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草原の別れ3

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 宿場町に着くなり、見かけた男に尋ねた。

「人を探してるんだけど、見なかった?」
「何だい?」

 男は荷ほどきの手を休めずに訊き返してきた。
 男の言葉は聞きづらかった。

「人を探してるんだけど」
「何だい?」

 やっと、男がノルラント語で喋っていることに気づいた。

(そうだ、ここはノルラントだ)

 エミーユとはグレン語で話していたために、そのことを失念していた。
 マリウスはノルラント語を頭の隅から引っ張り出す。

「エミーユっていう、小柄で華奢で」

 男は顔を上げてマリウスを見ると、途端に、声音を丁寧なものに変えた。マリウスの馬も身なりも立派なことを見て取ったのだ。

「どんな風体ですかい?」
「髪は茶色で目も茶色で」
「どんな服装ですかい?」
「ボタンのないシャツにズボンで」
「色は?」
「えっと」
「ちょっと絵に描いてもらえやすかい?」

 男はメモと耳に挟んだペンを渡してきた。
 そこでマリウスは気づいた。エミーユのことを良く知っているはずなのに、その見た目も知らない、ということに。
 声も触り心地も体温も知っているのに。
 マリウスはエミーユとつながる糸が切ろうと思えばすぐに切れる細いものであったことに気づいた。
 エミーユはその糸をいつでも断ち切れるようにしていたのだ。そのために、マリウスの目に包帯を巻いていた。
 マリウスの目に異常はない。エミーユは失明すると嘘をついていた。ようやくそれに気づく。
 最初からエミーユはマリウスを捨てるつもりだった。

(エミーユ、ひどい。あなたはひどい人だ。俺を捨てた。俺はあなたがいなければもう生きてなんか行けないのに)

 通りに立ち尽くすマリウスの背中に威勢のいい声が飛んできた。

「旦那ぁ! そこをどいてくだせえ! 通行の邪魔になりやすぜ!」

 蹄の音に、マリウスは通りの端に寄った。
 マリウスは馬を引いて、宿場町の端から端まで回った。
 しかし、エミーユの外見を知らないマリウスには捜しようもなかった。男で、華奢で、18歳で、茶目茶髪ということしか知らない。
 これといった人を見かければ声をかけるも、うろんげな目で見返されるばかりだった。
 
(エミーユ、あなたはひどい人だ……)

 とぼとぼともと来た道を戻りながら、マリウスの目から涙が零れ落ちた。
 丘の草原に戻れば、ひどくみすぼらしい小屋があった。
 あらためて眺め見る。

(こんなところに住んでいたのか)

 エミーユの小屋は人が住むというにはみすぼらしすぎた。傾きかけた壁を支えるために後付けの支柱がつっかえられている。
 中に入るとところどころに夕陽が差し込んでいた。まるで木漏れ日だ。雨だって中に降り込んだだろう。
 煮炊きの窯、テーブル、ベッド、棚があるだけの粗末さだった。椅子は一脚しかない。エミーユは何に座って食べていたのだろう。もしかしてずっと立っていたのだろうか。

(ベッドは一台しかない)

 最後は二人でベッドに寝ていたが、その前はエミーユは床に寝ていたはずだ。

(こんな生活じゃ、俺は邪魔だったに違いない)

 マリウスはテーブルに突っ伏した。前に突っ伏したとき、エミーユは頭を撫でてくれた。エミーユの優しい手つきがまだマリウスから消えない。
 ここにはまだエミーユの温もりが残っていた。
 マリウスは何もする気が起きなかった。いつもは旺盛な食欲さえもわかず、ずっとテーブルに突っ伏していた。
 いつの間にかベッドに移ったようで、小鳥のさえずりに目が覚めた。やはりエミーユはいなかった。
 エミーユの焼いたパンを口に入れると甘かった。これまでエミーユにもらったどのパンも甘かったが、そのパンにはひときわ多く干し果実が入っていた。

(こんな困窮した生活なのに、俺にそれを少しも感じさせなかった)

 ――今日は特別にハチミツを入れましたので、多分おいしいです。

 エミーユにはハチミツだって干し果実だって贅沢なものだったはずだ。なのにマリウスのために使った。
 マリウスの目からまた涙が出てきた。

「エミーユ、ひどい、ひどいよ……。俺を捨てるなんて」

 マリウスはパンを噛みしめた。大泣きしながらパンを食べる。

(いや、違う。エミーユはひどくなんかない。エミーユは俺を助けてくれた。俺はグレン兵なのに。親の仇なのに。馬も剣も俺に残した。売れば金になったはずなのに。上着も直してくれた。エミーユは俺を甘やかしてくれた。いつもいつも俺に尽くしてくれた。俺、エミーユに何も返せないままだった)

「エミーユ、エミーユ、ありあおう、おえ、おえ、いっぱになうから!」

(エミーユ、ありがとう。俺、いつかエミーユに会えたときのために立派になるから)

 次にマリウスが立ち上がったときには、涙は乾いていた。

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