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64.砂が消えていく
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夕闇に迫られるかのように、『シューベルト』へ向かっていた。
店の前を差し掛かると、表で、父さんが背の高い作業梯子の天辺に跨って、金物でできたぶら下がり式の看板を直していた。近づくと、父さんは真っ白なコック服をひるがえし、下を仰ぎ見た。
「なにしてるの?」
「おお、宙兄か。ちょっとな、看板が歪んじまったみたいで」
それはでかでかと提げられた『シューベルト』というメインの看板じゃなくて、小さめの、ちょっとした店のイメージにと掲げていたマスコットのような飾りだった。小さな男の子がぶかぶかのコック服を身にまとい、おたまを持っていて、なかなかかわいい。これでよし、と言いながら父さんが手を離すと、小さなコックさんはいつものように揺れていた。
「今日は母さんも洋介も来れなくて、八方塞なんだよなあ」
洋介がいないと聞いて、安心した。
「母さんもいないの?」
「ああ。今日は、おばあちゃんちに用があるって言ってな。洋介が来てくれる予定だったんだが、テストの点がひどいらしくて、どうしても追試を受けなくちゃいけないらしいんだ」
父さんはほとほと困りはてた様子で、梯子から降りてきた。店の中を覗くと、ピークの時間帯じゃないせいか、客はまだちらほらとしかいなかった。
「なら、早く厨房に戻らないと」
父さんは地面に着地すると、何時間も鍋をかき回しつづける手で、勢いよくコック服をはたいた。
「ちょうどいいときに来たな。宙他、シューベルトを手伝っていかないか」
そのときは、なんだか乗せらされたような気がした。でも後から振り返って考えてみると、運っていうのは巡り巡るもので、あながち天に見放されてるわけでもないな、とも思った。
「それを着なさい」
真っ白なコック服だった。が、よくよく目を凝らしてみると、ところどころ染みが付いている。
「洋介のだからな、多少汚れているかもしれん。あいつ大雑把だから、コック服をエプロン代わりに使うんだよ。これでウエイターもするっていうのに、汚れてたらお客さんにどう思われるか」
洗ってもソースの汚れなんか簡単に落ちないんだよ、と父さんは頭を抱えた。
学ランとカッターシャツを椅子の上に放り、父さんや母さんがいつも着ているのと同じ、白い服に袖を通した。スルスルスルと布を滑り、左右どちらを掛け合わせてもいいボタンを左上合わせにして留めると、身体はぴったりとコック服におさまった。
鏡に映った姿は、高校生ながらに、凛として見えた。
シューベルトを手伝うことの違和感も、友人たちとの会話のもどかしさも、閉じたカーテンの上から砂をザアッとかけられるような嫌な気持ちも消えていた。
店の前を差し掛かると、表で、父さんが背の高い作業梯子の天辺に跨って、金物でできたぶら下がり式の看板を直していた。近づくと、父さんは真っ白なコック服をひるがえし、下を仰ぎ見た。
「なにしてるの?」
「おお、宙兄か。ちょっとな、看板が歪んじまったみたいで」
それはでかでかと提げられた『シューベルト』というメインの看板じゃなくて、小さめの、ちょっとした店のイメージにと掲げていたマスコットのような飾りだった。小さな男の子がぶかぶかのコック服を身にまとい、おたまを持っていて、なかなかかわいい。これでよし、と言いながら父さんが手を離すと、小さなコックさんはいつものように揺れていた。
「今日は母さんも洋介も来れなくて、八方塞なんだよなあ」
洋介がいないと聞いて、安心した。
「母さんもいないの?」
「ああ。今日は、おばあちゃんちに用があるって言ってな。洋介が来てくれる予定だったんだが、テストの点がひどいらしくて、どうしても追試を受けなくちゃいけないらしいんだ」
父さんはほとほと困りはてた様子で、梯子から降りてきた。店の中を覗くと、ピークの時間帯じゃないせいか、客はまだちらほらとしかいなかった。
「なら、早く厨房に戻らないと」
父さんは地面に着地すると、何時間も鍋をかき回しつづける手で、勢いよくコック服をはたいた。
「ちょうどいいときに来たな。宙他、シューベルトを手伝っていかないか」
そのときは、なんだか乗せらされたような気がした。でも後から振り返って考えてみると、運っていうのは巡り巡るもので、あながち天に見放されてるわけでもないな、とも思った。
「それを着なさい」
真っ白なコック服だった。が、よくよく目を凝らしてみると、ところどころ染みが付いている。
「洋介のだからな、多少汚れているかもしれん。あいつ大雑把だから、コック服をエプロン代わりに使うんだよ。これでウエイターもするっていうのに、汚れてたらお客さんにどう思われるか」
洗ってもソースの汚れなんか簡単に落ちないんだよ、と父さんは頭を抱えた。
学ランとカッターシャツを椅子の上に放り、父さんや母さんがいつも着ているのと同じ、白い服に袖を通した。スルスルスルと布を滑り、左右どちらを掛け合わせてもいいボタンを左上合わせにして留めると、身体はぴったりとコック服におさまった。
鏡に映った姿は、高校生ながらに、凛として見えた。
シューベルトを手伝うことの違和感も、友人たちとの会話のもどかしさも、閉じたカーテンの上から砂をザアッとかけられるような嫌な気持ちも消えていた。
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