【本編完結】溺愛してくる敵国兵士から逃げたのに、数年後、××になった彼に捕まりそうです

王宮での再会６

　ホールでの晩餐会の間、指揮棒を握るエミーユは、リージュ公からの視線を感じたような気がしたが、エミーユからは目で追うことをやめた。
　晩餐会を終えて、楽団員も片づけを終えた。
　エミーユが楽長室に戻ると、顔馴染みの使用人のロイが夜食を運んできた。
　ロイは、秋が深まってきているというのに、薄手のシャツ一枚しか着ておらず、エミーユの前で盛大なくしゃみをした。
　
「ロイ、上着をどうして着てこなかったの？」
「昼間はあったかかったから庭の枝にかけてたら、猫に粗相をされちまっただ。臭くて使い物になんねえだよ」

　エミーユは椅子の背から肩掛けを取ってくると、ロイの肩にかけた。

「まだ、仕事があるんだろう？」
「ありがとよ、楽長さん。明日まで、借りてもええがか？」
「上着が使えるようになるまで貸しておくよ」

　ロイははにかんだ顔を向けて、部屋を去っていった。
　間もなくして、再び、ノックの音があった。

（ロイかな？）

　扉を開くと赤毛が目に飛び込んできた。

（マリウス……）

　エルラント語を教えるという約束を思い出した。
　案内を寄越すと言っていたが、本人が来たらしい。
　気が向かなかったが、エミーユは愛想の良い笑みを浮かべた。
　リージュ公はきれいな笑みを浮かべてエミーユに言った。

「レルシュさん、薪割り小屋でのこと」

　エミーユの顔がこわばった。あのとき、リージュ公は顔を逸らすどころか、堂々とエミーユと目を合わせてきた。
　リージュ公からは、百戦錬磨の遊び人の軽薄さがにじみ出ている。
　エミーユはとても残念な気持ちになって、リージュ公の顔を見てはいられなくなって俯いた。

「私は何も見ていませんから」
「レルシュさん、誤解しないで欲しい。あれはしつこく貴婦人に言い寄られたから仕方なく相手をしただけなんだ」

（マリウスはすっかり変わってしまった。これだけの美男子で若くして軍務大臣なら、調子に乗ってもしようがない。あの日の純情なマリウスはもういないのだ）

　項垂れるエミーユにリージュ公は追い打ちをかける。

「俺は、あなたと良い仲になりたい。あなたの気持ちはわかっている。あなたは、妖人でしょ？　俺は獣人だ。俺もあなたに心惹かれている。夜を一緒に過ごしたい」

　リージュ公はエミーユの手を取った。エミーユはハッと手を引っ込める。

（エルラント語云々は方便だったのか。そういう意味で私に声をかけたのか？）

　エミーユはやっとそのことに気づく。
　リージュ公の顔を見ると、その顔には相変わらずきれいな微笑が浮かんでいる。どんな女性でも妖人でも、誘いに応じるだろう。
　リージュ公には色男の余裕があった。

（何でこんな男になってしまったんだ……？）

　エミーユは悲しい気持ちでリージュ公を見つめて、その目が青色であることに気づいた。

「紫ではないのですね」
「え、何が？」
「その目」
「もっと近くで見たい？」

　リージュ公は馴れ馴れしく顔をエミーユに寄せてきた。首元をスンスンと嗅ぐ。

「わあ、俺好みの匂いだ」

　リージュ公はエミーユの頭に手を伸ばし、後ろにまとめたエミーユの髪紐をすばやくほどいた。エミーユの栗色の髪がばらばらと肩に落ちる。

「レルシュさん、こっちのほうが色っぽい」

　リージュ公はエミーユの手を取り、指先にキスを落とす。

「離してください」

　エミーユは、リージュ公の手を振りほどこうとした。しかし、リージュ公はしつこかった。手を握り込んで離さない。

「ねえ、レルシュさん、あなたも俺のこと気になってるよね？　俺をずっと見てたでしょ。すごく熱いまなざしを送ってくれたよね」
「わ、私はエミーユです！　四年前、あなたとノルラントで過ごしたことのあるエミーユです。思い出せませんか？」

　思わずエミーユは叫んでいた。
　リージュ公はちょっと考える仕草ののちに、軽薄に答えた。

「ああ、覚えてる。エミーユちゃんだよね。ちゃんと覚えてるよ」

　エミーユは信じられないものを見るような目でリージュ公を見つめた。

（マリウスは本当に私のことを少しも思い出しもしないのか？）

「離してくださいっ」
「ねえ、エミーユちゃん、俺、すごくイイよ。試してみてよ。虜にさせてあげるから」

（はあ？　マリウス、何を言い出すの？）

「離してっ」
　
　手を振り払っても離してもらえず、エミーユはリージュ公の頬を引っぱたいた。さすがにリージュ公は茫然とした顔をしていた。
　エミーユの両目からあふれ落ちる涙にリージュ公は息を飲んだ。
　エミーユは手を引っ込めると、楽長室のドアを閉めて鍵をかけた。
　楽長室の床に、思わず泣き崩れた。
　エミーユはマリウスに対してとてもきれいな印象を抱いていた。純真で誠実なものしか感じていなかった。

（四年で人は変わる。マリウスはすっかり汚れた大人になってしまった。いや、そもそもマリウスは思っていたような人ではなかったのかもしれない。マリウスは死にかけて人格が変わっていただけだったのかも）

　エミーユの発情にもかかわらず必死で小屋を出て行こうとしたマリウスと、今のリージュ公とではまるで別人だった。

（妖人を見れば手を出してしまうような獣人。マリウスもそんな獣人だったのだ。こんなことなら、再会しないほうがよかった）

　これまで抱いていたマリウスへの想いも汚されたような気がした。
　ひとしきり泣き終えると、エミーユは自嘲した。

（私がマリウスに夢を見すぎていただけだ）

　同じ頃、客殿の最奥の貴賓室の窓から、海霧にけぶる夜の城下町を見下ろす皇帝の姿があった。
　その背には威風が漂うも、目はどことなく寂しげだった。