仮の猫

闇雲の風

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 その晩のことだった。
 ひかりの父、達彦が訪ねてきた。
「元気にやってるか」
「おかげさまでね」
 わたしは心の中で、毛を逆立てていた。この男を早くここから追い出したかった。
「あのさ、最近ひかりがきみのところに入り浸ってるだろ。妻がよく思ってないんだ。きみからいってやってくれないか」
「なにを?」
 達彦はばつが悪そうに、コーヒーカップのとってをじっと見ていた。
「そりゃ、あんまりくるな、ってことをだよ」
 そういわれ、なかなか次の言葉が出てこなかった。わたしは、自分が腹を痛めて生んだひかりに、会いたいのか、そうでないのか、自分でもわかりかねていたからだ。
「いまさらなにいってるの。あなたが最初、わたしが住んでる島にわざわざつれてきたのが悪いんじゃない」
 いつのまにか達彦のあぐらをかいた足元に、猫がいっぴき、身をなすりつけ、そこに居座ろうとしていた。達彦のその温かさに、いつだって猫は引き寄せられる。
「そりゃ、おれがきっかけを作ってしまったのは悪かったよ、ただね、別にきみに会いにきたわけじゃないんだ。たまたま向島まで遊びにいこうって話になっただけなんだ。ここはおまえのお母さんがいるからだめなんだ、とはいえないし、断れなかったんだよ」
「そんなこといわれたって知らないよ。うちに遊びにくるかどうかは、ひかりに選ばせればいいじゃない」
「そういうわけにはいかないよ。……ここにはたくさんの猫がいるじゃないか。ここに猫やきみがいる以上、ひかりは、どうしても引きつけられてしまうよ……」
 返す言葉が見つからなかった。達彦のいうとおりなのだ。
 達彦の温かさとやさしさも、猫を引き寄せはするが、向島の猫の引力は、達彦の温もりなどはるかに凌駕する。
「頼むよ。きみもさびしいかもしれないけど、納得して選んだ道じゃないか」
 元夫は声を絞るようにして、泣いた。

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