58 / 76
懊悩4
しおりを挟む
分厚いカーテンの隙間から差し込む朝陽が、室内に光の筋を投げかけていた。
エミーユは胸に抱いた温もりに頬を摺り寄せた。柔らかな毛髪が頬をくすぐる。
エミーユにこの上ない満足感があった。
(愛おしい人……。このうえなく可愛くて愛おしい……)
その髪に手を差し入れて、柔らかな感触を味わう。
目を開けて、銀髪にビクッと手を止めた。
(風になびく銀髪、アウグスト帝……)
目の前にいるのはマリウスだが、皇帝その人でもあった。
エミーユは恐れおののいた。
うなじに触れる。
(つがい……、と言った。でも、マリウスは嫌がる私を無理につがいにしたりはしない。単なるヒート事故で終わるはずだ。たのむ、そうであってくれ……)
エミーユはベッドを降りて、ふらふらと洗面室に向かった。
首裏を確認する。そして、安堵した。
そこに歯形はなかった。
***
静かな室内、ベッドの上で、頑丈そうな武人の腕がシーツの上を往復する。往復する場所が広がり、広いベッドの隅に届いたとき、ベッドの上でガバッと起き上がる姿があった。
「エ、エミ………。エミーユ、どこ?」
マリウスは情けない声を出していた。
「エミーユ? エミーユ?」
(せっかくこの手に掴んだのに)
重厚なしつらえの調度品の置かれた室内は誰もいなかった。
エミーユの存在が感じられないことが、マリウスには不安でたまらなかった。
(また、逃げたの………?)
マリウスは扉を開けて居間に出た。そして、ほっと胸を撫で下ろす。
エミーユはソファに座って縫い物をしていた。
エミーユにもマリウスを置いて退出することの非礼さをわからないはずがない。皇帝がエミーユをそこに望むのだ、やすやすと逃げられるはずもない。
それに護衛兵士にエミーユを出すなと伝えてもいる。
エミーユはマリウスを見ると、一瞬、その目に情愛が浮かんだ気がしたが、それは急によそよそしいものに色を変え、手にしたものをテーブルに置いて立ち上がった。
「陛下」
畏まってこうべをさげる。
マリウスは唇を噛んでエミーユを見た。
(どうして、そんな他人行儀なの……?)
マリウスはエミーユに近寄り、引き寄せようとした。
しかし、するりと交わされて、エミーユは廊下に通じるドアに向かう。
「エミーユ……!」
エミーユはマリウスが呼んでも振り向かずに、ドアを開いた。
(逃げないで)
マリウスは慌ててその背中にすがりついた。両膝を床についてエミーユの腰にしがみつく。
「待って、逃げないで。俺を捨てないで、エミーユッ……!」
「逃げるわけでは。ただ、陛下が目覚めたら教えて欲しいと兵士の方が言っておりましたので」
廊下から顔をのぞかせた護衛隊長が、ギクリとした顔でマリウスとエミーユとを交互に見た。
「陛下、あんた………」
エミーユは服をきちんと着込んでいるが、マリウスは全裸だ。全裸の皇帝が情けない顔で一使用人にすがりついている。
護衛隊長は申し訳なさそうな顔をエミーユに向けた。
「楽長さん、俺たちの皇帝がなんかすまねえな。いろいろとこじらせちまったみてえでよ。面倒かけてるけど、許してやってくれよ、悪いやつじゃねえからよ」
マリウスはスンッと、立ち上がった。皇帝然とした顔つきになる。
「護衛隊長、兵団は今どこだ?」
マリウスは長身に筋肉を蓄えており、傷痕も相まって威風堂々たる体躯だが、全裸で、しかも、逆立った銀髪はふぁさっと揺れており、澄ました顔をしたところで格好はつかない。
護衛隊長は笑いをこらえた顔を皇帝に向けた。
「兵団は国境沿いの平原で野営している。リージュ公がいるから安心だが、訪問先はあんたがいなきゃ収まらんだろうな。相手国には皇帝が行くって言ってんだからよ」
「今日の日暮れまでには追い付くと伝えてくれ」
「了解」
扉が閉まるとマリウスは、エミーユに告げた。
「そのときにはあなたも一緒だ。あなたも俺とともに行くんだ」
エミーユは目を見開いた。何を言っているのかわからないといった顔つきだった。
「エミーユ、あなたを俺のつがいにする」
エミーユを手に入れると決めた以上は、何があっても手に入れる。エミーユを番にする。
しかし、一方的に番にすることは、マリウスにはどうしてもできなかった。昨夜、うなじを噛みたくてたまらなかったが、かろうじてこらえた。
一緒に過ごすうちにエミーユもいつか許してくれるのではないか。許してくれないのならばそれはそれで構わない。だが逃さない。自分以外の場所のどこにも行かせない。
エミーユに怯えが浮かんだ。マリウスから後ずさる。
「わ、私の発情に巻き込んだことなら謝ります。でも、私はあなたとは一緒にはいけません」
エミーユはエミーユで、皇帝を発情に巻き込んだと思い込んでいた。
「あなたの事情など関係ない」
マリウスは傲然と言い放つ。エミーユに一歩進んだ。
エミーユは後ずさる。マリウスは前に迫り、エミーユを壁際に追い詰めた。両手を壁についてエミーユを囲う。
もうエミーユはかごの中の鳥も同然だった。
「あなたがこの部屋から出るのは、俺の番になってからだ」
エミーユをひっくり返して背中から抱きしめると、マリウスはうなじに唇を当てた。そこに口づけをしながら囁く。
「陛下、お願いです……。私はあなたと釣り合いません……」
「そんなのどうでもいい」
マリウスはうなじに歯を当てた。
「あなたが同意してくれなくても、無理矢理、番にする」
「い、いやっ、マリウス……!」
自分の名で呼ばれて、マリウスはビクッとする。マリウスは途端に皇帝ではなく、ただのマリウスになる。
甘えん坊の泣き虫マリウスになった。
エミーユは胸に抱いた温もりに頬を摺り寄せた。柔らかな毛髪が頬をくすぐる。
エミーユにこの上ない満足感があった。
(愛おしい人……。このうえなく可愛くて愛おしい……)
その髪に手を差し入れて、柔らかな感触を味わう。
目を開けて、銀髪にビクッと手を止めた。
(風になびく銀髪、アウグスト帝……)
目の前にいるのはマリウスだが、皇帝その人でもあった。
エミーユは恐れおののいた。
うなじに触れる。
(つがい……、と言った。でも、マリウスは嫌がる私を無理につがいにしたりはしない。単なるヒート事故で終わるはずだ。たのむ、そうであってくれ……)
エミーユはベッドを降りて、ふらふらと洗面室に向かった。
首裏を確認する。そして、安堵した。
そこに歯形はなかった。
***
静かな室内、ベッドの上で、頑丈そうな武人の腕がシーツの上を往復する。往復する場所が広がり、広いベッドの隅に届いたとき、ベッドの上でガバッと起き上がる姿があった。
「エ、エミ………。エミーユ、どこ?」
マリウスは情けない声を出していた。
「エミーユ? エミーユ?」
(せっかくこの手に掴んだのに)
重厚なしつらえの調度品の置かれた室内は誰もいなかった。
エミーユの存在が感じられないことが、マリウスには不安でたまらなかった。
(また、逃げたの………?)
マリウスは扉を開けて居間に出た。そして、ほっと胸を撫で下ろす。
エミーユはソファに座って縫い物をしていた。
エミーユにもマリウスを置いて退出することの非礼さをわからないはずがない。皇帝がエミーユをそこに望むのだ、やすやすと逃げられるはずもない。
それに護衛兵士にエミーユを出すなと伝えてもいる。
エミーユはマリウスを見ると、一瞬、その目に情愛が浮かんだ気がしたが、それは急によそよそしいものに色を変え、手にしたものをテーブルに置いて立ち上がった。
「陛下」
畏まってこうべをさげる。
マリウスは唇を噛んでエミーユを見た。
(どうして、そんな他人行儀なの……?)
マリウスはエミーユに近寄り、引き寄せようとした。
しかし、するりと交わされて、エミーユは廊下に通じるドアに向かう。
「エミーユ……!」
エミーユはマリウスが呼んでも振り向かずに、ドアを開いた。
(逃げないで)
マリウスは慌ててその背中にすがりついた。両膝を床についてエミーユの腰にしがみつく。
「待って、逃げないで。俺を捨てないで、エミーユッ……!」
「逃げるわけでは。ただ、陛下が目覚めたら教えて欲しいと兵士の方が言っておりましたので」
廊下から顔をのぞかせた護衛隊長が、ギクリとした顔でマリウスとエミーユとを交互に見た。
「陛下、あんた………」
エミーユは服をきちんと着込んでいるが、マリウスは全裸だ。全裸の皇帝が情けない顔で一使用人にすがりついている。
護衛隊長は申し訳なさそうな顔をエミーユに向けた。
「楽長さん、俺たちの皇帝がなんかすまねえな。いろいろとこじらせちまったみてえでよ。面倒かけてるけど、許してやってくれよ、悪いやつじゃねえからよ」
マリウスはスンッと、立ち上がった。皇帝然とした顔つきになる。
「護衛隊長、兵団は今どこだ?」
マリウスは長身に筋肉を蓄えており、傷痕も相まって威風堂々たる体躯だが、全裸で、しかも、逆立った銀髪はふぁさっと揺れており、澄ました顔をしたところで格好はつかない。
護衛隊長は笑いをこらえた顔を皇帝に向けた。
「兵団は国境沿いの平原で野営している。リージュ公がいるから安心だが、訪問先はあんたがいなきゃ収まらんだろうな。相手国には皇帝が行くって言ってんだからよ」
「今日の日暮れまでには追い付くと伝えてくれ」
「了解」
扉が閉まるとマリウスは、エミーユに告げた。
「そのときにはあなたも一緒だ。あなたも俺とともに行くんだ」
エミーユは目を見開いた。何を言っているのかわからないといった顔つきだった。
「エミーユ、あなたを俺のつがいにする」
エミーユを手に入れると決めた以上は、何があっても手に入れる。エミーユを番にする。
しかし、一方的に番にすることは、マリウスにはどうしてもできなかった。昨夜、うなじを噛みたくてたまらなかったが、かろうじてこらえた。
一緒に過ごすうちにエミーユもいつか許してくれるのではないか。許してくれないのならばそれはそれで構わない。だが逃さない。自分以外の場所のどこにも行かせない。
エミーユに怯えが浮かんだ。マリウスから後ずさる。
「わ、私の発情に巻き込んだことなら謝ります。でも、私はあなたとは一緒にはいけません」
エミーユはエミーユで、皇帝を発情に巻き込んだと思い込んでいた。
「あなたの事情など関係ない」
マリウスは傲然と言い放つ。エミーユに一歩進んだ。
エミーユは後ずさる。マリウスは前に迫り、エミーユを壁際に追い詰めた。両手を壁についてエミーユを囲う。
もうエミーユはかごの中の鳥も同然だった。
「あなたがこの部屋から出るのは、俺の番になってからだ」
エミーユをひっくり返して背中から抱きしめると、マリウスはうなじに唇を当てた。そこに口づけをしながら囁く。
「陛下、お願いです……。私はあなたと釣り合いません……」
「そんなのどうでもいい」
マリウスはうなじに歯を当てた。
「あなたが同意してくれなくても、無理矢理、番にする」
「い、いやっ、マリウス……!」
自分の名で呼ばれて、マリウスはビクッとする。マリウスは途端に皇帝ではなく、ただのマリウスになる。
甘えん坊の泣き虫マリウスになった。
63
あなたにおすすめの小説
【完結】愛されたかった僕の人生
Kanade
BL
✯オメガバース
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
お見合いから一年半の交際を経て、結婚(番婚)をして3年。
今日も《夫》は帰らない。
《夫》には僕以外の『番』がいる。
ねぇ、どうしてなの?
一目惚れだって言ったじゃない。
愛してるって言ってくれたじゃないか。
ねぇ、僕はもう要らないの…?
独りで過ごす『発情期』は辛いよ…。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
✻本作品(オリジナル)の結末をif(運命の番)ルートに入れ替えて、他サイトでの投稿を始めました。タイトルは「一度目の結婚で愛も希望も失くした僕が、移住先で運命と出逢い、二度目の結婚で愛されるまで」に変えてます。
オリジナルの本編結末は完全なハッピーエンドとはいえないかもしれませんが、「一度目の〜…」は琳が幸せな結婚をするハッピーエンド一択です。
昔「結婚しよう」と言ってくれた幼馴染は今日、僕以外の人と結婚する
子犬一 はぁて
BL
幼馴染の君は、7歳のとき
「大人になったら結婚してね」と僕に言って笑った。
そして──今日、君は僕じゃない別の人と結婚する。
背の低い、寝る時は親指しゃぶりが癖だった君は、いつの間にか皆に好かれて、彼女もできた。
結婚式で花束を渡す時に胸が痛いんだ。
「こいつ、幼馴染なんだ。センスいいだろ?」
誇らしげに笑う君と、その隣で微笑む綺麗な奥さん。
叶わない恋だってわかってる。
それでも、氷砂糖みたいに君との甘い思い出を、僕だけの宝箱にしまって生きていく。
君の幸せを願うことだけが、僕にできる最後の恋だから。
売れ残りオメガの従僕なる日々
灰鷹
BL
王弟騎士α(23才)× 地方貴族庶子Ω(18才)
※ 第12回BL大賞では、たくさんの応援をありがとうございました!
ユリウスが暮らすシャマラーン帝国では、平民のオメガは18才になると、宮廷で開かれる選定の儀に参加することが義務付けられている。王族の妾となるオメガを選ぶためのその儀式に参加し、誰にも選ばれずに売れ残ったユリウスは、国王陛下から「第3王弟に謀反の疑いがあるため、身辺を探るように」という密命を受け、オメガ嫌いと噂される第3王弟ラインハルトの従僕になった。
無口で無愛想な彼の優しい一面を知り、任務とは裏腹にラインハルトに惹かれていくユリウスであったが、働き始めて3カ月が過ぎたところで第3王弟殿下が辺境伯令嬢の婿養子になるという噂を聞き、従僕も解雇される。
うそつきΩのとりかえ話譚
沖弉 えぬ
BL
療養を終えた王子が都に帰還するのに合わせて開催される「番候補戦」。王子は国の将来を担うのに相応しいアルファであり番といえば当然オメガであるが、貧乏一家の財政難を救うべく、18歳のトキはアルファでありながらオメガのフリをして王子の「番候補戦」に参加する事を決める。一方王子にはとある秘密があって……。雪の積もった日に出会った紅梅色の髪の青年と都で再会を果たしたトキは、彼の助けもあってオメガたちによる候補戦に身を投じる。
舞台は和風×中華風の国セイシンで織りなす、同い年の青年たちによる旅と恋の話です。
愛された側妃と、愛されなかった正妃
編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。
夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。
連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。
正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。
※カクヨムさんにも掲載中
※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります
※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。
αが離してくれない
雪兎
BL
運命の番じゃないのに、αの彼は僕を離さない――。
Ωとして生まれた僕は、発情期を抑える薬を使いながら、普通の生活を目指していた。
でもある日、隣の席の無口なαが、僕の香りに気づいてしまって……。
これは、番じゃないふたりの、近すぎる距離で始まる、運命から少しはずれた恋の話。
「出来損ない」オメガと幼馴染の王弟アルファの、発情初夜
鳥羽ミワ
BL
ウィリアムは王族の傍系に当たる貴族の長男で、オメガ。発情期が二十歳を過ぎても来ないことから、家族からは「欠陥品」の烙印を押されている。
そんなウィリアムは、政略結婚の駒として国内の有力貴族へ嫁ぐことが決まっていた。しかしその予定が一転し、幼馴染で王弟であるセドリックとの結婚が決まる。
あれよあれよと結婚式当日になり、戸惑いながらも結婚を誓うウィリアムに、セドリックは優しいキスをして……。
そして迎えた初夜。わけもわからず悲しくなって泣くウィリアムを、セドリックはたくましい力で抱きしめる。
「お前がずっと、好きだ」
甘い言葉に、これまで熱を知らなかったウィリアムの身体が潤み、火照りはじめる。
※ムーンライトノベルズ、アルファポリス、pixivへ掲載しています
さかなのみるゆめ
ruki
BL
発情期時の事故で子供を産むことが出来なくなったオメガの佐奈はその時のアルファの相手、智明と一緒に暮らすことになった。常に優しくて穏やかな智明のことを好きになってしまった佐奈は、その時初めて智明が自分を好きではないことに気づく。佐奈の身体を傷つけてしまった責任を取るために一緒にいる智明の優しさに佐奈はいつしか苦しみを覚えていく。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる