姿を消すための準備をしているんじゃないだろうな)

 その腕にエミーユを抱きしめながらも、マリウスは気が気でならなかった。

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