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甘えん坊の泣き虫マリウス2
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その日の夕食のあと、エミーユは口を開いた。
「マリウス、あなたはどうして怪我を妖人に移さなかったのです? あなたの国では妖人を怪我のゴミ入れにしているはずだ。どうして一人で兵団を外れていたのです?」
朗らかに笑んでいたマリウスの口元が、急にへの字に結ばれた。
「お、おれ、逃げてきた」
「逃げたって兵団から?」
「うん。こ、こわかった」
「何が怖かったのです?」
マリウスはたどたどしく説明を始めた。
「た、たしかに、お、おれの国では妖人を獣人兵士の怪我のゴミ入れにしている。それで妖人がたくさん死んだ」
グレンでは死ななかった獣人の数ばかり喧伝しているが、やはり妖人は死んでいるのだ。マリウスは続ける。
「獣人兵士は怪我を妖人に移しても、また、怪我をしてくる。妖人の引き受けた怪我が治る前にまた怪我を負ってくる。怪我は妖人の許容量をすぐに超えた。獣人兵士だって、妖人に怪我を移したいわけじゃない。最初は少しだけしか移さなかった。でも、一度移し始めるとだんだん麻痺した。そのうち遠慮なく怪我を移すようになった。妖人は逃げ出すのを防ぐために檻の中に入れられていた。起きていると暴れてうるさいから、いつも薬を飲まされて半ば寝ていた。眠っていた妖人が、怪我を移されて痛みに叫び声を上げる。それを兵士が苛立って殴るようになった。戦場は怖い。敵も怖いけど味方も怖い。何もかもが、こ、こわかった……」
マリウスは泣きそうに口を歪めて、実際に涙声になった。
エミーユはしばらくの間、口を開くことができなかった。聞くだに恐ろしい話だ。
(お母さん………)
母親は戦場に連れていかれたはずだ。
そこまでひどい扱いを受けているとは思わなかった。
エミーユはいてもたってもいられないような気持ちになった。
グレン兵など何故助けたのだろうか。
(こいつは親の仇なのに)
エミーユの気持ちも知らずに、マリウスは鼻をすすり始めた。
「お、おれ、こわい……。死ぬのも怖いけど、妖人に怪我を移すのもこ、こわい。だからおれは、にげてきたんだ……」
マリウスはつぶやくとテーブルに顔を突っ伏した。肩が震えている。
「お、おれ、もう兵士に戻りたくない、もう戦いたくない………」
はじめてエミーユはグレンの兵士も受けたくて怪我を受けるわけではないし、怪我のゴミ入れを喜んで使っているわけではないことに思い至った。
兵士だって食べるためや、強制されて兵士になるしかなかった者がほとんどだろう。
エミーユは、マリウスの伏せた頭にそっと手を置いた。撫でるとマリウスは手を掴んで両手でエミーユの手をかき抱いた。そして、声をあげて泣き始める。
「うっ、うっ、おれ、こわかった、こわくてこわくてたまらなかった。ううっ……、もう戦争なんかいやだ、いやなんだ、ううっ………」
あられもない泣きっぷりだった。これでは子どもっぽいどころか、まるで幼子だ。
マリウスはグレン兵だ。しかし、親の仇とは思えない。こんな情けない泣き虫が親の仇のはずがない。
(マリウスは怪我を移さずに逃げてきたんだ。死ぬかもしれなかったのに)
それを思えばマリウスのことを憎めなかった。憎むどころか憐れみを感じる。
マリウスもグレンの、戦争の、犠牲者だ。
エミーユはもう片方の手でマリウスの頭を撫でてやった。
マリウスはひときわ声高く泣き始めたが、やがて落ち着いてきた。
「あ、ありが、とう、ううっ……。お、おれ、あなたの手が好きだ。寝ている間、こうやって撫でてくれてた」
エミーユは眠っているマリウスが苦しそうにしているとき、ときどき、マリウスの痛みを引き受けていた。そのとき頭や肩や胸を撫でていた。
マリウスは顔を上げた。エミーユのほうに顔を向けて言う。よだれに鼻水でひどい顔になっている。
「つ、つらいことも、かなしいことも、おさまってくるんだ。あなたに撫でられると……」
涙に包帯が濡れていた。
泣き終わるとマリウスは包帯に手をやった。
「こ、これ、取っちゃ、だ、だめかな?」
エミーユは慌てて言った。
「それはいけません。失明します」
マリウスは従順に包帯に当てた手を下ろした。
エミーユはマリウスが落ち着くと、ベッドに連れて行った。
乾いた包帯を取ってくると、濡れた包帯と取り換えた。包帯が外された間もマリウスには目をつむっておくように言うと、マリウスは目を閉じていた。
マリウスの上半身の包帯も解く。
ガーゼの下の傷口は膿もせずに順調に塞がっている。治りが早い。
(これなら、二、三日うちに追い出せそうだ)
炎症を抑える働きのある薬草液をしみ込ませたガーゼを貼って、もう一度包帯を巻きつける。
マリウスはベッドに横になるとエミーユにせがんできた。
「おれのそばにいて。お願い」
一緒に寝ようとばかりに、ベッドの端に寄る。
「おれ、こわい。夜中に目が覚めてひとりきりだとこわいんだ」
マリウスはエミーユに泣き姿を晒して、みっともなく甘えるのに抵抗が薄れたようだ。
エミーユはマリウスの横になれば、マリウスの頭を撫でてやった。マリウスはすぐに寝息を立て始めた。
(甘えん坊の赤ちゃんだな)
エミーユはマリウスに何でもしてあげたいような気持が湧いてくるのを自覚していた。
「マリウス、あなたはどうして怪我を妖人に移さなかったのです? あなたの国では妖人を怪我のゴミ入れにしているはずだ。どうして一人で兵団を外れていたのです?」
朗らかに笑んでいたマリウスの口元が、急にへの字に結ばれた。
「お、おれ、逃げてきた」
「逃げたって兵団から?」
「うん。こ、こわかった」
「何が怖かったのです?」
マリウスはたどたどしく説明を始めた。
「た、たしかに、お、おれの国では妖人を獣人兵士の怪我のゴミ入れにしている。それで妖人がたくさん死んだ」
グレンでは死ななかった獣人の数ばかり喧伝しているが、やはり妖人は死んでいるのだ。マリウスは続ける。
「獣人兵士は怪我を妖人に移しても、また、怪我をしてくる。妖人の引き受けた怪我が治る前にまた怪我を負ってくる。怪我は妖人の許容量をすぐに超えた。獣人兵士だって、妖人に怪我を移したいわけじゃない。最初は少しだけしか移さなかった。でも、一度移し始めるとだんだん麻痺した。そのうち遠慮なく怪我を移すようになった。妖人は逃げ出すのを防ぐために檻の中に入れられていた。起きていると暴れてうるさいから、いつも薬を飲まされて半ば寝ていた。眠っていた妖人が、怪我を移されて痛みに叫び声を上げる。それを兵士が苛立って殴るようになった。戦場は怖い。敵も怖いけど味方も怖い。何もかもが、こ、こわかった……」
マリウスは泣きそうに口を歪めて、実際に涙声になった。
エミーユはしばらくの間、口を開くことができなかった。聞くだに恐ろしい話だ。
(お母さん………)
母親は戦場に連れていかれたはずだ。
そこまでひどい扱いを受けているとは思わなかった。
エミーユはいてもたってもいられないような気持ちになった。
グレン兵など何故助けたのだろうか。
(こいつは親の仇なのに)
エミーユの気持ちも知らずに、マリウスは鼻をすすり始めた。
「お、おれ、こわい……。死ぬのも怖いけど、妖人に怪我を移すのもこ、こわい。だからおれは、にげてきたんだ……」
マリウスはつぶやくとテーブルに顔を突っ伏した。肩が震えている。
「お、おれ、もう兵士に戻りたくない、もう戦いたくない………」
はじめてエミーユはグレンの兵士も受けたくて怪我を受けるわけではないし、怪我のゴミ入れを喜んで使っているわけではないことに思い至った。
兵士だって食べるためや、強制されて兵士になるしかなかった者がほとんどだろう。
エミーユは、マリウスの伏せた頭にそっと手を置いた。撫でるとマリウスは手を掴んで両手でエミーユの手をかき抱いた。そして、声をあげて泣き始める。
「うっ、うっ、おれ、こわかった、こわくてこわくてたまらなかった。ううっ……、もう戦争なんかいやだ、いやなんだ、ううっ………」
あられもない泣きっぷりだった。これでは子どもっぽいどころか、まるで幼子だ。
マリウスはグレン兵だ。しかし、親の仇とは思えない。こんな情けない泣き虫が親の仇のはずがない。
(マリウスは怪我を移さずに逃げてきたんだ。死ぬかもしれなかったのに)
それを思えばマリウスのことを憎めなかった。憎むどころか憐れみを感じる。
マリウスもグレンの、戦争の、犠牲者だ。
エミーユはもう片方の手でマリウスの頭を撫でてやった。
マリウスはひときわ声高く泣き始めたが、やがて落ち着いてきた。
「あ、ありが、とう、ううっ……。お、おれ、あなたの手が好きだ。寝ている間、こうやって撫でてくれてた」
エミーユは眠っているマリウスが苦しそうにしているとき、ときどき、マリウスの痛みを引き受けていた。そのとき頭や肩や胸を撫でていた。
マリウスは顔を上げた。エミーユのほうに顔を向けて言う。よだれに鼻水でひどい顔になっている。
「つ、つらいことも、かなしいことも、おさまってくるんだ。あなたに撫でられると……」
涙に包帯が濡れていた。
泣き終わるとマリウスは包帯に手をやった。
「こ、これ、取っちゃ、だ、だめかな?」
エミーユは慌てて言った。
「それはいけません。失明します」
マリウスは従順に包帯に当てた手を下ろした。
エミーユはマリウスが落ち着くと、ベッドに連れて行った。
乾いた包帯を取ってくると、濡れた包帯と取り換えた。包帯が外された間もマリウスには目をつむっておくように言うと、マリウスは目を閉じていた。
マリウスの上半身の包帯も解く。
ガーゼの下の傷口は膿もせずに順調に塞がっている。治りが早い。
(これなら、二、三日うちに追い出せそうだ)
炎症を抑える働きのある薬草液をしみ込ませたガーゼを貼って、もう一度包帯を巻きつける。
マリウスはベッドに横になるとエミーユにせがんできた。
「おれのそばにいて。お願い」
一緒に寝ようとばかりに、ベッドの端に寄る。
「おれ、こわい。夜中に目が覚めてひとりきりだとこわいんだ」
マリウスはエミーユに泣き姿を晒して、みっともなく甘えるのに抵抗が薄れたようだ。
エミーユはマリウスの横になれば、マリウスの頭を撫でてやった。マリウスはすぐに寝息を立て始めた。
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