【BL】その先には君がいる

Motoki

文字の大きさ
上 下
13 / 21

13

しおりを挟む
 気怠い体のまま6階でエレベーターを降り、コの字型の廊下へと足を踏み出した。

 ふと、3階のベンチが目に留まる。

 このマンションは、三階部分が吹き抜けのような広場になっている。

 淡く光る街灯の下。樹の前のベンチに、その人影は座っていた。

 ――どうして、見つけてしまうんだろう。

 絶望にも似た暗い気持ちで、視線を逸らす。足音に気を配る余裕もなかったが、何かを読んでいるらしいその影は、顔を上げる事はな かった。

 そのまま自宅に辿り着く。鍵を開ける手は震えて、中々入らない。やっと鍵を差し込んで、ドアを開けようとノブを下ろした。

「……クシュ……」

 小さなクシャミが聞こえたのは、その時。

 風に乗って聞こえたその声に、目の前がグラリと揺れた気がした。

「くそっ」

 ノブから手を離し、踵を返す。

 ――どうして、こんな事してしまうんだろう。

 3階へと続く階段を下りながら、考える。

 今は一番、会いたくない相手の筈だ……。

 そう思いながらも足は急いで、もつれるようにしながら、彼の元へと向かう。

 会いたくないのに、会いたい相手。

 必死に辿り着いた『場所』なのに、相手は俯いたまま、ひたすら本を読んでいた。

「――何、してるの」

 一向に顔を上げない彼を見下ろし、低く声を吐き出した。

 驚いたように見上げた顔が、安心したように微笑まれる。

「先生。おかえり」

「何、してるの」

 無邪気に笑う彼から目を逸らし、同じ質問を繰り返した。

「またあいつが来てんだ。だから、退散中」

 見ると、左の頬が赤くなっている。

「どうしたの?」

 驚いて訊くと、「殴られた」と微笑む。その頬へと伸ばしかけた手を、自分には触れる資格はないと握り締めた。

「お母さんは、何も言わないの?」

「母さんは知らないんだ。俺も友達と喧嘩したとしか言わないし」

 胸が痛い。僕が先輩との快楽に溺れている時に、彼は父親でもない男に殴られていたのだ。

 唯一自分を守ってくれる筈の母親にすら、彼は助けを求めない。

「君は強いね」

 藤堂君を救ってあげる事が出来るのは、一体誰なんだろうと思う。

「ううん。昔はさ、家出ようかとマジで考えた事もあったけど、今度は母さんが殴られるような気がしてさ。あいつは嫌な奴だけど、母さんには、今まで手を上げた事ないんだ」

「でも……」

 一番楽しい筈の学生時代に、他の子が恋愛や受験で悩んでいる時に、彼はそんなものよりもっと大変なものと戦っているのだ。

「それに。俺大学行きたいし、結局はその金もあのハゲからの金になるんだよな」

 悔しいけど、と呟いた彼が手に持っているのは化学の教科書で、ベンチにはノートと問題集が置かれていた。

「勉強、してたんだ」

「そう。学年末、色々ヤバくて」

 ウンザリというように、肩を竦めてみせる。

「……ごめんね。メールに返信出来なくて」

 ――何も、してあげられなくて……。

「ああ、全然。忙しかったんでしょ?」

 問いかけてくる瞳を直視出来ず、顔を逸らせた。

「うちにおいで。まだここよりは暖かい」

「うん、ありがと」

 急いで教科書をまとめる彼の手が震えている。

「どのくらいここでしてたの?」

「んー? 1時間ぐらい?」

「寒かったろうに。ファミレスにでも行ったらいいんじゃない?」

「……俺、何回か補導されてんだよなぁ。それにこのほっぺ、怪しくない?」

「かもね」

 曖昧に頷く。真っ直ぐに見上げてくる彼の笑顔が、痛かった。

 階段を上がり、自宅に入るまで無言で歩いた。何を話していいのか、判らなかった。

 照明を点けて靴を脱ぐと、彼もそれに続いた。もうすっかり慣れた様子で、自分のと僕の靴を揃える。

 その後の、靴を撫でるような仕草も、いつもの事だ。

「すぐガス点けるから。手と口」

「はーい」

 まるで僕の子供のように、無邪気な返事が返ってくる。

 口うるさい父親にでもなった気がして、思わず苦笑が洩れた。

「やっと笑ったね、先生」

 僕を指差し微笑んだ藤堂君が、廊下へと消える。

 思わず目を瞠る。そして、すぐに閉じた。

 過去の話までしてくれた彼を裏切っておいて、さっきまではあれ程にも先輩を求めておいて、この期に及んでまだ、心は藤堂君を追いかけようとしていた。

 自嘲に少し笑って、ガラステーブルへと歩いて行く。そうして彼が置いていった教科書を、手に取った。

 さっきまで彼が持っていたと思うだけで、こんな物にまで愛しさが込み上げてくる。

 彼がしていたように、手で教科書を撫でて埃を払う。

「大学、合格してね」

 そして、君は他の誰よりも幸せになって。

 それはまるで、僕の想いを擦り込んでいるかのようだった。

「あれ、ごめん。汚れてた? ベンチに砂、付いてたかも」

 ドキリとして振り返る。

 リビングの入り口に立った藤堂君が、ズボンの尻の部分を確認している。

「ううん。……なんか、懐かしくて」

 教科書とノートを揃えて、テーブルに戻す。

「先生は化学とか、結構出来た方?」

 僕の真横に立って、藤堂君が見上げてきた。

「出来たと言う程でもなかったな。暗記の世界だから」

 なるべく自然に、藤堂君から離れる。

 コーヒーでも淹れようと、台所へ向かった。豆に手を伸ばそうとして、躊躇ってしまう。

 無意識に、先輩との事を思い出していた。

 伸ばした手は、誰が見ても判る程、小刻みに震えていた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

キミの次に愛してる

Motoki
BL
社会人×高校生。 たった1人の家族である姉の由美を亡くした浩次は、姉の結婚相手、裕文と同居を続けている。 裕文の世話になり続ける事に遠慮する浩次は、大学受験を諦めて就職しようとするが……。 姉への愛と義兄への想いに悩む、ちょっぴり切ないほのぼのBL。

大嫌いな歯科医は変態ドS眼鏡!

霧内杳/眼鏡のさきっぽ
恋愛
……歯が痛い。 でも、歯医者は嫌いで痛み止めを飲んで我慢してた。 けれど虫歯は歯医者に行かなきゃ治らない。 同僚の勧めで痛みの少ない治療をすると評判の歯科医に行ったけれど……。 そこにいたのは変態ドS眼鏡の歯科医だった!?

ちょろぽよくんはお友達が欲しい

日月ゆの
BL
ふわふわ栗毛色の髪にどんぐりお目々に小さいお鼻と小さいお口。 おまけに性格は皆が心配になるほどぽよぽよしている。 詩音くん。 「えっ?僕とお友達になってくれるのぉ?」 「えへっ!うれしいっ!」 『黒もじゃアフロに瓶底メガネ』と明らかなアンチ系転入生と隣の席になったちょろぽよくんのお友達いっぱいつくりたい高校生活はどうなる?! 「いや……、俺はちょろくねぇよ?ケツの穴なんか掘らせる訳ないだろ。こんなくそガキ共によ!」 表紙はPicrewの「こあくまめーかー😈2nd」で作成しました。

雪は静かに降りつもる

レエ
BL
満は小学生の時、同じクラスの純に恋した。あまり接点がなかったうえに、純の転校で会えなくなったが、高校で戻ってきてくれた。純は同じ小学校の誰かを探しているようだった。

うさキロク

雲古
BL
サイコパス鬼畜サボり魔風紀委員長に馬車馬の如く働かされながらも生徒会長のお兄ちゃんに安らぎを得ながらまぁまぁ平和に暮らしていた。 そこに転校生が来て平和な日常がちょっとずつ崩れていくーーーーーーーー

おねしょ癖のせいで恋人のお泊まりを避け続けて不信感持たれて喧嘩しちゃう話

こじらせた処女
BL
 網谷凛(あみやりん)には付き合って半年の恋人がいるにもかかわらず、一度もお泊まりをしたことがない。それは彼自身の悩み、おねしょをしてしまうことだった。  ある日の会社帰り、急な大雨で網谷の乗る電車が止まり、帰れなくなってしまう。どうしようかと悩んでいたところに、彼氏である市川由希(いちかわゆき)に鉢合わせる。泊まって行くことを強く勧められてしまい…?

キスから始める恋の話

紫紺(紗子)
BL
「退屈だし、キスが下手」 ある日、僕は付き合い始めたばかりの彼女にフラれてしまった。 「仕方ないなあ。俺が教えてやるよ」 泣きついた先は大学時代の先輩。ネクタイごと胸ぐらをつかまれた僕は、長くて深いキスを食らってしまう。 その日から、先輩との微妙な距離と力関係が始まった……。

悠遠の誓い

angel
BL
幼馴染の正太朗と海瑠(かいる)は高校1年生。 超絶ハーフイケメンの海瑠は初めて出会った幼稚園の頃からずっと平凡な正太朗のことを愛し続けている。 ほのぼの日常から運命に巻き込まれていく二人のラブラブで時にシリアスな日々をお楽しみください。 前作「転生して王子になったボクは、王様になるまでノラリクラリと生きるはずだった」を先に読んでいただいたほうがわかりやすいかもしれません。(読まなくても問題なく読んでいただけると思います)

処理中です...