【本編完結】溺愛してくる敵国兵士から逃げたのに、数年後、××になった彼に捕まりそうです

甘えん坊の泣き虫マリウス５

　翌朝、馬から外しておいた鞍を持って外に出た。
　起きるなりエミーユにまとわりついているマリウスに鞍を渡すと、マリウスは声を上げる。

「ブラックベリーの鞍？　ちゃんと外しておいてくれてたのはわかってたけど、つけてもいいの？」
「うん、つけられる？」
「もちろん！」

　マリウスは目が見えなくても慣れた手つきで鞍をつけ始めた。

「良い子だ、ブラックベリー」

　マリウスは目が見えないのに、鐙に足をかけると馬に飛び乗った。難なく馬を乗りこなしている。
　背の高い草むらに向かって進んでゆくも、馬のほうが避けた。
　馬は主人を乗せて、とても嬉しそうだ。
　草原を馬で駆けるマリウスは、ひどく格好良く見えた。
　堂々と馬を乗る姿は、貴公子のようだ。

（マリウスはグレンの貴族の子かもしれないな）

　エミーユにはそう思えてきた。
　ブラックベリー号はおそらく良い馬だ。毛並みがつやつやしている。鞍だって、しっかりしたつくりなのに軽くて柔らかい。
　エミーユはさっき持ったときにその上質さに気づいた。

（あんな上質の革を見たことがない。軍支給品ではなく、私物なのかもしれない）

　そもそも、庶民であれば、歩兵のはずだ。

（有能なら庶民でも騎兵だろうけど。でも、マリウスが有能ってことはないだろうから、やはりマリウスは貴族なのだろう）

　それを思えば、丸一日、全裸に掛布で過ごさせてしまったことが申し訳なくなってしまった。
　もっとも、自分を見下ろすと、目の粗い麻布のズボンに貫頭衣を被っただけであるから、マリウスに用意できるとしても、掛布を縫い合わせたものしかできなかったはずだが。
　格好の良いマリウスを見ていると、誇らしくもあり、自分のみすぼらしさが恥ずかしくなってくるようでもあった。
　エミーユにはわかってしまった。マリウスが自分とは別世界の人間だということが。
　ズキリと胸に突き刺してくるものがある。

（泣き虫で甘えん坊で格好悪いマリウス。ほんのひととき私のもとに現れてくれただけ）

　気持ちよさそうに草原を駆けていたマリウスが、エミーユの元まで戻ってきた。

「ああ、気持ち良かった！　エミーユ？　どこ？」

　改めて貴公子然とした乗馬姿には、掘っ立て小屋がひどく似つかわしくない。

（この子はグレンに戻ると、立派な屋敷に住んでいるんだろうな。この子には輝かしい未来が待っている。早く本来の居場所に戻してあげなきゃ）

　マリウスは、エミーユのいる場所まで来ると馬を止めた。
　そういえば、マリウスはエミーユの居場所をすぐにわかる。小屋の中にいても外にいても、すぐにエミーユをめがけてやってくる。

「マリウス、もしかして見えてるの？」

　エミーユが訊くとマリウスは首を横に振った。

「ううん、俺、軍隊の夜戦訓練で、見えないのに慣れているんだ」
「どうして私の居場所がいつもわかるの？」
「あ、それは……」

　マリウスは顔を赤らめた。

「エミーユの匂いでわかる」

　それにはエミーユは慌てた。自分をスンスンと嗅いでみる。

「ごめん、私、臭いよね」
「ち、ちが……。エミーユからはすごくすごく良い匂いしかしない！」

（良い匂いって……）

　エミーユは呆れた。
　みすぼらしい小屋に住んで、みすぼらしい服を着た自分が良い匂いのはずがない。

（マリウスは死にそうになったところを私に助けられて、私を何か違うもののように勘違いしてるんだ。ひなが親鳥を慕うように私を慕っているんだ。早く追いやらないと）