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第2章 カフェから巡る四季
第107話 ストレス発散は、スパイシー料理(バターチキンカレー)
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大寒波の衝撃波は雪と風となり、この土地を吹き荒らしていた。
コートの襟を立て、マフラーをきつく巻き付けようとも、心底冷えた気温のなかで生まれた風は、極寒を作り出し、人の頬、手、鼻、喉へと突き刺さってくる。
今日は莉子が連藤の家に来る日ではあったが、家で暖かく過ごして欲しいと連絡するしかない。
連藤はいつになく不機嫌のまま仕事をこなすが、彼女と過ごすようになってから、目が見えていたら苦労しない苦労につきまとわれている気がする。
これも別にタクシーを使えば問題はないのだ。
自分が電話1本入れさえすれば、彼女を拾え、マンションまで運んで来れる。
だが、そう安易に動けない。
なぜなら状況を音でしか判断できないからだ。
もしかすれと、歩けるぐらいの風になっているかもしれない。
もしかすれと、自分が迎えにいけるほどの状況かもしれない。
もしかすると、一歩も外に出てはいけないほどの状況かもしれない。
だが、その場での状況判断を自分ではそう簡単に下せない。
見えないことの不便さを分かったつもりでいたが、改めてそう感じることが多い。
「……不自由だ」
連藤が呟いた声に反応してか、三井がコーヒーを運んできた。
「さっきから何ぶつぶつ言ってんだ?」
「三井か。コーヒー、すまない。……いや、なんでもない」
言いながらキーボードへ指を滑らすが、彼の指はあまりなめらかに動いていないようだ。
「今日、莉子んとこ行くなら送っていくか?」
「いや、今日は莉子さんが来る番だったんだ。だが状況的に、彼女を外に出すのは得策ではないだろう。今日はお互い家にこもることにするよ」
「それで機嫌悪いのかよ」
呆れた声を三井は吐くが、
「……俺の目が見えていればと思ってしまうんだから仕方がないだろ」
さらに尖った声が返ってくる。
「無い物ねだりだわなぁ」
「それもわかってる……」
苦虫を噛み潰したような顔である。
彼自身、よくわかっていることなのだろう。
よくわかっているからこその、この気持ちなのだ。
かける言葉が見つからないとは、よくできた言葉だ。
「こういう日、莉子ならどんな料理を作るんだ?」
「……ん? そうだな……イライラしてしまう日は、辛いものを食べて、ストレスをストレスで相殺するっていってたかな」
「カレーだな。今晩、カレーにしようぜ。定時で上がれるだろ? じゃ、よろしく」
肩を叩いて去っていく三井に、どれほどの殺意が湧いただろう。
連藤の表情は能面のように固まっていた。
しかしながら口約束は守ると決めている。
定時で上がれるよう仕事を調整し、三井にメールを入れた。
『上がりだ。車に乗せろ』
数分で三井は登場し、彼の車に乗り込み、帰宅となった。
三井はシャワー浴びてから部屋に行く、とのことで、連藤は本日のカレーの準備に入る。
本日のカレーは、バターチキンカレーである。
冷凍庫のストックにタンドリーチキンがあったのを思い出したのだ。
これを解凍し、トマト缶で煮れば出来上がったも同然である。
タンドリーチキンはどの部位の鶏肉でも可能なのだが、食べやすさを考えれば鶏もも肉がいい。
のに、今回は鶏手羽元だ。たまたま余っていたのだろう。漬け込んだ過去の自分に対して、ちょっと不機嫌になる。
タンドリーチキンの作り方は簡単だ。
塩胡椒をし、生姜とニンニクすりおろしとヨーグルト、さらにカレー粉を入れて揉んでから1時間以上冷蔵庫で寝かせれば完成、というもの。
それを解凍しながら、連藤はカレー粉を取り出した。
今回カレー粉は、以前莉子とスリランカカレーの店に行った際に購入したスパイスだ。
かなり辛味も強いが、風味もいいものなので、かなり本格的な味に仕上がるはずだ。
ご飯も炊飯器にセットし終えたところで、肉の解凍もすんだようだ。
深めの鍋に多めのバターを入れ、カットトマト缶を投入して一度火にかける。
鍋底からふつふつと湧いてきたらタンドリーチキンを漬けダレごと入れ、鶏ガラスープを加えて弱火でじっくり煮込んでいく。
そうしたところで三井の登場。
適当なナイロン袋にビールが数本詰め込まれている。
「やっぱカレーにはビールだろ!」
連藤は笑いながら受け取ると、冷蔵庫へとしまい込んだ。
「あとは15分ほどで出来上がる。米もそろそろ炊けるだろう。先にビールでも飲んでいるか?」
「いいな、それ」
声と同時にしまったばかりのビールを取り出しにいき、
「連藤、冷蔵庫のサラダも食っていいのか?」
「もちろんだ。チーズもあるから、それをつまみにビールでも飲もう」
ビール用のグラスを取り出し、三井が泡の比率に気をつけながら注ぎ終えると、連藤に手渡した。
「寒波だが、カレーで乗り切ろうぜ。乾杯」
小さく呟き連藤のグラスへカチリと当てる。
「ああ、乾杯」
連藤も一気にあおり、半分ほど飲み干したところで、タイマーの音が鳴った。
「カレーの仕上げだ。待っていろ」
エプロンをかけなおし、鍋の前に立った連藤はカレーの中に牛乳を注ぎ込んだ。そこから弱火で10分ほどさらに煮込むと完成だ。
10分の間に、ズッキーニのチーズ焼き、冷奴のオリーブオイルかけを作り、テーブルに運ぶと、三井は新たなつまみを口に運びながらビールを飲み干していく。
「三井、できたぞ。テーブルへ運んでくれ」
魔法のランプのようなソースポットには、艶やかに輝く赤いカレールーがなみなみと詰め込まれ、平皿にはサフランライスが盛り付けられている。
湯気がまとうカレーの香りは本格的でありながらバターの甘い香りもしてくる。
「旨そうだな!」
待ちきれないと叫ぶ三井に笑いながら、
「冷めないうちに食べようか」
連藤も席に着いた。
さっそくとルーを口に運ぶが、トマトの酸味が一瞬広がるが、そこにバターのコクと甘みがきて、飲み込んだあとに、じわりと鼻頭が熱くなる。
さらにヒリヒリと舌が痺れてくるが、それが刺激になってもうひと口と誘ってくる魔性のカレーだ。
大雑把にいえばトマトカレー。だが、スパイスが本格的なものなだけに辛味に深みがある。
香りも様々なスパイスの香りがたちのぼり、香辛料の力をまじまじと感じる。
この辛さだけではない、旨さは、本場のスパイスだからこそできる技だろう。
「これ、飯、とまんねぇな」
三井はカレーを口に放り込み、さらにご飯、飲み込んだ後に辛さをごまかすためかビールをあおる。
さらに口休めにサラダも頬張ってはいるが、やはりカレーへと進むスプーンは止められないようで、再び辛い辛いと言いながらも口の中へ迎え入れていく。
「病みつきになる辛さだな」
連藤もまた止められないスプーンに悩みながら吹き出す汗をぬぐいつつ、ひたすらに頬張り続ける。
水分補給にビールを流すが、全て汗になって出ている気がするほどだ。
「おい、連藤、これなら体の芯から熱くなるな」
「間違いない。外の寒さなど、気にならなくなる。しかし、このスパイスがこれほどのものとは思っていなかった……」
「どういう意味だよ?」
「旨すぎるだろ。あとですぐに莉子さんに連絡しておこう」
「本当にお前はりこりこりこりこ……」
言葉を飲むようにビールを流し込むが、連藤は微笑んだままだ。
「なんだよ、ニヤニヤして」
「確かに俺は莉子さんでいっぱいなんだな、って思ったんだ。バカみたいだが、羨ましいだろ、三井」
「言ってろ」
三井は呆れたようにビールを飲み込んだが、連藤はなぜか笑ったままだ。
見えない瞼に莉子を写しているのだろうか。
「そうだ、ビール終わったらロゼでも飲まないか? 辛口のがあるんだ」
「いいな、それ」
弾んだ返事に、連藤は再び微笑んだ。
そう、連藤は、男だけの食事は久々だと、それに笑っていたのだ。
お互いの気持ちはすれ違いのまま、今日も終わっていく。
目が見えないからこそ、伝えられない気持ちもあるし、理解できない気持ちもある。だが、見えないからこそ伝わる気持ちも、理解してしまう気持ちもあるもの。
———人間は誰だって不自由なのだ。
コートの襟を立て、マフラーをきつく巻き付けようとも、心底冷えた気温のなかで生まれた風は、極寒を作り出し、人の頬、手、鼻、喉へと突き刺さってくる。
今日は莉子が連藤の家に来る日ではあったが、家で暖かく過ごして欲しいと連絡するしかない。
連藤はいつになく不機嫌のまま仕事をこなすが、彼女と過ごすようになってから、目が見えていたら苦労しない苦労につきまとわれている気がする。
これも別にタクシーを使えば問題はないのだ。
自分が電話1本入れさえすれば、彼女を拾え、マンションまで運んで来れる。
だが、そう安易に動けない。
なぜなら状況を音でしか判断できないからだ。
もしかすれと、歩けるぐらいの風になっているかもしれない。
もしかすれと、自分が迎えにいけるほどの状況かもしれない。
もしかすると、一歩も外に出てはいけないほどの状況かもしれない。
だが、その場での状況判断を自分ではそう簡単に下せない。
見えないことの不便さを分かったつもりでいたが、改めてそう感じることが多い。
「……不自由だ」
連藤が呟いた声に反応してか、三井がコーヒーを運んできた。
「さっきから何ぶつぶつ言ってんだ?」
「三井か。コーヒー、すまない。……いや、なんでもない」
言いながらキーボードへ指を滑らすが、彼の指はあまりなめらかに動いていないようだ。
「今日、莉子んとこ行くなら送っていくか?」
「いや、今日は莉子さんが来る番だったんだ。だが状況的に、彼女を外に出すのは得策ではないだろう。今日はお互い家にこもることにするよ」
「それで機嫌悪いのかよ」
呆れた声を三井は吐くが、
「……俺の目が見えていればと思ってしまうんだから仕方がないだろ」
さらに尖った声が返ってくる。
「無い物ねだりだわなぁ」
「それもわかってる……」
苦虫を噛み潰したような顔である。
彼自身、よくわかっていることなのだろう。
よくわかっているからこその、この気持ちなのだ。
かける言葉が見つからないとは、よくできた言葉だ。
「こういう日、莉子ならどんな料理を作るんだ?」
「……ん? そうだな……イライラしてしまう日は、辛いものを食べて、ストレスをストレスで相殺するっていってたかな」
「カレーだな。今晩、カレーにしようぜ。定時で上がれるだろ? じゃ、よろしく」
肩を叩いて去っていく三井に、どれほどの殺意が湧いただろう。
連藤の表情は能面のように固まっていた。
しかしながら口約束は守ると決めている。
定時で上がれるよう仕事を調整し、三井にメールを入れた。
『上がりだ。車に乗せろ』
数分で三井は登場し、彼の車に乗り込み、帰宅となった。
三井はシャワー浴びてから部屋に行く、とのことで、連藤は本日のカレーの準備に入る。
本日のカレーは、バターチキンカレーである。
冷凍庫のストックにタンドリーチキンがあったのを思い出したのだ。
これを解凍し、トマト缶で煮れば出来上がったも同然である。
タンドリーチキンはどの部位の鶏肉でも可能なのだが、食べやすさを考えれば鶏もも肉がいい。
のに、今回は鶏手羽元だ。たまたま余っていたのだろう。漬け込んだ過去の自分に対して、ちょっと不機嫌になる。
タンドリーチキンの作り方は簡単だ。
塩胡椒をし、生姜とニンニクすりおろしとヨーグルト、さらにカレー粉を入れて揉んでから1時間以上冷蔵庫で寝かせれば完成、というもの。
それを解凍しながら、連藤はカレー粉を取り出した。
今回カレー粉は、以前莉子とスリランカカレーの店に行った際に購入したスパイスだ。
かなり辛味も強いが、風味もいいものなので、かなり本格的な味に仕上がるはずだ。
ご飯も炊飯器にセットし終えたところで、肉の解凍もすんだようだ。
深めの鍋に多めのバターを入れ、カットトマト缶を投入して一度火にかける。
鍋底からふつふつと湧いてきたらタンドリーチキンを漬けダレごと入れ、鶏ガラスープを加えて弱火でじっくり煮込んでいく。
そうしたところで三井の登場。
適当なナイロン袋にビールが数本詰め込まれている。
「やっぱカレーにはビールだろ!」
連藤は笑いながら受け取ると、冷蔵庫へとしまい込んだ。
「あとは15分ほどで出来上がる。米もそろそろ炊けるだろう。先にビールでも飲んでいるか?」
「いいな、それ」
声と同時にしまったばかりのビールを取り出しにいき、
「連藤、冷蔵庫のサラダも食っていいのか?」
「もちろんだ。チーズもあるから、それをつまみにビールでも飲もう」
ビール用のグラスを取り出し、三井が泡の比率に気をつけながら注ぎ終えると、連藤に手渡した。
「寒波だが、カレーで乗り切ろうぜ。乾杯」
小さく呟き連藤のグラスへカチリと当てる。
「ああ、乾杯」
連藤も一気にあおり、半分ほど飲み干したところで、タイマーの音が鳴った。
「カレーの仕上げだ。待っていろ」
エプロンをかけなおし、鍋の前に立った連藤はカレーの中に牛乳を注ぎ込んだ。そこから弱火で10分ほどさらに煮込むと完成だ。
10分の間に、ズッキーニのチーズ焼き、冷奴のオリーブオイルかけを作り、テーブルに運ぶと、三井は新たなつまみを口に運びながらビールを飲み干していく。
「三井、できたぞ。テーブルへ運んでくれ」
魔法のランプのようなソースポットには、艶やかに輝く赤いカレールーがなみなみと詰め込まれ、平皿にはサフランライスが盛り付けられている。
湯気がまとうカレーの香りは本格的でありながらバターの甘い香りもしてくる。
「旨そうだな!」
待ちきれないと叫ぶ三井に笑いながら、
「冷めないうちに食べようか」
連藤も席に着いた。
さっそくとルーを口に運ぶが、トマトの酸味が一瞬広がるが、そこにバターのコクと甘みがきて、飲み込んだあとに、じわりと鼻頭が熱くなる。
さらにヒリヒリと舌が痺れてくるが、それが刺激になってもうひと口と誘ってくる魔性のカレーだ。
大雑把にいえばトマトカレー。だが、スパイスが本格的なものなだけに辛味に深みがある。
香りも様々なスパイスの香りがたちのぼり、香辛料の力をまじまじと感じる。
この辛さだけではない、旨さは、本場のスパイスだからこそできる技だろう。
「これ、飯、とまんねぇな」
三井はカレーを口に放り込み、さらにご飯、飲み込んだ後に辛さをごまかすためかビールをあおる。
さらに口休めにサラダも頬張ってはいるが、やはりカレーへと進むスプーンは止められないようで、再び辛い辛いと言いながらも口の中へ迎え入れていく。
「病みつきになる辛さだな」
連藤もまた止められないスプーンに悩みながら吹き出す汗をぬぐいつつ、ひたすらに頬張り続ける。
水分補給にビールを流すが、全て汗になって出ている気がするほどだ。
「おい、連藤、これなら体の芯から熱くなるな」
「間違いない。外の寒さなど、気にならなくなる。しかし、このスパイスがこれほどのものとは思っていなかった……」
「どういう意味だよ?」
「旨すぎるだろ。あとですぐに莉子さんに連絡しておこう」
「本当にお前はりこりこりこりこ……」
言葉を飲むようにビールを流し込むが、連藤は微笑んだままだ。
「なんだよ、ニヤニヤして」
「確かに俺は莉子さんでいっぱいなんだな、って思ったんだ。バカみたいだが、羨ましいだろ、三井」
「言ってろ」
三井は呆れたようにビールを飲み込んだが、連藤はなぜか笑ったままだ。
見えない瞼に莉子を写しているのだろうか。
「そうだ、ビール終わったらロゼでも飲まないか? 辛口のがあるんだ」
「いいな、それ」
弾んだ返事に、連藤は再び微笑んだ。
そう、連藤は、男だけの食事は久々だと、それに笑っていたのだ。
お互いの気持ちはすれ違いのまま、今日も終わっていく。
目が見えないからこそ、伝えられない気持ちもあるし、理解できない気持ちもある。だが、見えないからこそ伝わる気持ちも、理解してしまう気持ちもあるもの。
———人間は誰だって不自由なのだ。
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