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【清掃日誌12】 屑野菜
しおりを挟む俺が盾にしていた瓦礫は、敵の発射した術弾によって一瞬で粉砕される。
轟音と共に跳ねた破片が俺の肩口を切った。
『セット!』
瓦礫越しに構えていた照準内に奴を捉える。
当然、奴も俺の眉間を完全にロックオンしていた。
目測5メートル。
スキル使い同士の決闘なら、まず両方が致命傷を負う距離だ。
奴と目が合うが特に驚きはない。
最初に逢った時から、この日は予見出来ていた。
『ゴメン。
ここまで酷いとは思っても居なかったよ。』
「いや、ポールの兄貴が気に病む事じゃねーよ。
まあ、どこかで儲けてるカネ持ち野郎が居るんだろうけどさ。」
港湾区の労働者賃金。
大体、平均で8千ウェンくらいか。
さっき聞き取りして回ったが、熟練工なら1万ウェン強って所が相場だな。
そんな賃金水準の区域で、リンゴ1つに1200ウェンは出せない。
先日、食料高騰への抗議デモが港湾区と工業区で実施され、ようやく俺は事態の異常性を知った。
乳母のマーサに確認した所、この半年で食品価格(特に生鮮食品)は2倍近くまで値上がりしていたそうだ。
物価高騰は知っていたが、あまり真面目に捉えていなかった。
答えは簡単、我が家が裕福だからだ。
「それにしても、こちらこそ感謝だよ。
兄貴がくれた差し入れでしばらく暮らせそうだ。
ライムジュースって身体にいいんだろ?」
『ジュース配るくらしか能のない男だよ。
デモの話を聞いて、ふと心配になってね。』
眼前の少年は港湾区で解体職人をしているニック。
最近親しくなった飲み友達だ。
一緒に深夜パーティーでナンパ遊びをした事もある。
「姉さんも感激していたよ。
ポールの兄貴にまた逢いたい、ってずっと言ってたからさ。」
『また機会を見て遊びに行くよ。
3人でメシでも行こう。』
「ゴメンな。
そこまで気を遣ってくれるのは兄貴くらいしかいなくてさ。」
『俺が君をダシにして姉さんに会いたいだけさ。
男の浅はかな下心だよ。』
今日、俺はニックに案内されて港湾区のスラムにある商店を回っている。
元々物価の高いソドムタウンだが、この一ヶ月の高騰ぶりは異常である。
理由は簡単。
帝国から輸入する一部の食糧が激減したからである。
別に経済封鎖をされた訳ではない。
対王国戦があまりに激化しているので、各地の帝国貴族が物資の抱え込みを開始したのだ。
(帝国は必死に否定しているが、どうやら内紛が発生しているらしい。)
我が国の輸入業者は慌てて首長国や連邦からの買い付け量を増やしたものの、輸入品というのは今日契約したからと言って明日届くものではない。
穀物自体は足りている。
少なくとも政府や神聖教団が恩着せがましく配給を行うくらいは我が国に積み上がっている。
何せキャッシュの無い帝国や王国が非常備蓄を放出してまで届けてくれるのだから。
俗に言う《飢餓輸出》という愚行だ。
足りないのは野菜・果物などの生鮮食品。
今までは膨大な輸入量が需要を満たしていたが、帝国の混乱で必要最低ラインを割った。
世界一自給率の低い我が国である、生鮮食品の価格は一瞬で高騰し真っ先に経済弱者を直撃した。
そしてとうとう。
パンと井戸水で窮状を凌いでいた彼らの怒りが、抗議デモという形で先日爆発した。
ニック達が心配になった俺は慌てて駆けつけた、という訳だ。
「役人たちは《パンがあるじゃないか》って言うんだけどさ。
値上がりしてるのは野菜だけじゃねーっつーの。」
『そのパンの値上がりも酷いみたいだね。』
「そうなんだよ。
先月までは1個200ウェンだったものが、今は350ウェンだ。
俺がガキの頃は100ウェンでもっと大きなパンが買えたんだぜ!?」
『…すまない。
来る時にパンも買えば良かったな。』
「いや! ポールの兄貴が気に病む事じゃねーよ。
俺こそ文句ばっかり言ってゴメン。」
『パンだけあっても栄養足りないだろう?
みんなどうしてるんだ?』
「闇市だよ。
決まってるだろ。」
『闇市って、あれでしょ?
規格に満たない粗悪品ばっかり売ってるって聞いたことあるよ。』
「普通なら俺達も闇市なんか行かないよ。
でも背に腹は代えられないだろう。
今月だけでかなりの人数が食中毒でくたばったけどさぁ。
仕方ないんだよ。
パンと井戸水だけじゃ早かれ遅かれ死んじまうからな。」
『港湾区ではみんな闇市に行ってるのかい?』
「…ああ、みんなだよ。
商店は、どんどん値上がりするしさ。
俺の安賃金じゃ、もう正規品は買えないんだよ。
兄貴。
ほら、あそこのゴブリンの婆さん。
あれが店番さ。
階段の奥が闇市になってる。
よお婆さん!
物資は入ってるかい?」
「ああ、いらっしゃい。
朝に殆ど売り切れたよ。」
「トマトは幾ら?
あのシワシワの臭っいトマト。」
「1個500ウェン。」
「500?
嘘だろ?
先週は400ウェンだったじゃないか!」
「摘発が厳しくなってるんだよ。
昨日から凄腕の捜査官が赴任してきたみたいでね。」
「捜査官!?」
「アンタも気を付けな。
黒いフードの男だそうだ。
腕っぷしが強い上に相当頭が切れる。
昨日だけで、闇農園を5つも見つけられちまった。」
闇農園という単語が気になったのでゴブリンの老婆に尋ねる。
少し渋られたが、チップを無理に握らせると色々と教えてくれた。
信じ難い事だが、廃屋と工業廃水を利用して野菜を栽培している者が多数存在するらしい。
『お言葉ですが、ご婦人。
そんな環境で育てられた作物は明らかに有害です。』
「だろうね。
あまりに酷いから、みんな屑野菜って呼んでる。
でも仕方ないだろう?
食べなきゃ死んじまうんだから。」
『…それに。
政府は市内での栽培行為を禁止しております。』
「街中での栽培が御法度なのは知ってるよ。
捕まれば魔族のアタシは強制送還だろうね。
魔界じゃ食べて行けないからこっちに出稼ぎに来たのに…
まさか天下のソドムタウンで飢える羽目になるとはね。」
聞けば魔界には、まともな農地が存在しないらしい。
どうやら我々人間種とは農業の概念が大きく異なるようだ。
工業廃水を利用した屑野菜生産方法を考案したのがゴブリン労働者だったのも、その背景の所為だろう。
当初は《魔族の蛮習》と嘲笑されていたが、急激な生鮮高騰により笑っていた筈の人間種も模倣し始めたということである。
現在、港湾区の各所で屑野菜が生産されている。
そして物価の高騰と共に、工業区や商業区へと広まっているのだ。
当初、警告ビラのみで対処していた当局だったが、商業区で死者が出た事により捜査を本格化させた。
ここから先は報道が規制されているのだが。
つい昨日、大規模な家宅捜査で十数名が逮捕され、抵抗した何人かが斬られた。
その捜査の陣頭に立っているのが、黒いフードの凄腕捜査官とのこと。
「マジで強いんだよ!
ウチの親分が軽々制圧されちまった!
剣も強いし、変なスキルまで使って来やがる!」
怯えた表情で教えてくれたのは、オークの青年である。
ニックとは現場仕事で何度か一緒になった事があるそうだ。
『うーん、でもお兄さんもかなり強そうに見えるけどね。
ガタイ凄いし。
オークの人ってあれでしょ?
人間種とは比べ物にならない怪力だって聞くよ?』
「…俺達オークが強いって言っても
せいぜい人間種さんの2倍あるか無いかっスよ。
でもあの黒フードは別格でした。
アレはかなりの修羅場潜ってますね。
親分には悪いけど、逃げて正解でしたっスよ。
アイツ異常なんですよ!
休憩も取らずにひたすら速足で歩きまわってる!」
『じゃあ、君たちの闇農園も?』
「機材全部没収っス。
捕まった仲間は全員魔界に強制送還決定。
まあ、元々空き家を勝手に使ってた俺らが悪いんスけど。
…皮肉な事にその空き家の解体作業を来週から請け負う事に決まりました。
多分ニック君の会社と共同作業になると思う。」
「ああ、それ多分俺も駆り出されるわ。
現場じゃ宜しくね。
それにしてもホント、皮肉だよな。
ってか明日から何を食えって言うんだよ。」
「ゴブリンの連中がこっそり魚取ってるんだけど…
俺達オークグループも誘われてるんだよ。
ニック君も魚チーム入るか?」
「…パンが無くなったら混ぜてよ。」
状況はかなり悪くなっているな。
まるで兵糧攻めだ。
==========================
ここに500ウェンで買った人参がある。
闇市で一本だけ売れ残っていた。
…鼻を近づけると仄かに異臭がする。
色合いも通常の人参より紫掛かっているし、不自然にシワが多い。
屑野菜とはよく言ったものである。
「でもなあ。
正規の商店じゃあ1200ウェンするんだ。」
『この野菜、どうするの?』
「そのままじゃ食べれないから
長めに煮込んでる。
ゴブリンの連中は魚と一緒に煮込むらしい。
流石に…
そこまでは出来ないけどさ。」
『調味料、持って来ようか?』
「ハーブソルトって兄貴が住んでる辺りで売ってるんだろ?
いつか借りは返すから…」
『次に持って来るよ。
友達だろ、貸しとか借りとかやめよう。』
「わかった。
でも借りって事にさせてくれよ。」
『うん、貸しておくよ。』
「ありがとう。
まあ、俺はいいさ。
いざとなれば商業区に流れるって手もあるし
…冒険者に落ちてもいいかな。」
『ニック!』
「わかってる。
冒険者なんて最後の手段だよ。
まずはゴブリンの魚チームに混ぜて貰うよ。
アイツら、人間種の見張り要員を欲しがってるから、歓迎はしてくれるだろう。」
『俺の家に来いよ。
父さんに頼んで従業員枠作ってやるからさ。』
「兄貴は優しいな。
でもやめとくよ。
そうしたら本当に兄貴が姉さんを引き取る羽目になるから。
乳飲み子抱えた火傷女なんて、押し付ける訳にはいかないからな。」
『ナナリーさんが嫌でなければ養っても構わない。
必要であれば籍も入れる。』
「あのなあ。
2度しか会った事のない女だろ。
大体、身分違いだよ。
こっちは貧民なんだぜ?
社長と貧民は結婚できない、常識だろ。
気持ちは嬉しいけど。
姉さんの前でそんな事言わないでくれよ。
真面目過ぎる人だからさ。」
『限界になる前に声を掛けてくれ。
何とかする。』
「ありがと。
気が向いたら妾にでもしてやってくれ。
まあ、当面は食い物の確保だ。
このままじゃ俺も飢え死にしちまうから。」
『俺も?』
「ああ、餓死者も増えてるよ。
年寄りとか病人とか、普通に死んでる。
…いつものことだよ。
どうせ港湾区で何人死んでもニュースにはならないだけでさ。」
『…。』
「おいおい、兄貴を責めてる訳じゃないんだぜ。
弱い奴から死んでいくのは仕方のないことじゃないか。」
『でも、殺されるのは仕方なくないよ。』
「…いい歳してガキみたいなこと言う人だな。」
『毒、俺なら抜けるかも知れない。』
「ああ、兄貴も変なスキル使えるもんな。
アレってなんなんだ?」
『掃除… 的な。』
「ああ、家業の為に練習したんだな。
じゃあ、消毒…
も出来るかもってこと?」
『…この人参で試していい?』
「兄貴が買ってくれたものだからな。」
『…セット』
俺、何やってるんだろうな?
==========================
「いやあ、凄い男だとは思ってたけどさ。
兄貴は別格だわ。」
『どう?
人参に変化はあった。』
「見た目はそんなに…
いや、臭いが消えてるわ!
全然変な臭いがしない!」
『…そうか。
それは幸いだ。』
「って兄貴大丈夫!?
凄い汗だよ!?」
背中の汗が止まらない。
触媒さえあればコンテナごと浄化する事も可能だと思うのだが…
流石に初めての使い方で無触媒は無茶だったか。
本当に俺は何をやってるんだろうな。
胃酸が止め処なく上がって来る…
「兄貴!」
『ゴメンゴメン。
少し立ち眩みがしただけだよ。』
再度、ニックの家を訪れ食糧を一通り【清掃(クリーンアップ)】する。
触媒は銀貨2枚。
多分銅貨1枚でも成功していただろう。
「あの、ポールソンさん…
何から何まで…
もう何と申し上げて宜しいか…」
『…余計なお節介を致しました。
少しは安全になったと思います。』
「泣くなよ姉さん。
兄貴が困ってるだろ。」
やはり赤ん坊の発育が悪いな。
もうすぐ一歳なら、普通はもう少し大きくなっていると思うのだが。
この栄養状態じゃ母乳は出にくいだろうな。
乾燥ミルク、それも安全性の高いブランドの…
じゃあ貴族区に行くしかないか…
いや、買うんだ。
それでニックに託そう。
しばらく寡婦のナナリーと雑談をして過ごす。
富裕区のオペラに興味があったようなので、疎いながらも知識を総動員して話題を膨らませた。
観劇を誘ってみると酷く申し訳なさそうな表情をしたので、強く誘っておいた。
「兄貴、ちょっといい!?」
『ん、どうしたの?』
「ちょっと。
姉さん、兄貴を借りるよ!」
ニックに戸外まで引っ張り出される。
「さっきの闇市、ガサ入れが入りそうだ。
黒フードに嗅ぎつけられて、治安部隊を呼ばれたって。」
『治安部隊が到着したらどうなる?』
「逮捕されて全員強制送還だよ!
あそこ魔族の寮だから、施設を見られたら終わりだ。
…あの婆さんには、近所の連中も結構世話になってるんだ。
俺達に安く売ってくれてるのも、元々はあの婆さんが仲間内に頼んでくれたおかげらしいしさ。
魔族だって身内でこっそり食べてる分には捕まらなかっただろうしさ。」
勿論、外国籍労働者が違法行為を行ったのなら強制送還されるべきだ。
当然俺もそう思う。
ただ、嫌でもゴブリンの老婆の顔が脳裏に浮かんでしまう。
縁など持つべきではないな。
==========================
治安部隊が遠巻きに包囲していたので、建物の屋根沿いに闇市ビルに入る。
2階と3階が屑野菜工場になっていた。
「何しに来たんだい!」
「婆さん達が逮捕されちまったら、臭っい野菜が買えなくなっちまうだろうが。」
そう。
俺はこんな奴らどうだっていい。
別に魔族が好きな訳でも何でもない。
ただ、この状況で供給が止まると死人が増える事を何となく理解してしまっているだけだ。
いや、こうして自分に言い訳している時点で…
きっと正しくない行動をしているのだろうな。
「もう終わりだよ。
いつもなら証拠を隠す時間があるのに!
一瞬で治安部隊に囲まれちまった。」
「黒フードか!?」
「そうなんだよ!
何かのスキルを使ったんだと思う!
いきなり、糸やら霧やらが、ここら一帯に広まったんだ!
アイツ、通りの反対側に居た癖に、ここを特定しやがった!」
糸? 霧?
1人で?
複数スキル使い?
まさか、子供向けの絵巻物でもあるまいし。
そんな奴実在したら化け物だろう。
『ご婦人。
この施設さえ見られなければ良いのですね?』
「ああ、そうだよ!
でもプランターを捨てたり隠したりしている暇がない!」
階下から押し問答が聞こえた。
流石我が国の治安部隊である。
頼もしい事、この上ない。
「ああ、もう終わりだよ!!」
この間取りだと…
残り1枚きりの金貨を使わざるを得ないな。
==========================
階段を駆け上がって来た治安部隊に囲まれる。
「全員、動くな!」
隊長らしき人物が一喝する。
あまりの気迫に俺達はただ圧倒された。
「…魔族の労働者寮だと聞いていたが。
キミ、人間種?
どうしてこんな所にいるの?」
『そちらの御婦人と話をしているうちに盛り上がってしまって。
つい上がり込んでしまいました。』
「ふーん。
総員、捜索開始ッ!!
おっと、そのまま動かないでね?
立ち去ろうとしたら逃亡罪を適用せざるを得なくなる。
妙な動きをした場合、証拠隠滅罪も加算されるから。
わかるよね、この状況?」
『ご指示に従います。』
「good!
模範的市民の態度だ。
この後、模範囚になるかも知れないけど。」
『…。』
「早く証拠を押さえろ!
砂一粒あれば成分分析に回せる!」
「隊長! 何もありません!」
「砂一粒でいいと言ってるんだ!」
「それが!
本当に何も無いんです!
まるで新築物件のように埃一つ落ちてません!」
顎に手をやっていた隊長だが、次の瞬間には俺を睨み付けていた。
「キミ、何か知ってる?」
『何か、と申しますと?』
「…キミ見た所、結構いい歳だよね?
証拠が無ければ捕まらない、とか思ってる訳じゃないんだろ?」
『ご指示があれば、どの部署にでも出頭しますし
取調べにも応じます。』
「ははは、随分な優等生だ。
この仕事をやっていて一番怖いタイプだよ。
他の階も調べたのか!?」
「全フロア確認しました!
本当に何も無いんです!
下水口すら磨き上げられてます!」
隊長はしばらく俺の手首を掴んでいたが、無言で離した。
『このまま出頭いたしましょうか?』
「そうしたいのだがね。
残念ながら法的根拠がない。」
『…。』
「キミ、大卒でしょ?
学部は?」
『経済です。』
「へえ、法学じゃないんだ。」
…あの頃はどこぞの縦巻きのレポートを散々手伝っていたからね。
==========================
治安部隊が去る。
俺達3人は鼻で溜息を吐きながら、しゃがみ込んでしまった。
「旦那。
アンタ、ちゃんとした家の子だろ?
危ない橋を渡るんじゃないよ。
親が泣くよ!」
…これ以上泣かすのは流石に心苦しいな。
なので、とっとと渡り切るか。
『御婦人。
他に見られて困る場所は?』
「2か所だけ。
魔族グループの名義の土地で栽培しちまってる。
最初は空き家だけを使ってたんだけど。
多分、気が大きくなったんだろうね。」
『その2か所さえ痕跡を消せば大丈夫なんですね?』
「ああ、勿体ないけど
明日には撤収するよ。」
『いや、治安局はそんなに甘くないです。
黒フードの男も居るんでしょう?
今日中に片を付けるつもりですよ。
少なくともさっきの隊長はそういう目をしておりました。
…先回りして消します!
案内して下さい!』
ゴブリンの老婆曰く、一軒は労働者団地魔族棟の空井戸。
もう一軒が《取り壊し中》の看板を掲げた廃倉庫。
両方、この老婆のグループが管理している物件なので、証拠が発見されたら言い逃れが出来ない。
==========================
バラック内を突っ切って労働者団地に到着。
ニックと老婆には団地の裏門を施錠して貰う、時間稼ぎである。
『セット! 【清掃(クリーンアップ)】!』
触媒には銀貨5枚。
相当内部が入り組んでいる上に視界が悪かったからだ。
『ニック!
正門も施錠して井戸の蓋を鎖で固く巻いてくれ!
家には帰らず、しばらく工業区のbarに潜んでろ!』
「兄貴は!?」
『時間をずらして合流しに行く!』
「わかった!」
合流は無理だろうな。
遠目に見えてる廃倉庫が想定以上に大きい。
残りの銀貨は2枚、銅貨と鉄貨が一枚ずつ。
もう少し小銭を残しておけば良かった。
これは人生詰んだかも知れないな。
==========================
廃倉庫…
ヤバいな。
漁具の保管庫と老婆は言っていたが、実際のサイズは中型漁船の格納庫跡だ。
想定以上に広い。
そして、その中に屑野菜がビッシリと並べられている。
で、辺りにはゴブリン風の上着やオーク種しか使わない形状の座椅子がある。
捕まえて下さいって言ってるようなものだ。
『セット!』
俺は慎重に照準を合わせて証拠を隠滅していく。
触媒と体力の残りが少ない。
無駄遣いが出来ない。
『ハアハア!』
不意に眩暈に襲われ、気が付くと片膝をついていた。
口の中で血の味がする。
一体俺は何をやっているんだ?
確か俺、排斥派だったはずなんだが。
違法行為を行った外国籍労働者が追放されるのはいい事じゃないか。
市民はみんなそれを望んでいる。
『セット!』
とうとう銀貨が尽きた。
銅貨は予備に残しておく。
オイオイ、これじゃあパンも買えないな。
『【清掃(クリーンアップ)】!』
本日2度目の無触媒スキル発動。
痕跡を全て消した代わりに、激しい頭痛に襲われる。
口の中で広がっていた血は、とっくに俺の上着を染めていた。
参ったね。
マーサには晩飯までには帰るって約束していたんだけど。
これ、帰れるのか?
いや、動悸が止まらない。
ひょっとして死ぬんじゃないか?
そう思ってうずくまっていた時だった。
不意に足元に光線のような無機物が接近した事に気づく。
「そうなんだよ!
何かのスキルを使ったんだと思う!
いきなり、糸やら霧やらが、ここら一帯に広まったんだ!
アイツ通りの反対側に居た癖に、ここを特定しやがった!」
光線なんかじゃない!
高圧水流、水系のスキルだ!!
それもかなりの暗殺特化!!
俺は最後の力を振り絞って瓦礫の影に隠れる。
そして休む間もなく屋外から黒フードであろう足音が近づいて来た。
なるほどね。
水の形状を霧や水流に変えて、探索と戦闘の両方を1人でこなしていたのか。
化け物だな。
オイオイ、少しは手加減してくれよ。
こっちは死に掛けの子供部屋おじさんなんだぜ?
バギャーーーーーーーーーン!!!
突然、轟音が鳴った。
位置から推測するに廃倉庫の正面扉が粉砕されたらしい。
間を置かず、足音が近づいてきた。
俺は照準を足音にセットしたまま、耳を澄ます。
履物はブーツ、それも軍用ブーツだ。
身長は俺と同じかやや高い。
但し、かなり筋肉質だ。
特筆すべきは、厳しい訓練を積んだ人間特有の重く確信に満ち溢れた足取り。
ヤバいな。
さっきの隊長も恐ろしい男だったが、まだ人間性があった。
だが、瓦礫の向こうに居る黒フードは違う。
情という物を微塵も感じさせない気配がする。
上手くは言えないが、人殺しの匂いだ。
証拠だけ消して逃げるつもりだったんだが。
何食わぬ顔でマーサの用意した夕食を喰い、当面港湾区には近づかないつもりだったのだが。
瓦礫の向こうの黒フード。
屑野菜ではなく、完全に俺を標的に切り替えやがった。
パチュンッ!!
突然、術弾らしき物体が壁面を貫く。
威嚇射撃?
違うな、こちらの反撃を誘っている。
ふふっ、凄い殺気だな。
それって捜査の範疇越えてるだろww
パチュンッ!!
なあ黒フードよ。
アンタ、本当は有り余った力を揮いたくてウズウズしてるだけなんだろ?
俺のスキル。
当然、生物にも効く。
恐らく人間も例外では無いだろう。
…触媒も無しに人間を消したら。
間違いなく死ぬな、俺。
争いごとは好きじゃない。
と思いつつも照準は瓦礫の背後にいる黒フードから外さない。
2度目の深呼吸。
音は殺していたつもりだったが、見事に息の吸い始めを狙われる。
轟音と共に瓦礫が砕け散った。
きっと破片が刺さったのだろう。
肩口が焼ける様に熱い。
『セット!』
「ッ!!」
瓦礫越しに構えていた照準内に奴を捉える。
当然、奴も俺の眉間を完全にロックオンしていた。
目測5メートル。
スキル使い同士の決闘なら、まず両方が致命傷を負う距離だ。
奴と目が合うが特に驚きはない。
最初に逢った時から、この日は予見出来ていた。
==========================
お互い照準も外さないし何も言わない。
何せ付き合いが長いのだ。
大体の事情は想像がつく。
向こうだって途中から薄々察していたのではなかろうか。
《ここまでするのはオマエ以外に居ない。》
なあ、ドナルド・キーン。
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——パンである。
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というのも、レイの前世は平凡ながら無類のパン好きだったのである。パン好きと言っても高級なパンを買って食べるわけではなく、さまざまな「菓子パン」や「惣菜パン」を自ら作り上げ、一人ひっそりとそれを食べることが至上の喜びだったのである。
そんな前世を持つレイが固くて味気ないパンしかない世界に耐えられるはずもなく、美味しいパンを求めて生まれ育った村から旅立つことに——。
どうも、命中率0%の最弱村人です 〜隠しダンジョンを周回してたらレベル∞になったので、種族進化して『半神』目指そうと思います〜
サイダーボウイ
ファンタジー
この世界では15歳になって成人を迎えると『天恵の儀式』でジョブを授かる。
〈村人〉のジョブを授かったティムは、勇者一行が訪れるのを待つ村で妹とともに仲良く暮らしていた。
だがちょっとした出来事をきっかけにティムは村から追放を言い渡され、モンスターが棲息する森へと放り出されてしまう。
〈村人〉の固有スキルは【命中率0%】というデメリットしかない最弱スキルのため、ティムはスライムすらまともに倒せない。
危うく死にかけたティムは森の中をさまよっているうちにある隠しダンジョンを発見する。
『【煌世主の意志】を感知しました。EXスキル【オートスキップ】が覚醒します』
いきなり現れたウィンドウに驚きつつもティムは試しに【オートスキップ】を使ってみることに。
すると、いつの間にか自分のレベルが∞になって……。
これは、やがて【種族の支配者(キング・オブ・オーバーロード)】と呼ばれる男が、最弱の村人から最強種族の『半神』へと至り、世界を救ってしまうお話である。
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