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おつかいを終えて
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エイビスとフィアが屋敷に戻ってきたのは夕刻を過ぎた頃だった。闇がしっとりと辺りを包み始めている、そんな時間だ。
エイビスの屋敷には中庭があり、バラの蔦が這ったガゼボがある。
満開のバラには妖精がふわりふわりと舞い踊り、ガス灯が揺れるガゼボの中には、ベンチもある。
アレッタはそのベンチにひとり腰をかけていた。彼女の膝にはエンが丸まり、ときおり尻尾を揺らしているが、アレッタのはその姿も目に入っていないようだ。
ただうなだれたまま、座りこけている。
ネージュはその様子をキッチンからただ眺めていた。
黙って見つめているネージュの唇は、ほのかに揺れ、何か言いたげな顔だが、彼女の足がアレッタへと向こうとはしない。
そんな暗い屋敷の扉が開らかれた。
エイビズとフィアが帰ってきたのだ。
すぐに明かりが灯り始め、屋敷が優しい光で満ち始める。
これはフィアの力によるもの。瞬く間に燭台からシャンデリアに至るまで火が走り、明かりとなっていく。
すぐにキッチンの扉が開いた。
振り返ったネージュは、フィアに唇だけで微笑んだ。
「おかえり、フィア」
その声にフィアも答え、ネージュの隣へと立った。
「ああ、ただいま。お前、何見てるんだ……?」
ネージュが見ていた窓に近づくと、ガゼボが見え、アレッタの姿もぼんやりとわかる。
「そんなところから見てないで、アレッタのところに行ったらどうだ?」
「……慰めるばかりが解決じゃないわ。そうでしょ……?」
ネージュはため息のように息を吐くと、窓際を離れ、キッチンから出ていく。
「ネージュ、」
「なぁに?」
「ここにサンドイッチ、置いておく。スープもあるから飲めよ」
こくりと頷いて出ていくネージュを見送ったあと、フィアは鍋を指でなぞり、スープを温め直した。
木製のトレイに作り置きしておいた生ハムとクリームチーズのサンドイッチと、ジャガイモのコンソメスープを乗せ、それを左手で持ち、キッチンから中庭へと続くドアノブへ手をかける。
外はすこし肌寒い。
今日の夜は冷えそうだ。
湯気の立つ器をそっと運びながら踏みしめる足取りはしっかりしたものだ。
慣れたもので、片手でトレイを運びながら、集る妖精たちを虫のようにあしらい、アレッタが座りこけるガゼボへフィアは到着した。
先ほどよりも闇が深くなり、ガス灯の揺らぎが明るく感じる。
「アレッタ」
「あ、……あ…フィア、おかえり」
「ああ。ただいま。アレッタ、腹、空いてないか?」
アレッタの横へと腰をおろしたフィアは、ベンチの上にトレイを滑り置いた。
それを見つけたアレッタの目は一瞬きらりと輝いたが、それっきりで再び目を伏せる。
そして、小さく傾げた。
「……なんだろう。全然お腹が空かないんだ。どうしてだと思う?」
それにフィアは答えず、まだ治りきれていないアレッタの怪我を治しはじめた。
小さな肩に当てられた手はほのかな光を帯び、アレッタを包み込んでいく。
大雑把な怪我しか治っていなかったため、かすり傷や打ち身の痛みが消えていくのがわかる。
アレッタはフィアの治療に身を任せながら、サンドイッチを手に取った。
パンをちぎってエンの口元へと持っていくと、目をつぶっていたはずのエンだが、目を閉じたまま鼻をすんすんと鳴らし、そのままパクリと食いついた。
勢いのついたエンを撫でながら、サンドイッチを与えるアレッタにフィアが言った。
「……怖い、のか」
フィアの言葉に、アレッタは体を強張らせた。電気が走り抜けたようにびくりと背を震わせ、息を呑む。
そしてアレッタの桃色の唇が青く染まり、震えだした。
きっとようやく押さえ込んだ感情だったのだろう。
無理やり閉じ込めた感情が形になった途端、声に出そうとする度にそれが胃を胸を締めつけ、涙となって溢れてくる。
「……フィアがいなかったら……私はああなるんだろ……?」
ぼつりという音と共に涙が落ちる。
エンの鼻にも落ちたようで、ぺろりとする。するとアレッタの肩へとよじ登り、頬に伝う涙を舐めはじめた。
そんなエンに構うことなく、アレッタはぐしゃぐしゃの顔で言葉を紡いだ。
「……私は……死の意味をまるで理解していなかった……
どこか、美徳に思っていた……」
アレッタはフィアを見上げた。
「なぁ、
……最後の日、私はどう死ぬと思う」
しわくちゃに歪んだアレッタの顔は、恐れと未来への絶望に塗られている。
だが、その気持ちを覆すことができるほどの言葉もない。
フィアは小さく首を横に振り、唇だけで笑って見せた。
アレッタはさらに小さな拳を握り、それを太ももに叩き込んだ。
「…私は…ジャンを死なせてしまった……
……なのに、…なのに、私は…自分のことばかり考えて………」
大粒の雨が落ち始める。
ぼつぼつと布を濡らす涙は止まらない。
肩に乗ったエンを抱きかかえたアレッタは、小さくも力強く叫んだ。
「でも……っ
……し……死にたくないんだ……っ!!!」
肩を揺らし啼泣するアレッタに、フィアは笑った。
「ヒトらしくなったじゃないか、アレッタ」
鼻水と涙でぐちゃぐちゃの顔でフィアを見上げた。
「『恐れがない人生はクソ』
先代の口癖だけどな。終わりがあるから、この世は儚く、美しく、そして醜い」
アレッタはぐちょぐちょの顔のまま、屋敷に向かって歩き出したフィアに言った。
「…私は、醜く、……生きる……!」
「ぜひ、そうしてくれ」
アレッタはエンを抱えたまま、声をこらえることなく、泣くのだった。
変えられない未来を呪い、憎み、アレッタは声を出して泣いた。
それしか心の中を整理する方法がなかったから───
エイビスの屋敷には中庭があり、バラの蔦が這ったガゼボがある。
満開のバラには妖精がふわりふわりと舞い踊り、ガス灯が揺れるガゼボの中には、ベンチもある。
アレッタはそのベンチにひとり腰をかけていた。彼女の膝にはエンが丸まり、ときおり尻尾を揺らしているが、アレッタのはその姿も目に入っていないようだ。
ただうなだれたまま、座りこけている。
ネージュはその様子をキッチンからただ眺めていた。
黙って見つめているネージュの唇は、ほのかに揺れ、何か言いたげな顔だが、彼女の足がアレッタへと向こうとはしない。
そんな暗い屋敷の扉が開らかれた。
エイビズとフィアが帰ってきたのだ。
すぐに明かりが灯り始め、屋敷が優しい光で満ち始める。
これはフィアの力によるもの。瞬く間に燭台からシャンデリアに至るまで火が走り、明かりとなっていく。
すぐにキッチンの扉が開いた。
振り返ったネージュは、フィアに唇だけで微笑んだ。
「おかえり、フィア」
その声にフィアも答え、ネージュの隣へと立った。
「ああ、ただいま。お前、何見てるんだ……?」
ネージュが見ていた窓に近づくと、ガゼボが見え、アレッタの姿もぼんやりとわかる。
「そんなところから見てないで、アレッタのところに行ったらどうだ?」
「……慰めるばかりが解決じゃないわ。そうでしょ……?」
ネージュはため息のように息を吐くと、窓際を離れ、キッチンから出ていく。
「ネージュ、」
「なぁに?」
「ここにサンドイッチ、置いておく。スープもあるから飲めよ」
こくりと頷いて出ていくネージュを見送ったあと、フィアは鍋を指でなぞり、スープを温め直した。
木製のトレイに作り置きしておいた生ハムとクリームチーズのサンドイッチと、ジャガイモのコンソメスープを乗せ、それを左手で持ち、キッチンから中庭へと続くドアノブへ手をかける。
外はすこし肌寒い。
今日の夜は冷えそうだ。
湯気の立つ器をそっと運びながら踏みしめる足取りはしっかりしたものだ。
慣れたもので、片手でトレイを運びながら、集る妖精たちを虫のようにあしらい、アレッタが座りこけるガゼボへフィアは到着した。
先ほどよりも闇が深くなり、ガス灯の揺らぎが明るく感じる。
「アレッタ」
「あ、……あ…フィア、おかえり」
「ああ。ただいま。アレッタ、腹、空いてないか?」
アレッタの横へと腰をおろしたフィアは、ベンチの上にトレイを滑り置いた。
それを見つけたアレッタの目は一瞬きらりと輝いたが、それっきりで再び目を伏せる。
そして、小さく傾げた。
「……なんだろう。全然お腹が空かないんだ。どうしてだと思う?」
それにフィアは答えず、まだ治りきれていないアレッタの怪我を治しはじめた。
小さな肩に当てられた手はほのかな光を帯び、アレッタを包み込んでいく。
大雑把な怪我しか治っていなかったため、かすり傷や打ち身の痛みが消えていくのがわかる。
アレッタはフィアの治療に身を任せながら、サンドイッチを手に取った。
パンをちぎってエンの口元へと持っていくと、目をつぶっていたはずのエンだが、目を閉じたまま鼻をすんすんと鳴らし、そのままパクリと食いついた。
勢いのついたエンを撫でながら、サンドイッチを与えるアレッタにフィアが言った。
「……怖い、のか」
フィアの言葉に、アレッタは体を強張らせた。電気が走り抜けたようにびくりと背を震わせ、息を呑む。
そしてアレッタの桃色の唇が青く染まり、震えだした。
きっとようやく押さえ込んだ感情だったのだろう。
無理やり閉じ込めた感情が形になった途端、声に出そうとする度にそれが胃を胸を締めつけ、涙となって溢れてくる。
「……フィアがいなかったら……私はああなるんだろ……?」
ぼつりという音と共に涙が落ちる。
エンの鼻にも落ちたようで、ぺろりとする。するとアレッタの肩へとよじ登り、頬に伝う涙を舐めはじめた。
そんなエンに構うことなく、アレッタはぐしゃぐしゃの顔で言葉を紡いだ。
「……私は……死の意味をまるで理解していなかった……
どこか、美徳に思っていた……」
アレッタはフィアを見上げた。
「なぁ、
……最後の日、私はどう死ぬと思う」
しわくちゃに歪んだアレッタの顔は、恐れと未来への絶望に塗られている。
だが、その気持ちを覆すことができるほどの言葉もない。
フィアは小さく首を横に振り、唇だけで笑って見せた。
アレッタはさらに小さな拳を握り、それを太ももに叩き込んだ。
「…私は…ジャンを死なせてしまった……
……なのに、…なのに、私は…自分のことばかり考えて………」
大粒の雨が落ち始める。
ぼつぼつと布を濡らす涙は止まらない。
肩に乗ったエンを抱きかかえたアレッタは、小さくも力強く叫んだ。
「でも……っ
……し……死にたくないんだ……っ!!!」
肩を揺らし啼泣するアレッタに、フィアは笑った。
「ヒトらしくなったじゃないか、アレッタ」
鼻水と涙でぐちゃぐちゃの顔でフィアを見上げた。
「『恐れがない人生はクソ』
先代の口癖だけどな。終わりがあるから、この世は儚く、美しく、そして醜い」
アレッタはぐちょぐちょの顔のまま、屋敷に向かって歩き出したフィアに言った。
「…私は、醜く、……生きる……!」
「ぜひ、そうしてくれ」
アレッタはエンを抱えたまま、声をこらえることなく、泣くのだった。
変えられない未来を呪い、憎み、アレッタは声を出して泣いた。
それしか心の中を整理する方法がなかったから───
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