【BL】その先には君がいる

Motoki

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 それでも体は先輩を求める。心のどこかで、喜びに震えている自分がいる。

「宙」

 そう耳元で囁かれれば、体は簡単に熱を持った。

 ハリボテのようなこの『偽りの幸せ』から、抜け出せないでいる。

 僕のモノにはならない相手に、いつまでも縋り続けていた。

 だから少し、僕は投げやりになっていたのかもしれない。

 彼にも共犯者だと、釘を刺したかったのかもしれない。

「先輩、奥さんお元気ですか?」

 拒絶する事もせず、ソファに横になっておいて。今、この場面で相手が1番嫌がるだろう台詞を吐いた。

「何言ってんの。お前」

 怒った顔で、冷たく僕を見下ろしてくる。

 それを当然だと思いながらも、ああ、彼の心はやはり奥さんのモノだ、と今更ながらに思い知らされていた。

「――僕。今、好きな人がいるんです」

 まるで、それに張り合うように告白する。

 驚く先輩を見つめ返し、肩を押し上げた。

 それはこの前と同じ、全然力の籠らないものだったのに、彼の体はすんなりと離れてしまう。

「知ってるよ」

 ソファに腰掛け、ガリガリと頭を掻く。

 拗ねたように僕から顔を逸らせながら、小さく呟いた。

「あの子だろ?」

 答えられなかった。

 声を出してしまえば、「あなたの事も好きでした」と言ってしまいそうで……。

 だってその気持ちは、今でもまだ残っているから。

 体の繋がりで、それを嫌という程、思い知らされていたから。

「すみません」

 体を起こし、隣に座りながら頭を下げた。

「馬鹿。謝んなよ」

 苦く笑いを零し、コツンと頭を叩かれる。

「俺が、フラれたみたいだろ」

「……そう、ですね…」

 呟くように答えながら、やっぱり彼も雅臣に似てるんだ、などと思ってしまう。頭を叩いてくる先輩に、雅臣を見た気がしていた。

 いつまでも、あいつを引き摺っている。

 結局はみんな、雅臣に繋がっている。


『あんた。結局誰でもいいのかよ』


 藤堂君の言葉が蘇り、泣きたくなった。

 ――そうかもしれない。

 求めても自分のモノにならない相手に、執着なんて出来ない。

 裏切りだと思ってしまった、あんな『思い』なんて2度としたくない。

 もう本当に、2度とご免だから。

「でもしかし、ヤバいな」

 気まずい雰囲気の中。顎に手をあてた先輩が、生真面目な声を出した。

「なんですか?」

 興味もなく訊き返す。すると彼は、ドキリとする程、魅惑的に微笑んでみせた。

「これから智恵子とする時、きっとお前を思い出しちまう」

 ――その言葉はまるで。この場を和ます呪文のように、やさしく響いた。

 笑うべき、だったのかもしれない。

 でも僕にとってそれは『死の宣告』以外の何物でもなくて。

『お前を、過去の人間にする』

 そう、断言されたも同然だった。

「なんで……」

 目を剥いて、彼を見つめる。

 なんでみんな、雅臣と同じ事を言うんだ?

 固まっている僕の顔を覗き込んで、先輩はつまらなそうに顔を顰めた。

「なんだよ。何か言う事ないのかよ?」

「――昔」

「は?」

「昔。同じように言われた事がありますよ。フラれた相手から」

 怪訝そうな顔をしたまま、先輩が僕を見つめる。その視線に堪えられなくて、視線を落とした。

 しばらくは沈黙に付き合ってくれていたが、溜め息混じりの言葉が吐き出された。

「……それで? お前はなんて答えたんだよ?」

「何も。電車の中でしたし。あいつは、降りて行ったんで……」

「は? バッカだなー」

 心底呆れた、とその口調が言っている。

「なんですか」

 ボソリと呟くと、首を傾げて僕を見た。

「追いかけりゃ良かったんだよ。相手はお前に、未練タラタラだったのに」

「えっ」

 ――雅臣、が?

 驚きに、顔を向ける。あまりに驚いた僕の顔が面白かったのか、先輩がクスクスと笑いだした。

「何。気付かなかったの?」

「――なんで。そんな事が判るんですか」

 拗ねた口調で訊き返すと、先輩は笑いを止め、グシャグシャと僕の頭を掻き乱した。

「嫌・な・ヤ・ツ・だ・な~、お前は~。同じ台詞を吐いたヤツに言うかァ? 普通」

「あ、すみません」

 反射的に誤ってしまってから、その言葉の意味に気が付いた。

「……すみません」

 もう1度謝る。「ほんとバカ」と最後にパシリと頭を叩かれた。

 無言で立ち上がり、ドアへと向かう先輩に声をかける。

「次言われる事があったら、ちゃんと追いかけますから」

 驚いて振り返り、彼は意味を悟ってニヤリと笑った。

「ああ、是非とも『次から』にしてくれ」

 先輩の出て行った部屋は寒くて、着替えをする指先を震わせる。

「寒いな」

 ポツリと呟いて、更に寒さが増した。

 鞄にまだ健在の『退職願』を確認し、院長室へと向かう。小さくノックして、ドアを開けた。

 彼はデスクで、保険治療の請求をする為の書類、『レセプト』をチェックしている処だった。

「毎月の事ながら、凄い量でウンザリするよ」

 チラリと視線だけを上げて僕を見て、肩を竦めてみせる。

「あの、先輩」

 鞄に手を突っ込んだ僕に、視線をレセプト用紙へと戻した。

「また明後日。遅刻するなよ」

 フリフリと手を振る。それは数週間前までの彼の姿で。

 関係を持った『男』ではなく、職場の上司である『院長』に戻っていた。

 切れない縁に――まだ繋がっていようとしてくれる縁に、涙が出る程感謝した。

「はい。失礼します」

 泣き笑いの表情を浮かべているだろう顔を深々と下げて、院長室のドアを閉めた。
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