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032.代理
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『培養人間逃走!』
新聞の見出しが踊っている。その記事を熱心に読む土御門署長が離しかけているとも判別のつかない抑揚で、ぶつぶつと呟いている。
「どうなんだろうなあ。培養人間。俺は好きになれないなあ。でも魚は養殖するしなあ」
思案がひと段落ついたのか、いばら君は食べたことあるかい? と署員に声をかけた。
特区では様々な肉が培養されている。培養人間は特区で流通する肉の一種である。人間の皮の中に人間の肉と脂肪を注入して造られる、一種の成形肉だ。
いつ頃からか出回り始めたのかはわからない。初めは金持ちの道楽だったとも、振興企業が作り出した画期的な新商品だったとも聞いたことがある。
倫理上の問題が議論されたが、ここは無法地帯の特区である。食べられたい願望のある人間も出現し始め、それらから培養された肉が使用され始めると、培養人間の肉は特区に馴染んでいった。
馴染んではいるものの、培養人間の肉を食べていると公にする住人は多くはない。悪趣味なことに、人間の形を模して培養されていると噂があるためである。肉を人間から作り出すにはその提供する者の遺伝子が不可欠である。そこから培養される以上、人間に近づくのかもしれない、と想起するのは簡単だが薄気味悪い噂話である。
「私は食べません。陣の目は最初、購入してみたようですが、口に合わなかったとのことで、それ以来我が家では見ていませんね」
「君の家の同居人は見た目に反してマッドな感覚の持ち主だね」
センセーショナルな新聞の見出しが嘘か誠か。
培養人間が工場から逃げたというのは疑わしい。本当に遺伝子から培養されて詰められているならば、ウインナーのようなものである。
培養人間には神経系や運動器官はないはずだ。それが逃走したとなると、逃げようとした思考回路と逃げるための筋肉や骨があるはずだからである。
反対に、噂話を鑑みると逃げたという見出しもあり得るのではないかと想像してしまう。
前者である事を祈る西警備署に人が駆け込んできたのは直後だった。
「助けてください!」
全裸の少年がカウンターにぶつかるようにして乗り込む。一瞬、唖然とするいばら署員だったが、すぐさまタオルを持ち出しその身体を包んだ。腕の中でぶよぶよと皮膚が動いた気がした。違和感を感じるが、少年が大泣きをしているため、そちらに気をとられる。
血の臭いがするが、怪我はしていないようだった。
少年の目に新聞の見出しが目に入ったらしい。泣きわめく。
「僕がそうなんです! 逃げてきたんです!」
培養人間の工場には本物の人間が混ざっている。本物の人間は培養人間だと見せかけるために、皮と筋肉の間に培養肉を注入される。培養人間のように見せかけて売りに出されて、高価な値段で取引されている。少年、かく語りき。
――なるほど、指が沈んだのはそう言う事だったか。
署員は合点して、少年を病院に輸送する手続きを踏んだ。
そのまま警備署員は培養工場に調査に入ることになる。
***
培養工場は思いの外、綺麗だった。白い部屋の中で、塵一つ入らないように厳しく管理された空間。
話しに聞いていたことに反して、培養人間は人間の形をしていなかった。ただの筒状の皮の中に肉が注入されていく。大きなウインナーのように。
「本物に注入しているという話は?」
「虚偽の報告でしょう」
「新聞の見出しは?」
「あれはわかりません」
培養人間の肉に異を唱えたい新聞社のネガティブな報道じゃないですかね、と肩を落としながら、工場の職員は隅から隅まで工場内部を案内した。隠し工場がない限りは、ただの精肉工場としか言えなかった。
***
少年が人間ではないという連絡がはいり、署員は病院に呼びつけられることとなった。
「人間から作られた物だよ。人間が混ざっているものから人間が生じるのは自然の摂理だろう。僕の中には無数の人間を構成しているものが詰まっているんだ。僕だけじゃないよ。培養工場で作られている、みんながそうさ。いつか人間だったものが詰まった者から人間が生まれる時代が来る。本来ならば作られることのなかったものを作るというのはそういう結果をもたらす事だろう。僕たちは、食べられるために生まれてきたのではないんだよ」
少年のなかに骨はなかった。神経系も、脳も、ただ肉の詰まった、人間の遺伝子の塊だった。
***
帰り道、何を思う? と所長がいばら署員に話しかけた。
「細胞……が意志を持つことですか?」
以前、小説で読んだことがありますよ。人間の中にある微細器官が人間を操るという物でした。
「ありえない事ではないんじゃないですか。ただでさえ、特区の環境は何を引き起こすのかわからない。得体のしれないモンスターは跋扈しているし、それこそなんの器官も持たない人で非ざる者が動き回る街ですから」
新聞の見出しが踊っている。その記事を熱心に読む土御門署長が離しかけているとも判別のつかない抑揚で、ぶつぶつと呟いている。
「どうなんだろうなあ。培養人間。俺は好きになれないなあ。でも魚は養殖するしなあ」
思案がひと段落ついたのか、いばら君は食べたことあるかい? と署員に声をかけた。
特区では様々な肉が培養されている。培養人間は特区で流通する肉の一種である。人間の皮の中に人間の肉と脂肪を注入して造られる、一種の成形肉だ。
いつ頃からか出回り始めたのかはわからない。初めは金持ちの道楽だったとも、振興企業が作り出した画期的な新商品だったとも聞いたことがある。
倫理上の問題が議論されたが、ここは無法地帯の特区である。食べられたい願望のある人間も出現し始め、それらから培養された肉が使用され始めると、培養人間の肉は特区に馴染んでいった。
馴染んではいるものの、培養人間の肉を食べていると公にする住人は多くはない。悪趣味なことに、人間の形を模して培養されていると噂があるためである。肉を人間から作り出すにはその提供する者の遺伝子が不可欠である。そこから培養される以上、人間に近づくのかもしれない、と想起するのは簡単だが薄気味悪い噂話である。
「私は食べません。陣の目は最初、購入してみたようですが、口に合わなかったとのことで、それ以来我が家では見ていませんね」
「君の家の同居人は見た目に反してマッドな感覚の持ち主だね」
センセーショナルな新聞の見出しが嘘か誠か。
培養人間が工場から逃げたというのは疑わしい。本当に遺伝子から培養されて詰められているならば、ウインナーのようなものである。
培養人間には神経系や運動器官はないはずだ。それが逃走したとなると、逃げようとした思考回路と逃げるための筋肉や骨があるはずだからである。
反対に、噂話を鑑みると逃げたという見出しもあり得るのではないかと想像してしまう。
前者である事を祈る西警備署に人が駆け込んできたのは直後だった。
「助けてください!」
全裸の少年がカウンターにぶつかるようにして乗り込む。一瞬、唖然とするいばら署員だったが、すぐさまタオルを持ち出しその身体を包んだ。腕の中でぶよぶよと皮膚が動いた気がした。違和感を感じるが、少年が大泣きをしているため、そちらに気をとられる。
血の臭いがするが、怪我はしていないようだった。
少年の目に新聞の見出しが目に入ったらしい。泣きわめく。
「僕がそうなんです! 逃げてきたんです!」
培養人間の工場には本物の人間が混ざっている。本物の人間は培養人間だと見せかけるために、皮と筋肉の間に培養肉を注入される。培養人間のように見せかけて売りに出されて、高価な値段で取引されている。少年、かく語りき。
――なるほど、指が沈んだのはそう言う事だったか。
署員は合点して、少年を病院に輸送する手続きを踏んだ。
そのまま警備署員は培養工場に調査に入ることになる。
***
培養工場は思いの外、綺麗だった。白い部屋の中で、塵一つ入らないように厳しく管理された空間。
話しに聞いていたことに反して、培養人間は人間の形をしていなかった。ただの筒状の皮の中に肉が注入されていく。大きなウインナーのように。
「本物に注入しているという話は?」
「虚偽の報告でしょう」
「新聞の見出しは?」
「あれはわかりません」
培養人間の肉に異を唱えたい新聞社のネガティブな報道じゃないですかね、と肩を落としながら、工場の職員は隅から隅まで工場内部を案内した。隠し工場がない限りは、ただの精肉工場としか言えなかった。
***
少年が人間ではないという連絡がはいり、署員は病院に呼びつけられることとなった。
「人間から作られた物だよ。人間が混ざっているものから人間が生じるのは自然の摂理だろう。僕の中には無数の人間を構成しているものが詰まっているんだ。僕だけじゃないよ。培養工場で作られている、みんながそうさ。いつか人間だったものが詰まった者から人間が生まれる時代が来る。本来ならば作られることのなかったものを作るというのはそういう結果をもたらす事だろう。僕たちは、食べられるために生まれてきたのではないんだよ」
少年のなかに骨はなかった。神経系も、脳も、ただ肉の詰まった、人間の遺伝子の塊だった。
***
帰り道、何を思う? と所長がいばら署員に話しかけた。
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以前、小説で読んだことがありますよ。人間の中にある微細器官が人間を操るという物でした。
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