end of souls

和泉直人

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三章1

ノーマンズランド

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  足の甲、中程に踵を落とす。
  指では反射的に引かれて逃がす。
  付け根では厚すぎてこちらが足首を捻る可能性がある。

  「ぐ……おっ」

  逃げ場の無い痛みに男が悲鳴をあげる……途中で、俺の右肘がみぞおちに深々とめり込んだ。
  痛みに苦しみが加わった、苦痛に膝から崩れる男の顎へ、踵を上げるついでの膝蹴りを見舞う。
  蛙の様にひっくり返る男の向こうに、まだ三人残っている。
  そして背後、相棒の方向にもまた三人。
  任せて問題無いが、半顔振り向いて、

  「まだ殺すなよ」

念を押す。
  男三人に囲まれた、小柄な相棒は無反応。

  「女を人質にし……!」

  相棒の前で言えたのはそこまでだった。

  ごっ!

  相棒が右逆手で振るった七十センチメートルの棒の先端が、言葉を発した男の顎を砕いた。
  こいつが人質にできるようなタマかよ。

  「それはこいつらの運次第ね」

  二度と固い物は食えない身になったであろう男が仰向けに転がる。
  それを見下ろして、相棒が無感情に言い放つ。
  その左手に棒と同じ長さだが、先端に十五センチメートルの鋭利な刃が付いた、短槍が握られている。
  『エルザ=ゲンスブール』、今回の任務の相棒だ。
  一週間前、首都クーガドゥルはいよいよ夏本番を迎えていた。
  マグダウェル公国は大陸の北寄りに位置するため、他国に比して涼しい方だ。
  それでも団服を着ていると汗が粒として浮かぶ程度には、気温が上がっている。
  俺と並ぶ相棒は、百六十センチメートル弱と小柄ながら鋭い眼光を持つ女性だ。

  「お前達には『ノーマンズランド』へ向かってもらう」

  この暑さにも普段通りの長官が告げる。
  三十年前に『セーベルニーチ帝国』からの侵略戦争、通称『南進』が起こった。
  その終結時にマグダウェル公国を筆頭に、ノムリル共和国、ウンディニア王国、シルフェニア王国の同盟国で成る、『南方連合』との間に不可侵条約が結ばれた。
  その結果、マグダウェル公国の北の国境とセーベルニーチ帝国の南の国境の間に緩衝地帯が生まれた。
  そこを『ノーマンズランド』と呼んでいる。
  幅数キロメートルに及ぶ、東西に長い土地である。
  便宜上無人であるが、実際は多くの人間が暮らす、一つの街になっている。
  そこに住むのはどこの国にも属さない、あるいは属せない、脛に傷持つ人間ばかりと聞く。
  情報が不確かなのは致し方無い。
  どこの国からも『存在しない』とされる街であり、緩衝地帯というデリケートな地域であるのも加わって、内情を深く探る事はできないのだ。
  まあ、南方北方双方がそれなりに人員を潜入させているだろうが。

  「急速に既存の荒くれ者集団を瓦解させて傘下に置く武装集団が現れた、らしい」

  推測に留まるのは全容は掴めていないという事だろう。
  無法地帯とはいえ、複数の集団が牽制し合って、一種の秩序を作り出している事は想像に難くない。
  そのパワーバランスが崩されている。
  何処でもそうだが、急激な変化はろくな事にならない。

  「危険性を調査し、把握。その後国境に『爪』を配置する予定だ。……だが今は、貴族の強い反発が邪魔をしている状態でな……」

  さすがの長官も苦い顔だ。
  無理もない。
  もちろん城壁は設けられているが、国境の警備は平和ボケの『守護騎士団』の一部が配置されている。
  徒党を組んだ武装集団が襲ってきたら、蜘蛛の子を散らす様にあっさり逃げ出すであろう腰抜けばかり。
  ろくな戦闘訓練も受けていない貴族の次男以下の、後継ぎから除外された者達、それが守護騎士団の主な構成員だ。
  重要な警備をなぜそんな連中が担っているか。
  簡単だ。
  『箔がつく』から。
  国境警備を二年も勤めれば、首都で名ばかりの国王護衛の任にありつける。
  敵に攻め込まれる危険性は低く、命の危険も無く、仕事も適当で済む。
  そうなれば生涯安泰、となるわけだ。
  貴族も自分の子は可愛いらしく、次々に役立たずを送り込んでいるのが実状。
  そんな『美味しい』ポジションを『爪』に渡す訳にはいかない、との思惑だろう。
  本当に下らない。

  「グレイ=ランフォード、エルザ=ゲンスブール両名はノーマンズランドへ潜入。武装集団の正体、目的を探れ。もし帝国の手の者であれば……退け」

  緩衝地帯でマグダウェルとセーベルニーチの者がぶつかり、どちらかあるいは双方が傷つけば、事は国際問題に発展する。
  未だ南の土地を諦めないセーベルニーチには、開戦への格好の口実を与えてしまう。

  「方法は任せる。ただ、支援は無いと思え。動員人数を増やすわけにはいかんのでな」

  命令を下した後、長官は長いため息をつく。

  「了解」

  俺より先に返事をしたのは相棒、エルザだった。
  同時に……殺気を放った。
  反射的に俺の両手がショートソードの柄を握る。

  「その前に、相棒の実力を知りたく……」

  殺気はそのままに、長官に視線を向ける。
  無言で長官が頷く。
  おいおい、ここは室内だぞ。

  ばさっ!

  エルザの団服の両裾が跳ね上げられる。
  ちらりと見えた背中には、二本の棒が交差する形で納められている。
  その内の一本、右手側が彼女の右逆手で抜かれ……勢いそのままに、俺に向けて振り抜かれる。

  ぼっ!

  のけ反って避けた眼前で、押し潰された空気が鈍い音を発した。
  棒の先端は半球状の金属で補強されているようだ。
  俺に対して真横を見せるエルザの左手が、動く。
  もう一本の棒を順手で抜いた。
  こちらへ向き直る動作から滑らかに、左片手で突きに繋ぐ。

  ひゅっ!

  今度は切り裂かれた空気が鋭い音を発する。
  上体を左に反らした俺の右頬近くで。
  短槍?
  彼女の両手にある棒と短槍の長さは、七十センチメートルほどだ。
  棍棒と槍のコンビネーションか?
  俺はショートソードを左右の手、それぞれで逆手で抜く。
  エルザのリーチはショートソードより少し長いが、距離を潰せば……。

  きゅる!

  奇妙な音が聞こえる。
  彼女の手元、密着させた棍棒と短槍の間から。
  思わず目を見張った。
  二本の棒状の武器が一本の槍となっていた。
  さっきのは一体化させるための仕掛けをねじ込む音だと悟る。

  「分割した槍と棍、そしてそれを合わせた一本の槍。それがわたしの武器だ」

  エルザがアルトの声で告げる。
  隙の無い構えだ。
  左手を前、右手を後ろ、同一線上に揃えられた二つの握りは重なり、俺からは右手が見えない。
  穂先はぴたりと静止し、俺の喉を狙っているのが理解できた。
  ショートカットの黒髪、その下のはしばみ色の瞳が気負い無く、だが確かな攻撃の意思を秘めてこちらを見ている。

  「受けてきって見せろ。グレイ=ランフォード」

  薄く笑って、エルザが動く。
  片手突きの比ではない速度の突き。
  静止していた穂先がそのまま伸びてくる錯覚。

  がつっ!

  左のショートソードの『リカッソもどき』でそれを受け止める。
  かなり速いが、見切れないほどでは……

  ぎりっ!

気を抜きかけた俺の左手に猛烈な圧力がかかり、穂先とリカッソもどきが耳障りな悲鳴をあげる。

  「!?」

  槍は突いたら引き、また突く物。
  そんな思い込みが覆った。
  止めたはずの穂先が『伸びてきた』。
  圧力から逃げる様に後ろへ跳ぶが、穂先が離れない。
  何だこれは。
  俺が着地する。
  そこからまた先ほどの圧力が襲う。
  またしても穂先が伸びた。

  「くおっ!」

  出さない様に訓練を積んだはずの俺の口から、悲鳴とも気合いともつかぬ声が漏れる。
  身をよじって穂先から体を逃がし、ショートソードもねじり、突きの方向を逸らす。
  一瞬前に俺の顔があった空間が、穂先で貫かれていた。

  「ふむ。さすが長官に仕込まれただけのことはある。『三歩』を凌ぎきったか」

  突き終えた姿勢、踏み込み、前に出した左手に押し出した右手をくっつけた状態で、エルザが呟く。
  俺は俺で体をかわした姿勢のまま、絨毯に残る、俺へ迫った彼女の足跡を見る。
  最初の蹴り足、左足の跡。
  踏み込んだ右足の跡。
  その右足の跡の真横に左足が蹴った跡。
  更に踏み込んだ右足の跡、真横に左足が蹴った跡。
  更に更に踏み込んだ右足の跡が続き、今彼女の左足がその真横にあり、その先に踏み込んだ右足がある。

  「理解できたか?」

  値踏みする様な、エルザの声。

  「ああ、解った」

  突き込んだ槍を引くのではなく、運足で身体を引き付け、同時に両手を滑らかに動かして『突きの準備体勢』を整えて次の突きに繋げる。
  穂先は動かさずに。
  そしてそれを連続して、彼女の言う『三歩』分、行う事により、穂先がどんどんと伸びる様に見えたのだ。
  連続で突く技術は多いが、いずれも一旦引く。
  運足の継ぎ足し、槍を引かない、それを高速でかつ連続して行う。
  こんな技術は初めて目にした。

  「彼女の師は『槍の武神』とまで称えられた者だ。面白い技術だろう?」

  一部始終を見届けて、長官が言う。
  本当に面白そうな声で。
  俺はあの一瞬で、この広い執務室の中央から窓際まで追い込まれていた。
  もしあそこで体をかわさなかったら……押し込まれて顔に穴が開いていたかもしれない。

  「で、合格か?」

  ようやく姿勢を崩したエルザに、長官が問う。
  俺も体勢を戻し、ショートソードを納める。

  「はい。充分かと」

  完全に上から目線だ。

  きゅる!

  あの音が再び聞こえ、分割された棍棒と短槍が彼女の背に戻った。

  「そいつはどうも」

  今回の相棒も、気が合う気がしない。
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