Brand New WorldS ~二つの世界を繋いだ男~

ふろすと

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第0章 想起編

心を殺す技

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「ただいまー」

 ガラ、と木の扉を開ける。すると、割烹着の母さんが台所の出入り口から顔を出す。どうやら今日の母さんは本当に体調が良いようだ。

「お帰りなさい、今日は少し遅かったわね?」
「そ、そんなこと………」

 母さんは洋斗が石碑に話してから帰ってくることを知っている。だが、いや、だからこそ洋斗にとっては未だにちょっとばかし恥ずかしかったりするお年頃である。

「ふふ、まぁいいわ。ぱっぱと手洗って来ちゃってね」
「はいはい」
「あら、ハイは一回ではありませんでしたか?」
「分かってるよ」

 洋斗はむずがゆさから洗面台に急ぐ。母さんは口に手を当ててクスッと笑った。

 母さん曰くまだご飯まで時間がかかるそうなので、手を洗った洋斗は併設されている道場に行ってみる。
 道場は、テニスコート半分ほどの大きさで一面焦げ茶色の板張りという典型的なものだ。これが村人たちの手作りというのだから、改めて人の力を理解できる建物でもある。

 そこには父さん、嵯鞍 玄条の姿があった。
 なにか、とても細く、長い音が空間を占める。多分父さんの呼吸の音だ。それが聞こえるくらい、この空間はほぼ無音の静寂に包まれていた。その威圧感に、洋斗も無意識に息を殺して父さんの背中を見つめる。

 父さんがゆっくりと無駄のない動きで脚を浮かせ、



 ───ダァァンッッ!



 と地響きのような足音を響かせる。その動作だけで、その揺れが床を通して洋斗の心を揺さぶり、足をすくませた。
 父さんの一挙手一投足の動作によって、彼の強さが身体から溢れ出してこの静寂の空間を塗り替えていく。それが圧倒的な結界となって、そこに足を踏み入れる意志すら叩き伏せる。
 洋斗は、その姿をじっと目に焼き付けていた。

 (おれも、あんな風になれるのか………?)

 自分の未来を思い浮かべながら。
 ここで、父さんの動きが止まる。型が終わったようだ。

 (それなら、俺もいつかは………)
「洋斗」

 父さんはこちらを向かず、構えを解いて言った。いつの間にか気付かれていたようだ。

「俺の型、どうだった?」

 こちらに向けている背中は大きくて力強い、だけども少しだけ影が差したものだった。
 父さんの質問に対して洋斗は純粋な回答を返す。

「………すごかった。とにかく、すごかったよ」
「………そうか。洋斗に一つ頼みがある」
「なんだよ急に………」

 父さんが醸す空気が変わるのを感じ、洋斗は少し萎縮した。
 父さんは言った。

「どうか、?」
「………え?」

 正直にいって、意味が分からなかった。父さんは強い。最低でもこの村の中では文句無しの一番だ。そんな父さんがなぜそんなことを言うのか、皆目見当がつかなかった。
 その答えは、すぐ後に父さんから教えてくれた。

「この、俺が考案した『嵯鞍人拳』は、人を傷つけ、心を折り、苦しめる為だけに生み出されたもの。それはつまり、人でありながら他人に恐れられることになるということだ。私も例外なく恐れられて、住んでいたところも追われて、完全に孤独になってしまった。洋斗にはそんな人生を送ってほしくない」

 嵯鞍の技は、相手の攻撃に対して力をいなし、相手の体勢を崩し、相手の機動力を効率的に奪い、再起を不能にする技の体系である───と父さんは言っていた。
 攻めればそれ以上の力が返ってきて、体を壊される。
 そうなれば必然的に攻撃の意思、ひいては戦う意志を削がれていく。
 心を殺す技。
 思えば武道として、これほど悪質なものはない。
 だが、知らなかった。
 父さんがこの村の生まれでないことはすでに母さんから聞いていたが、まさかそんな理由だったとは知らなかった。

「といっても、もうすでに教えちまってるだろ?俺とか、村の人とかに」
「村の人にはさわりしか教えていないから心配はない。だが洋斗、お前にはほとんどすべてを教えている。何を今更、と思うかも知れないが、この馬鹿な父親を、ゆるしてくれ」

「…………………」

 しばし、洋斗は黙り込む。
 実際、頭の中では全く同じことを考えていた、
 ───今更何言ってんだろうこのバカ親父は、と。

「………考案者が何言ってんだよ『嵯鞍人拳』は、そんな変なもんじゃないと思うけど?」

 ───こんなに格好良いのに、と。

「結局『これ』はナイフとかと似たようなもんだって言いたいんだろ?」

 さっきの父さんの突きはとても力強くて、蹴りはとても鋭くて、足運びはとても滑らかで、『嵯鞍人拳』は、とても無駄のない洗練された美しさの様なものを持っている。
 洋斗はそう思っている。

「だったらそれを殺しに使わなきゃいい。人殺しに使うかどうかは使う人の責任だろ?丁度そこに飾ってある刀みたいにさ」

 入り口の向かい側の壁面中央部、何か書き殴られている掛け軸がかけられているその下には、綺麗な飾り刀が置いてある。
 焦げ茶の鞘に入った、金の刺繍が輝くその刀。
 父さんが元の家の家宝だったものを持ってきたそうだ。
 後ろ姿なので分からないが、多分父さんはその刀を見ている。

「殺すための道具でも、置かれてる分にはカッコいいだけだし、ほっとけばそんな気にすることでもないだろ。まぁあれだ………俺は『嵯鞍人拳』嫌いじゃないからさ、教えてくれて嬉しいと思ってる。言いたいことはそれだけ」

「……………………………そうか」
 多少気障キザな台詞になることは理解した上で、洋斗は頬を掻きながら言った。
 父さんはそれ以外何も言わなかった。二人の間がしん、と静まり返る。この空間は、洋斗にとってはかなり居づらかった。

「………あ、多分もうすぐご飯できると思うから、もう少ししたら来いよ」

 洋斗は入口から立ち去る。
 父さんがどんな顔してるかなんて全く気にしていなかった。



 そこから就寝に至るまではこれまでの日常と何ら変わりなく。
 こうしてまた一日が終わり、新しい一日が静かに始まりを告げる。




 ───その連鎖の終わりは、唐突に訪れることとなる。



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