36 / 78
皇帝と異母兄
しおりを挟むマリウスは、客殿の窓辺に立つと、城下町をじっと見下ろしていた。
海霧が立ち込めて幻想的な夜を迎えようとしている。
ガラス戸を開けると、マリウスの銀色の髪を夜風がなぶった。
マリウスは頬に夜風の冷たさを感じて、自分が泣いていたのに気付いた。
(泣いたのなんていつぶりだろう)
そう考えて最後に流した涙にすぐに思い当たる。
(エミーユの小屋にいたとき、あのときに涙をすべて流しきったはずだったのに)
エルラント王都に来てより、どういうわけか、エミーユの感触が生々しくよみがえっている。
エミーユが発情した日、何度もエミーユの中に分け入った。
狂おしいほどの愛おしみが湧いて、夢中でその柔らかい肉の中に打ち付けた。
目が見えなかった分、エミーユの感触は強く残っている。声、匂い、とともに。
しかし、何よりも強く残っているのはエミーユの優しい手つきだった。
(エミーユ、あなたは優しく俺を撫でてくれた。春風のように優しく撫でた)
マリウスに残るエミーユの感触はあまりに生々しい。
(エミーユ、あなたに会いたい。あなたはどこにいるんだ?)
エミーユはマリウスの命の恩人であり、今もまだ忘れられない人である。
マリウスはエミーユの小屋を出たあと、軍に戻った。皇帝を倒すしかないと考えた。
たとえ皇帝が自身の伯父であり、父が皇帝の側近であろうとも。
暗愚な皇帝を倒し、戦争を終えて妖人を解放することが、エミーユへの償いでもあり、恩返しでもあるに違いなかった。
(エミーユが守ってくれたこの命、エミーユのために使うのなら惜しくはない)
すでに皇帝への反発が至る所で起きていた。水面下で同志を募り、結束を固め、皇帝に父らを殺した。そののち、皇帝の座についた。
戦争が終わってからマリウスはずっとエミーユを探している。人を使って、ノルラントのあちこちの町を探らせている。
しかし、あまりにも手がかりが少なかった。
(年齢は俺と同じで、茶目茶髪で、グレン語を喋る)
マリウスはエミーユについてそれだけしか知らない。
(匂いに声にその優しい手つきが今もまだ俺に残っているというのに)
そのとき、居間に続くドアが開いた。
ノックもなくドアを開けるのは一人しか思い浮かばない。案の定そちらを向けば、リージュ公が赤毛を覗かせていた。
リージュ公は、マリウスの異母兄だ。髪と目の色以外は、マリウスとそっくりだ。
マリウスもリージュ公と同じく父親譲りの真っ赤な髪をしていたが、この四年ですっかり色が抜けて銀色に代わってしまった。
見間違われるほどによく似ている二人だったが、マリウスが銀髪になったせいで、ひと目で判別がつくようになった。
リージュ公はずかずかと室内に入ってきた。
「マリウス、もう部屋に戻っていたのか。夜はこれからだろ。相変わらず堅物だな。え、お前泣いてる?」
「俺が泣くはずがないだろう。月がまぶしくて目をこすっただけだ」
マリウスがごまかせば、リージュ公は追及してはこなかった。
「明日はエレナ女王が、港を案内してくれるそうだ。海鮮料理がたっぷり食えるぞ」
「できれば、宮廷楽団の演奏をもう一度聴きたいのだが。女王に言っておいてくれないか」
(あの管弦楽は心に沁みた)
サロンでの管弦楽は、当初は退屈だろうと思っていたものだったが、意外にもマリウスの心を揺すぶった。
マリウスにはあの音楽のどこが自分を揺さぶったのかはわからなかった。
旋律に聞き覚えがあったが、グレンの古民謡ならばそれも当然のことだった。
61
お気に入りに追加
1,017
あなたにおすすめの小説

【完結】おじさんはΩである
藤吉とわ
BL
隠れ執着嫉妬激強年下α×αと誤診を受けていたおじさんΩ
門村雄大(かどむらゆうだい)34歳。とある朝母親から「小学生の頃バース検査をした病院があんたと連絡を取りたがっている」という電話を貰う。
何の用件か分からぬまま、折り返しの連絡をしてみると「至急お知らせしたいことがある。自宅に伺いたい」と言われ、招いたところ三人の男がやってきて部屋の中で突然土下座をされた。よくよく話を聞けば23年前のバース検査で告知ミスをしていたと告げられる。
今更Ωと言われても――と戸惑うものの、αだと思い込んでいた期間も自分のバース性にしっくり来ていなかった雄大は悩みながらも正しいバース性を受け入れていく。
治療のため、まずはΩ性の発情期であるヒートを起こさなければならず、謝罪に来た三人の男の内の一人・研修医でαの戸賀井 圭(とがいけい)と同居を開始することにーー。

白い部屋で愛を囁いて
氷魚彰人
BL
幼馴染でありお腹の子の父親であるαの雪路に「赤ちゃんができた」と告げるが、不機嫌に「誰の子だ」と問われ、ショックのあまりもう一人の幼馴染の名前を出し嘘を吐いた葵だったが……。
シリアスな内容です。Hはないのでお求めの方、すみません。
※某BL小説投稿サイトのオメガバースコンテストにて入賞した作品です。

【完結】恋愛経験ゼロ、モテ要素もないので恋愛はあきらめていたオメガ男性が運命の番に出会う話
十海 碧
BL
桐生蓮、オメガ男性は桜華学園というオメガのみの中高一貫に通っていたので恋愛経験ゼロ。好きなのは男性なのだけど、周囲のオメガ美少女には勝てないのはわかってる。高校卒業して、漫画家になり自立しようと頑張っている。蓮の父、桐生柊里、ベータ男性はイケメン恋愛小説家として活躍している。母はいないが、何か理由があるらしい。蓮が20歳になったら母のことを教えてくれる約束になっている。
ある日、沢渡優斗というアルファ男性に出会い、お互い運命の番ということに気付く。しかし、優斗は既に伊集院美月という恋人がいた。美月はIQ200の天才で美人なアルファ女性、大手出版社である伊集社の跡取り娘。かなわない恋なのかとあきらめたが……ハッピーエンドになります。
失恋した美月も運命の番に出会って幸せになります。
蓮の母は誰なのか、20歳の誕生日に柊里が説明します。柊里の過去の話をします。
初めての小説です。オメガバース、運命の番が好きで作品を書きました。業界話は取材せず空想で書いておりますので、現実とは異なることが多いと思います。空想の世界の話と許して下さい。

孕めないオメガでもいいですか?
月夜野レオン
BL
病院で子供を孕めない体といきなり診断された俺は、どうして良いのか判らず大好きな幼馴染の前から消える選択をした。不完全なオメガはお前に相応しくないから……
オメガバース作品です。
運命の息吹
梅川 ノン
BL
ルシアは、国王とオメガの番の間に生まれるが、オメガのため王子とは認められず、密やかに育つ。
美しく育ったルシアは、父王亡きあと国王になった兄王の番になる。
兄王に溺愛されたルシアは、兄王の庇護のもと穏やかに暮らしていたが、運命のアルファと出会う。
ルシアの運命のアルファとは……。
西洋の中世を想定とした、オメガバースですが、かなりの独自視点、想定が入ります。あくまでも私独自の創作オメガバースと思ってください。楽しんでいただければ幸いです。

さよならの向こう側
よんど
BL
''Ωのまま死ぬくらいなら自由に生きようと思った''
僕の人生が変わったのは高校生の時。
たまたまαと密室で二人きりになり、自分の予期せぬ発情に当てられた相手がうなじを噛んだのが事の始まりだった。相手はクラスメイトで特に話した事もない顔の整った寡黙な青年だった。
時は流れて大学生になったが、僕達は相も変わらず一緒にいた。番になった際に特に解消する理由がなかった為放置していたが、ある日自身が病に掛かってしまい事は一変する。
死のカウントダウンを知らされ、どうせ死ぬならΩである事に縛られず自由に生きたいと思うようになり、ようやくこのタイミングで番の解消を提案するが...
運命で結ばれた訳じゃない二人が、不器用ながらに関係を重ねて少しずつ寄り添っていく溺愛ラブストーリー。
(※) 過激表現のある章に付けています。
*** 攻め視点
※当作品がフィクションである事を理解して頂いた上で何でもOKな方のみ拝読お願いします。
※2026年春庭にて本編の書き下ろし番外編を無配で配る予定です。BOOTHで販売(予定)の際にも付けます。
扉絵
YOHJI@yohji_fanart様
事故つがいの夫は僕を愛さない ~15歳で番になった、オメガとアルファのすれちがい婚~【本編完結】
カミヤルイ
BL
2023.9.19~完結一日目までBL1位、全ジャンル内でも20位以内継続、ありがとうございました!
美形アルファと平凡オメガのすれ違い結婚生活
(登場人物)
高梨天音:オメガ性の20歳。15歳の時、電車内で初めてのヒートを起こした。
高梨理人:アルファ性の20歳。天音の憧れの同級生だったが、天音のヒートに抗えずに番となってしまい、罪悪感と責任感から結婚を申し出た。
(あらすじ)*自己設定ありオメガバース
「事故番を対象とした番解消の投与薬がいよいよ完成しました」
ある朝流れたニュースに、オメガの天音の番で、夫でもあるアルファの理人は釘付けになった。
天音は理人が薬を欲しいのではと不安になる。二人は五年前、天音の突発的なヒートにより番となった事故番だからだ。
理人は夫として誠実で優しいが、番になってからの五年間、一度も愛を囁いてくれたこともなければ、発情期以外の性交は無く寝室も別。さらにはキスも、顔を見ながらの性交もしてくれたことがない。
天音は理人が罪悪感だけで結婚してくれたと思っており、嫌われたくないと苦手な家事も頑張ってきた。どうか理人が薬のことを考えないでいてくれるようにと願う。最近は理人の帰りが遅く、ますます距離ができているからなおさらだった。
しかしその夜、別のオメガの匂いを纏わりつけて帰宅した理人に乱暴に抱かれ、翌日には理人が他のオメガと抱き合ってキスする場面を見てしまう。天音ははっきりと感じた、彼は理人の「運命の番」だと。
ショックを受けた天音だが、理人の為には別れるしかないと考え、番解消薬について調べることにするが……。
表紙は天宮叶さん@amamiyakyo0217
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる