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一章1
ニチジョウ
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晴れて『黒犬』に成った俺だが、『牙』の任務の性質上、毎日駆り出される事は無い。
ただ、これまた任務の性質上、ケルベロスの司令部の近くに『常駐』する必要もある。
マグダウェル公国首都、クーガドゥル。
三層の城壁を有した城塞都市である。
中央に『王宮区画』があり、その外周に貴族騎士という『上等』な人間が住む『上級区画』。
そのまた外周に平民・下級騎士の住む『下級区画』がある。
国王直属の部隊であるケルベロスの司令部があるのは、言うまでもなく『王宮区画』。
しかし『牙』という存在は大手を振って、これ見よがしに姿を晒す訳にはいかない。
よって常駐場所から、『王宮区画』と『上級区画』は選に漏れる。
俺が『常駐』しているのは、『下級区画』だ。
いわゆる『下町』であり、いい意味でも悪い意味でも他人との距離が近い。
『異分子』に対して敏感である訳で、身分がバレる可能性が高い。
だが言い換えれば『異分子と見なされなければ馴染む』という事でもある。
平民には農民、職人、猟師など、様々な職業を生業とする者がおり、城壁外の土地を農地や猟場として活用して生産を行っている。
そこで俺は『様々な日雇い労働で生計を立てる者』を装い、小さな貸し部屋に住む事にした。
肉体労働を主と周知させる事で、鍛えた肉体への違和感を消す。
儲け話に敏感で、出稼ぎで遠方へ出向く事も多々あると周知させる事で、不在時の違和感を消す。
マグダウェルは大陸の中央に位置し、南方に大きな港を持つウンディニア王国、東方に森林資源の豊富なシルフェニア王国、西方に工業の発達したノムリル共和国が存在する。
この三つの国とは同盟関係にあり、河川や陸路を介した貿易を行って、資源的・経済的に補い合っている。
これらの国々は行き来する手続きが簡単であるため、出稼ぎで出向く者も多いのだ。
俺はこうした背景も味方に、『下町』に馴染んでいた。
ここでの生活は五、六年になるだろうか、『子犬』時代から始めていた。
ステラ=ブライトという中年女性が大家を務める、木造二階建ての単身者用アパートの一室に間借りしている。
俺は木造の窓を開け放った。
「んー!」
眩しい昼の日光を上半身に浴び、目を細めて伸びをする。
次いで大きなあくびを一回。
俺の部屋は二階で、メインストリートから一本奥まるが、街路に面している。
街は活気に満ち、かなりの人通りがある。
「今起きたのかい。のんびりしてるね!」
下からの、はつらつとした声は聞き慣れている。
小太りで、赤茶色の髪を後頭部でお団子にまとめた中年女性、大家のステラだ。
「昨日は家計簿付けてて遅くて」
俺は窓枠から乗り出す様に、ステラに応える。
彼女は一人娘と共に、このアパートに住んでいる。
別の土地を買い、家を建てる程には儲かっていない訳だ。
「今月の家賃は絞り出せたんだろうね?」
一瞬、ステラの目が鋭く光る。
そりゃ向こうも生活かかってる訳だから、厳しくもなる。
「いやぁ、もう一働きしておかないとな、と言ったところかなぁと」
俺は後ろ頭を、こりこりと掻いて告げる。
苦笑いを作って。
「それじゃあさっさと稼いできな!」
ステラは俺の言葉に、片眉を吊り上げて語気を強める。
とはいえ、本気で怒っている訳でもない。
彼女は、時々夕食時にスープをお裾分けしてくれる程には人情味のある人間だ。
まあ、そのお裾分けにはもう一つ理由があるが。
「もう!お母さんったら、グレイさんをいじめないであげて」
ソプラノの女声が俺に助け船を出す。
これがもう一つの理由。
ステラの一人娘、サラだ。
「いや、いじめてはいないさね」
途端にステラの強かった語気がすぼまる。
「こんにちは、グレイさん」
こちらを見上げ、挨拶を送ってくるサラ。
その笑顔が眩しくて、俺は目を細める。
「ああ、こんにちは。サラ」
比喩ではない。
実際にサラは、日光の下で眩しい。
真白い肌に、真白い髪・眉・まつげ、アメシストの様な淡い紫の瞳。
アルビノ。
彼女は世にも珍しい特徴を持って生まれてきた。
色素という物がほとんど無いその姿は、自ら光を放つかの様に見える程だ。
サラは日除けのつば広な麦わら帽子の端を、手袋に包まれた細い指で持ち上げている。
「昨日のスープも旨かったよ」
お裾分けを持ってきてくれるのは、主にこの子だ。
歳は十八になるはずだ。
「それは良かった。わたしも嬉しいです」
彼女は極度に日光に弱い。
本来肌を守るはずの色素を欠いた肌は、わずかな時間日射しに晒されただけで火傷を負う。
そのため昼間は、ほぼ全身を服や手袋や靴下で覆っている。
そんな彼女がなぜ外にいるか。
その理由は麦わら帽子を持つ反対の手の中にあった。
じょうろだ。
このアパートの街路側には、広くはないが、花壇がある。
そこの花達の世話は、サラが強く望んで行っている。
「サラ、あんまりグレイを甘やかすんじゃないよ」
ステラは鼻息も荒く、腕を組みながら言う。
二人とはここでの生活を始めてからすぐに知り合い、世話になっている。
互いに遠慮は少ない。
俺も、『出稼ぎ』先で土産を買って届けたり、アパートでちょっとした修理を請け負ったりする。
「お。サラちゃん、こんにちは」
通りがかりの中年男性が気さくに声をかけている。
目立つ特徴を持ち、性格も穏やかなサラは、この『下町』ではちょっとした有名人だ。
「こんにちは」
サラも笑顔で応じている。
他にも彼女に挨拶をしていく人間は多い。
時には貴族の者まで、区画を超えてやってくる。
最も、そんな手合は彼女を愛人にと狙うクズが主だが。
招かれざる来訪者は『下町』の洗礼を受ける。
どこからかぶっかけられる水。
頭スレスレに落下してくる植木鉢。
気配も遠慮も無く突き刺さる、子供の指カンチョウ。
そしてもう一つの存在。
「こんにちは。サラさん、ステラさん」
大通りから路地を抜けて現れた男が、二人に挨拶する。
そして、
「ついでにグレイ」
「取って付けた様な」という形容詞の意味を、教科書の例文の如く俺に教えてくださった。
ヴェルナー=フリードリヒ。
痩身、眼鏡着用、瞳は俺の色より濃い青で、長い金髪をうなじ辺りで結んだ優男。
マグダウェル公国『衛士団』に所属し、この『下級区画』担当の責任者、区画長を務める者だ。
このいけすかねぇやせっぽちは、サラ目当ての貴族にも怯まず、法と理詰めで追い返すのだ。
「よう、ヴェルナー。今日も不景気なツラだな」
サラとステラがにこやかに挨拶を返す中、俺はシニカルな笑みで返す。
「不景気は貴様だろう。家賃滞納は続くと牢獄行きだぞ」
一笑いもせず、ヴェルナーが辛辣な言葉で応戦してくる。
俺を見上げ、眼鏡を、ついっと押し上げる。
キラッとレンズが日光を照り返して輝く。
その光は俺の目にもろに入る。
こいつ、わざとだ。
「まだ滞納するって決まった訳じゃねぇわ!」
俺は目を細めて、やせっぽちに噛みつく。
そんな俺に、ふっと鼻で笑って見せたヴェルナーは、
「昼飯を食おう」
と、誘ってきた。
こいつとも長い付き合いだ。
なんだかんだと罵詈雑言を交わしつつも、妙に馬が合う。
「ちっと待ってろ」
俺は右手をひらりと振って、室内へ引っ込む。
窓を閉め、鍵をかける。
実はこの部屋のドアに窓、壁も『工房』の手が入っている。
ガラスのような高級品が珍しい下町で一般的な、雨戸も兼ねる厚い木製の窓。
反対に安っぽく薄い玄関のドア。
そのどちらも鋼板が仕込んであり、容易に破る事は不可能なレベルである。
蝶番も特製で、分解して外すには、正しい手順を踏まねばならない。
鍵も簡単な構造ではなく、ピッキング程度ではどうにもできない。
壁も内側からのみだが、硬質な材質で補強されている。
俺は玄関横の衣装かけに無造作に被せた、ベージュ色のジャケットを羽織る。
任務中とは違う、薄い色の衣服を身に着けるのが、俺は好きだ。
血生臭い『仕事』を忘れて、束の間楽しめるから。
「待たせたな」
戸締まりを終え、階下へ降りた俺はヴェルナーに軽く声をかける。
「いってらっしゃい」
するといつの間にやら近づいて来たサラが、そっと見送りの言葉をくれた。
眩しい笑顔と共に。
「ああ、いってくる」
俺も笑顔で返すのだ。
これが、俺の『ニチジョウ』。
ただ、これまた任務の性質上、ケルベロスの司令部の近くに『常駐』する必要もある。
マグダウェル公国首都、クーガドゥル。
三層の城壁を有した城塞都市である。
中央に『王宮区画』があり、その外周に貴族騎士という『上等』な人間が住む『上級区画』。
そのまた外周に平民・下級騎士の住む『下級区画』がある。
国王直属の部隊であるケルベロスの司令部があるのは、言うまでもなく『王宮区画』。
しかし『牙』という存在は大手を振って、これ見よがしに姿を晒す訳にはいかない。
よって常駐場所から、『王宮区画』と『上級区画』は選に漏れる。
俺が『常駐』しているのは、『下級区画』だ。
いわゆる『下町』であり、いい意味でも悪い意味でも他人との距離が近い。
『異分子』に対して敏感である訳で、身分がバレる可能性が高い。
だが言い換えれば『異分子と見なされなければ馴染む』という事でもある。
平民には農民、職人、猟師など、様々な職業を生業とする者がおり、城壁外の土地を農地や猟場として活用して生産を行っている。
そこで俺は『様々な日雇い労働で生計を立てる者』を装い、小さな貸し部屋に住む事にした。
肉体労働を主と周知させる事で、鍛えた肉体への違和感を消す。
儲け話に敏感で、出稼ぎで遠方へ出向く事も多々あると周知させる事で、不在時の違和感を消す。
マグダウェルは大陸の中央に位置し、南方に大きな港を持つウンディニア王国、東方に森林資源の豊富なシルフェニア王国、西方に工業の発達したノムリル共和国が存在する。
この三つの国とは同盟関係にあり、河川や陸路を介した貿易を行って、資源的・経済的に補い合っている。
これらの国々は行き来する手続きが簡単であるため、出稼ぎで出向く者も多いのだ。
俺はこうした背景も味方に、『下町』に馴染んでいた。
ここでの生活は五、六年になるだろうか、『子犬』時代から始めていた。
ステラ=ブライトという中年女性が大家を務める、木造二階建ての単身者用アパートの一室に間借りしている。
俺は木造の窓を開け放った。
「んー!」
眩しい昼の日光を上半身に浴び、目を細めて伸びをする。
次いで大きなあくびを一回。
俺の部屋は二階で、メインストリートから一本奥まるが、街路に面している。
街は活気に満ち、かなりの人通りがある。
「今起きたのかい。のんびりしてるね!」
下からの、はつらつとした声は聞き慣れている。
小太りで、赤茶色の髪を後頭部でお団子にまとめた中年女性、大家のステラだ。
「昨日は家計簿付けてて遅くて」
俺は窓枠から乗り出す様に、ステラに応える。
彼女は一人娘と共に、このアパートに住んでいる。
別の土地を買い、家を建てる程には儲かっていない訳だ。
「今月の家賃は絞り出せたんだろうね?」
一瞬、ステラの目が鋭く光る。
そりゃ向こうも生活かかってる訳だから、厳しくもなる。
「いやぁ、もう一働きしておかないとな、と言ったところかなぁと」
俺は後ろ頭を、こりこりと掻いて告げる。
苦笑いを作って。
「それじゃあさっさと稼いできな!」
ステラは俺の言葉に、片眉を吊り上げて語気を強める。
とはいえ、本気で怒っている訳でもない。
彼女は、時々夕食時にスープをお裾分けしてくれる程には人情味のある人間だ。
まあ、そのお裾分けにはもう一つ理由があるが。
「もう!お母さんったら、グレイさんをいじめないであげて」
ソプラノの女声が俺に助け船を出す。
これがもう一つの理由。
ステラの一人娘、サラだ。
「いや、いじめてはいないさね」
途端にステラの強かった語気がすぼまる。
「こんにちは、グレイさん」
こちらを見上げ、挨拶を送ってくるサラ。
その笑顔が眩しくて、俺は目を細める。
「ああ、こんにちは。サラ」
比喩ではない。
実際にサラは、日光の下で眩しい。
真白い肌に、真白い髪・眉・まつげ、アメシストの様な淡い紫の瞳。
アルビノ。
彼女は世にも珍しい特徴を持って生まれてきた。
色素という物がほとんど無いその姿は、自ら光を放つかの様に見える程だ。
サラは日除けのつば広な麦わら帽子の端を、手袋に包まれた細い指で持ち上げている。
「昨日のスープも旨かったよ」
お裾分けを持ってきてくれるのは、主にこの子だ。
歳は十八になるはずだ。
「それは良かった。わたしも嬉しいです」
彼女は極度に日光に弱い。
本来肌を守るはずの色素を欠いた肌は、わずかな時間日射しに晒されただけで火傷を負う。
そのため昼間は、ほぼ全身を服や手袋や靴下で覆っている。
そんな彼女がなぜ外にいるか。
その理由は麦わら帽子を持つ反対の手の中にあった。
じょうろだ。
このアパートの街路側には、広くはないが、花壇がある。
そこの花達の世話は、サラが強く望んで行っている。
「サラ、あんまりグレイを甘やかすんじゃないよ」
ステラは鼻息も荒く、腕を組みながら言う。
二人とはここでの生活を始めてからすぐに知り合い、世話になっている。
互いに遠慮は少ない。
俺も、『出稼ぎ』先で土産を買って届けたり、アパートでちょっとした修理を請け負ったりする。
「お。サラちゃん、こんにちは」
通りがかりの中年男性が気さくに声をかけている。
目立つ特徴を持ち、性格も穏やかなサラは、この『下町』ではちょっとした有名人だ。
「こんにちは」
サラも笑顔で応じている。
他にも彼女に挨拶をしていく人間は多い。
時には貴族の者まで、区画を超えてやってくる。
最も、そんな手合は彼女を愛人にと狙うクズが主だが。
招かれざる来訪者は『下町』の洗礼を受ける。
どこからかぶっかけられる水。
頭スレスレに落下してくる植木鉢。
気配も遠慮も無く突き刺さる、子供の指カンチョウ。
そしてもう一つの存在。
「こんにちは。サラさん、ステラさん」
大通りから路地を抜けて現れた男が、二人に挨拶する。
そして、
「ついでにグレイ」
「取って付けた様な」という形容詞の意味を、教科書の例文の如く俺に教えてくださった。
ヴェルナー=フリードリヒ。
痩身、眼鏡着用、瞳は俺の色より濃い青で、長い金髪をうなじ辺りで結んだ優男。
マグダウェル公国『衛士団』に所属し、この『下級区画』担当の責任者、区画長を務める者だ。
このいけすかねぇやせっぽちは、サラ目当ての貴族にも怯まず、法と理詰めで追い返すのだ。
「よう、ヴェルナー。今日も不景気なツラだな」
サラとステラがにこやかに挨拶を返す中、俺はシニカルな笑みで返す。
「不景気は貴様だろう。家賃滞納は続くと牢獄行きだぞ」
一笑いもせず、ヴェルナーが辛辣な言葉で応戦してくる。
俺を見上げ、眼鏡を、ついっと押し上げる。
キラッとレンズが日光を照り返して輝く。
その光は俺の目にもろに入る。
こいつ、わざとだ。
「まだ滞納するって決まった訳じゃねぇわ!」
俺は目を細めて、やせっぽちに噛みつく。
そんな俺に、ふっと鼻で笑って見せたヴェルナーは、
「昼飯を食おう」
と、誘ってきた。
こいつとも長い付き合いだ。
なんだかんだと罵詈雑言を交わしつつも、妙に馬が合う。
「ちっと待ってろ」
俺は右手をひらりと振って、室内へ引っ込む。
窓を閉め、鍵をかける。
実はこの部屋のドアに窓、壁も『工房』の手が入っている。
ガラスのような高級品が珍しい下町で一般的な、雨戸も兼ねる厚い木製の窓。
反対に安っぽく薄い玄関のドア。
そのどちらも鋼板が仕込んであり、容易に破る事は不可能なレベルである。
蝶番も特製で、分解して外すには、正しい手順を踏まねばならない。
鍵も簡単な構造ではなく、ピッキング程度ではどうにもできない。
壁も内側からのみだが、硬質な材質で補強されている。
俺は玄関横の衣装かけに無造作に被せた、ベージュ色のジャケットを羽織る。
任務中とは違う、薄い色の衣服を身に着けるのが、俺は好きだ。
血生臭い『仕事』を忘れて、束の間楽しめるから。
「待たせたな」
戸締まりを終え、階下へ降りた俺はヴェルナーに軽く声をかける。
「いってらっしゃい」
するといつの間にやら近づいて来たサラが、そっと見送りの言葉をくれた。
眩しい笑顔と共に。
「ああ、いってくる」
俺も笑顔で返すのだ。
これが、俺の『ニチジョウ』。
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