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皇帝と異母兄
しおりを挟むマリウスは、客殿の窓辺に立つと、城下町をじっと見下ろしていた。
海霧が立ち込めて幻想的な夜を迎えようとしている。
ガラス戸を開けると、マリウスの銀色の髪を夜風がなぶった。
マリウスは頬に夜風の冷たさを感じて、自分が泣いていたのに気付いた。
(泣いたのなんていつぶりだろう)
そう考えて最後に流した涙にすぐに思い当たる。
(エミーユの小屋にいたとき、あのときに涙をすべて流しきったはずだったのに)
エルラント王都に来てより、どういうわけか、エミーユの感触が生々しくよみがえっている。
エミーユが発情した日、何度もエミーユの中に分け入った。
狂おしいほどの愛おしみが湧いて、夢中でその柔らかい肉の中に打ち付けた。
目が見えなかった分、エミーユの感触は強く残っている。声、匂い、とともに。
しかし、何よりも強く残っているのはエミーユの優しい手つきだった。
(エミーユ、あなたは優しく俺を撫でてくれた。春風のように優しく撫でた)
マリウスに残るエミーユの感触はあまりに生々しい。
(エミーユ、あなたに会いたい。あなたはどこにいるんだ?)
エミーユはマリウスの命の恩人であり、今もまだ忘れられない人である。
マリウスはエミーユの小屋を出たあと、軍に戻った。皇帝を倒すしかないと考えた。
たとえ皇帝が自身の伯父であり、父が皇帝の側近であろうとも。
暗愚な皇帝を倒し、戦争を終えて妖人を解放することが、エミーユへの償いでもあり、恩返しでもあるに違いなかった。
(エミーユが守ってくれたこの命、エミーユのために使うのなら惜しくはない)
すでに皇帝への反発が至る所で起きていた。水面下で同志を募り、結束を固め、皇帝に父らを殺した。そののち、皇帝の座についた。
戦争が終わってからマリウスはずっとエミーユを探している。人を使って、ノルラントのあちこちの町を探らせている。
しかし、あまりにも手がかりが少なかった。
(年齢は俺と同じで、茶目茶髪で、グレン語を喋る)
マリウスはエミーユについてそれだけしか知らない。
(匂いに声にその優しい手つきが今もまだ俺に残っているというのに)
そのとき、居間に続くドアが開いた。
ノックもなくドアを開けるのは一人しか思い浮かばない。案の定そちらを向けば、リージュ公が赤毛を覗かせていた。
リージュ公は、マリウスの異母兄だ。髪と目の色以外は、マリウスとそっくりだ。
マリウスもリージュ公と同じく父親譲りの真っ赤な髪をしていたが、この四年ですっかり色が抜けて銀色に代わってしまった。
見間違われるほどによく似ている二人だったが、マリウスが銀髪になったせいで、ひと目で判別がつくようになった。
リージュ公はずかずかと室内に入ってきた。
「マリウス、もう部屋に戻っていたのか。夜はこれからだろ。相変わらず堅物だな。え、お前泣いてる?」
「俺が泣くはずがないだろう。月がまぶしくて目をこすっただけだ」
マリウスがごまかせば、リージュ公は追及してはこなかった。
「明日はエレナ女王が、港を案内してくれるそうだ。海鮮料理がたっぷり食えるぞ」
「できれば、宮廷楽団の演奏をもう一度聴きたいのだが。女王に言っておいてくれないか」
(あの管弦楽は心に沁みた)
サロンでの管弦楽は、当初は退屈だろうと思っていたものだったが、意外にもマリウスの心を揺すぶった。
マリウスにはあの音楽のどこが自分を揺さぶったのかはわからなかった。
旋律に聞き覚えがあったが、グレンの古民謡ならばそれも当然のことだった。
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