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【清掃日誌34】 ぬいぐるみ

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とうとう倹約令が発令された。


今回のスローガンは
《欲しがりません勝つまでは》
《贅沢は敵だ》
だそうだ。
きっと俺にも声が掛かっていた愛国キャッチコピー懸賞の優勝作があれなのだろう。


非常に好戦的な文言。
つまり、懸賞の本尊が軍部ではない事を意味する。
(彼らは勇ましい素人を嫌うからな。)


横断幕に引き摺られたのか、街には打倒帝国の声が徐々に高まりつつある。
そしてついに先日。
70年前に当時の帝国皇太子夫妻によって植樹された中央公園のサクラの樹が無惨にも切り倒された。
市民の暴発か、当局の工作か、もはや確かめる術はない。




=========================




財布にはかなりカネが詰まっている。
結局、養鶏場の件ではヘルマン爺さんからは過分な大金を押し付けられたからだ。
明らかに貰い過ぎなので支払額の根拠を尋ねるが、何度問い質しても機嫌良さげに「孝行しろ。」と笑うだけだった。
悪党の老いは、時に善人の死よりも物悲しい。



さて。
このカネで皆に餞別でも贈ろうと思ったのだが、食料を扱う店はどこも品薄だった。

市場に物がない。
皆が血眼になって物資を買い溜め… いや買い占めている為である。


俺の眼前でも、カート一杯に商品を抱え込んでいる老夫妻が居る。
見た所、身なりに品があり、日頃は善男善女である事が窺い知れる。


「別に違法じゃないでしょ!」


不意に老婦人が叫んだので、最初は俺に向けた物だと理解出来なかった。


「ちゃんと代金は払ってるんだから!
非難される謂われはないわよ!」


あ、そうか。
ついつい俺が老夫妻を見ていたものだから、彼らは咎められたと感じたのだ。


『そうですね。』


と答えておいた。
仕方ないだろう?
他に言いようもないのだから。


買い占め組は決済が終わると逃げるように走り去って行く。
そりゃあそうだ。
この物資不足のご時世、買い占めしている所を見られたくないよな。




俺の順番が回ってきた頃には、食料になりそうな物は見当たらなかった。
すぐ前を並んでいた青年が「恨むなよ! 俺にだって生活があるんだ!」と怒鳴って来る。

ああ、そうか。
彼は残りの食料を全て買った事を心苦しく思っているのだ。


『それはそれは御丁寧にどうも。』


俺がそう答えると。


「馬鹿にするな!!」


と叫んで青年も紙袋を抱きしめて走り去る。


安心してくれ。
俺は俺以上の馬鹿を知らない。





愚鈍な俺がボーっと立っていると、店主が申し訳無さそうに近づいて来る。



「旦那。  
申し訳御座いません。
もう品切れなんです!
ずっと順番を守って並んでおられましたよね?
当店としても心苦しいのですが…」



『あー、いやいや。
どうかお気になさらずに。

あ、じゃあ。
折角ですから、あそこの戸棚のぬいぐるみを買わせて貰います。』



「は?
ぬいぐるみをですか?」



『ええ、あそこの大きな子熊のぬいぐるみ。
アレを包んで下さい。』


「か、畏まりました!
こ、このご時世ですものね。
お子様もきっと喜ぶ事でしょう!」


『ははは。
子も妻もおりませんよ。
勿論恋人もね。』


哲学的ジョークの一種と解釈されたのか、店主は必死に作り笑いをしてくれた。
なるほど、悪くないかも知れないな。


ん?
君もそう思わない?

じゃあ、笑えよ。



=========================



オッサンが巨大なぬいぐるみを抱えて歩くのが珍しかったのかも知れない。
往来を行く者が全員振り返り、俺と目が合うと慌てて逃げ去ってしまった。
とんだパブリックエネミーである。



「待っててば!

はあはあ。
やっと追いついた。」



呼び止める声に振り返ると、見覚えのある声である。



『やあ、店番屋さん。』



工業区のレストランで珍妙な商売をしていた少女が立っていた。
この子のシノギを潰したのが俺なので、未だに心苦しい。



「店には私も居たんだ。
お兄さんに話しかけようとしたら、世話になった社長さんに挨拶をされてしまってね。
声を掛けそびれてしまったんだよ。」



『ああ、ゴメン。
ちょっと考え事をしていてね。』



「…。」



『…ん?
どうしたの?』



「何で順番を飛ばさせたの?」



『ん?』



「みんな列を無視してたのにお兄さんだけが整列ゾーンに並んでたでしょ。」



『そうだったかな?』



「ああいうの、挑発的に見えるから止めた方がいいよ。」



『…。』



「前から少し気になってたけど。
お兄さんって、執拗にルールやマナーを守ろうとする時あるよね?
アレ、悪い癖だよ。
周りの弱い人間から見れば責められているように感じるんだ。

治した方がいい。」



『…考えとくよ。』



「そういう人間は孤立する、嫌われる、憎まれる。
それだけなら何ともないんだけど。
周りの人間に被害が及ぶ。」



『…店番屋さんがそうだったの?』



「…かもね。」



俺が通りのベンチに座ると店番屋も隣に座った。
この子には伝えなくてはならない事、償わなくてはならない事があるのだが、いつも言葉にならないから困る。



『ねえ。』


「あ、うん!」


『店番屋さんは。』


「……うん。」


『何か、望みはあるか?』


「…!」


『あ、いや。
深い意味は無いんだ。
店番屋さんには迷惑を掛けてしまったし
何より世話になった。

キミに望みがあれば、と思って。』



「…ささやかな望みが1つだけ。」



『うん。』



「子供の頃から恋焦がれていたけど。」



『うん。』



「その人はとっても酷い人なんだ。
私、結構傷付いてるんだよ?」



『?
何か欲しいものがあれば…』



「お兄さん!」



『?』



「私、ノーラって言うの。

これ孤児院が付けた名前!
昔の偉い聖女サマの名前なんだってさ!
本当の名前は知らない!

大嫌いな名前!
でも! それでも!」



『あ、うん。』



「…。」



『…。』



「今日も望みは叶わない。」



『?』



「ねえ、お兄さんは自分の名前、好き?」



『いや、考えた事はないよ。
中等部の頃、隣のクラスに苗字が同じのポールソン君が居てさ。
そいつは優秀でいつも比べられてたから、それは嫌だったかな。』



「…。」



『ねえ、店番屋さん。』



「…。」



『店番屋さん?』



「聞こえてるわよ!」



『当面、物資不足は終わらない。
仮に今、交易封鎖を解除出来たとしても市場に届くまで数日のタイムラグが生じるだろう。』



「そう。」



『これで何とか凌いでくれ。』



「ちょ!
何よいきなり!
こんな大金受け取れる訳ないでしょ!」



『カネはあって困るものじゃない。
役に立つからどうか受け取って欲しい。』



「…役に立たない方を貰えれば
今日死んでも悔いはなかったのに。」



『?


まあいい。
君には世話になった。
感謝もしている。

状況を凌ぎ切れなくなったら
中央区3番街のブラウン邸を訪ねて欲しい。
ジミー・ブラウン氏だ。
色々頼んである。』



「ねえ、お兄さんは… 
ポールはどこかに行くの?」




『別に。
まあ、仕事とか色々あるし。

じゃあ、俺はもう行くから。
最後に会えて良かったよ。』




「最後?
ちょっと待って!
最後ってどういうこと!?

ねえ!」



『もう馬車も来たから行くよ。
じゃあ、元気でな。』




=========================




まったく。
メシを買いに行くだけのつもりだったのにな。

さて、待ち合わせの時間だ。
冒険者ギルドの購買部なんて初めてだから案内は非常に助かる。



『ニック、色々悪いな。
おかげで最低限の準備は整った。

これナナリーさんへのミルク。

結構探したんだけどさ、大衆用の粉ミルクは手に入らなかったよ。
貴族用のボッタクリミルクなんて買いたくもなかったけど。
女の人の好きそうなパッケージデザインだし、まあ我慢して貰おう。』



「兄貴。」



『?』



「せめて一目でいいんだ。
姉さんに顔を見せてやってくれないか?」



『また今度時間ある時にゆっくりとな。』



「じゃあ、せめて俺も連れて行ってくれよ。
兄貴には内緒にしてたけど。
かなりレベルは高いつもりだ。
スキルも… 荒事の役に立つものを持っている。
ステータスを見て貰えば納得出来る筈だ。」



『おいおい物騒だな。
ただの出張だよ。

それに両方が死んだらナナリーさんが困るだろうが。』



「死ぬ前提がある時点で出張じゃねーよ!」




『もしもの話だよ。
じゃ、そのミルク…

あ、これも。
生活費の足しにしてくれよ。』



「受け取れる訳ねーだろ!!」



『ニックには世話になってるから…

あ、じゃあ。
姪御さんに、このぬいぐるみどう?
まだ年齢的にはわからないかな?』



「この状況以外なら喜んで受け取ったんだがな。
なあ、頼むから姉さんにこれ以上呪いを掛けないでくれ。」




『?

まあいい。
すぐに帰るよ。
また一緒に飲みに行こうぜ。』



「…すぐ帰る奴が餞別なんか渡すんじゃねーよ。」



『じゃあ、手筈通り頼むぞ?
色々押し付けてゴメンな。』



「兄貴の指示通り、デモに参加してた連中を屋内栽培に割り振ってる。
今のところ、ゴブリン達との揉め事は起こってない。
魔界アレルギーの強い奴には別の仕事に回って貰った。
進展次第では、ノーラさんにもシノギを返せるかも知れない。

これでいいんだな?」



『何から何まで済まない。』



「こっちの台詞だよ。

カネ、受け取れない。
返すよ。」



『じゃあ、港湾区への寄付って事で。
ニックの判断で皆の為に使ってくれ。』



「こっちは一介の職人だぜ?
そんな判断出来る訳ないだろう。」



『もしもそこにポール・ポールソンがいたら出費しそうな場面で出費して。』



「…わかった。
一番馬鹿げた場面で出す。」



『ニックが居てくれて本当に良かったよ。』



「これからも居てやる。
だから、アンタも居て欲しい。」


『…。』


「…。」


最後に強く抱擁してから別れた。
お互い、やるべき事は山ほどある。



=========================



「何だ?
娘ならいないぞ。」



『ああ、それは残念です。』



「…よく言うぜ。

なあ、指摘しようか迷っていたことだが。
毎回毎回アイツの出て行ったタイミングを狙って来るのはやめてやれ。
ああ見えてメアリは繊細な女だ。」



『…。
時間が無いので本題に入ります。』



「ああ。」



『炊き出しの許可を取得しました。
工業区からの許可証、置いておきます。
治安局員に話の通っていない者が居た場合、俺の名前を出して下さい。

期間中はジャンクマンからの助っ人が来ます。
打ち合わせでは2名ということでしたが、調理経験者は1名しか出せないそうです。』



「いや、この大変な時期にありがたいよ。
感謝しかない。」



『そしてこちらが、ワカメという外来種です。
以前、海岸で猛威を振るったニュースは覚えておられると思います。
恐らくは異世界から召喚されたものかと。』




「ああ、これがワカメか。
噂通りおぞましい姿だ。」




『単刀直入にお願いします。
これを何とか食べれるように調整して下さい。
現在の食糧状況では、使える物を総動員しなければなりません。』



「異世界からの有害外来種は、基本根絶だろう?」



『勿論。
この世界に異世界からの闖入者なんて百害あって一利ありません。
なので、あくまで根絶手段模索の為の調査活用、という名目になります。』



「相変わらず役人は作文だけが上手だな。」



『産業局とアカデミーの合同調査が先週完了したのですが。
栄養価自体は悪くありません。
いや、寧ろ非常に高い栄養価であるとのお墨付きを得れました。
厳重にチェックしましたが、有害成分もゼロとのことです。

…ただ。』



「味と見た目と食感が最悪だな。
食べ物って栄養さえあればいい訳じゃないからな。」



『ええ、無理にゲテモノ食を推進すれば…
確実にパニックが起こります。
あくまで陽気に、ちょっとしたお祭り感覚で新レシピを披露して欲しいのです。』



「港湾区じゃ餓死者が増えてるそうじゃないか。
お祭りって言われてもな。」



『店主の腕次第です。

旨ければ祭りムードに、マズければ葬式ムードに。
料理ってそういうものでしょう?』



「わかった。
俺の見立てじゃあ…
かろうじてスープに使えるか否かだが
かなり味付けを選…

まあいい。
俺もプロだ。
何とか食べられるレシピを完成させる。」



『幸か不幸か供給量は無限にあります。
何せムール貝やホタテの養殖業者を何社も倒産させたくらいの繁殖力ですから。』



「海も陸も地獄だな。
まあいい。
ワカメスープ、完成させて見せるよ。
炊き出しまでには間に合わせる。」



『貴方にはご迷惑ばかりお掛けします。』



「いいさ。
知らない仲じゃない。」



『こちらは経費としてお使い下さい。』



「駄目だ。
どうせ自腹なんだろ?

…行くのか?」



『単なる出張ですよ。

あ、そうだ。
このぬいぐるみ。
娘さんに、どうでしょう?』



「本当に繊細な子なんだ。
これ以上傷つけないでやってくれ。」



『…。』



「…帰って来たら。
遊びに来い。
好きなだけメシを喰わせてやる。
オマエなら母屋で食わせてやってもいい。」



『…。』




「今度は娘が居る時に入って来い!
いいな、待ってるぞ!」



=========================





「よう、相棒。」


『…やあ、呼びつけてしまって申し訳ない。』



盗賊王ギリアム・ギア。
現時点で俺が切れる最高のカード。
こういう場面でこそ国家が活用すべき人材だが…
まあ流石にヤクザを徴用するのは現実的ではないしな。



「なあに。
ヤクザの仕事は太いパトロンを見つける事だからな。
まさかあれほどの額の前金が送りつけられるなんて想定してなかったが。」



『その分、働いてもらう。
概要は、アンタなら俺より把握してるよな?』



「街道封鎖。
我が国が首長国内に保有している物流センターが、越境した帝国軍に占拠されている。
恐らく、故意に首長国が攻めさせた。
相当量の物資が接収され、更には財界の偉いさん達が人質に取られている。

…最悪の状況だな。」



『流石だな。
ただ、表向きは機密ってことになってるから。
兵隊さん達の前じゃ知らないフリくらいはしておけよ。』



「了解。

なあ、身内だから褒める訳じゃないんだが。
こういう場面こそ、妹は役に立つぞ。
潜入にも戦闘にも使える面白いスキルを…」



『契約は守れよ?』



「はいはい。
酷い男だぜ。
安心しろ。
どのみち指名された俺しかソドムタウンには入れない。
ちゃんと1人で来たぜ。」



『じゃあ、出発しよう。』



「オマエ、最近ちゃんと寝てる訳?
かなりの凶相になってるぞ。」



『普段寝てる。』



「あっそ。
じゃあ、行くか。

どうだ?
少しは馬術は上達したのか?」



『するわけ無いだろ。
それを補うのがアンタの仕事だ。』



「ハイハイ。
無茶振りをするボスだぜ。」



今回は軍馬調教された最高級馬を選んでいる。
値が張っただけあって、気性も脚も最高だ。
今なら乗馬にハマる連中の気持ちも解かるような気がする。

そして巧者ギリアム・ギアが先導してくれている安心感は想像以上に大きい。
口の悪さもあの男なりのサービスなのだろう。
この臆病者にはありがたい。



「なあ、ボス!」


『騎乗中に話しかけるな!
アンタと違って不慣れなんだ!』



「さっきメッセンジャーに渡していた人形!
あれ、女だろ!

誰に贈ったんだよ!?」



『忘れたよ!
仕事中に無駄口叩くな!』



「俺の妹より美人か!?」



『だから!
そんなのじゃない!
あれは!
たまたま付き合いで買っただけ!

邪魔だから!
捨てさせたんだ!』



「嘘だ!
あのメッセンジャー!
何かを託された男の顔だった!
俺にはわかる!

なあ! 
大事なことなんだよ!

どんな女だ!!
妹よりいい女なのか!?

こんな俺だけど!
それでも!
一度くらい兄らしいことをしてやりたいんだよ!!」




奇遇だな相棒。
丁度、俺もアンタと同じ理由なんだ。

人生一度くらい。
兄貴らしいことをしてやりたいよな。
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