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第2章 カフェから巡る四季
第68話 ある日の連藤の休日
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「俺の部屋、今、1番が片付けてんだよ」
部屋のチャイムを鳴らした途端、連藤の部屋へ踏み込んできたのは三井である。
どうぞとも言わずに入ってくるのが、彼らしいとも言えるが、連藤は大きくため息をついてみせる。
だが、連藤のこの態度も、彼にとっては鼻息程度にしか感じないらしい。
上下スウェット姿の三井は、履き潰したサンダルを脱ぎ捨て、ずかずかとリビングに入ると、どっかりとソファに腰をおろした。
そんな彼の右手には携帯と、少し厚めの本が握られ、しっかり時間をつぶす道具は持ってきているようで、さっそくと本を読み出した。
連藤は音の動きで三井が何を始めたのか理解はするが、
「お前の部屋の片付けと、俺の部屋に来る理由が、なぜ重なるんだ?」
少しばかり怒りの籠った声がかかる。
「なんか、片付けに邪魔なんだってよ。 ……もしかして、お前も邪魔とか言う?」
これだけ態度に出していたのに、気づいていない三井の図太さに、連藤は負けた。
気持ちで負けた。
敗北したからには、そこに座ってもいいと許可をしなければならない。
「これから作りたいものがあるんだ。それの邪魔をしないならいいが……」
「携帯のイヤホンと本もある。座る場所だけ貸してくれたらそれでいい」
そう言って、再び本のページがめくられる。
「……コーヒーぐらいはいれてやる」
連藤はすぐにコーヒーを入れ、三井に渡す。
そっと受け取った三井は「サンキュー」軽い口調でそれをすすり、再び静かになる。
連藤はガトーショコラを作る準備をしていたのだ。
莉子が最近疲れ気味なのを気にしての、甘いお菓子の差し入れである。
だが、甘さは少し控えめにしている。
理由は莉子がコーヒーと合わせるのではなく、ポートワインと合わせるからだ。
連藤自身はもう少し甘めのほうが好きであるし、酸味が控えめの深煎りのコーヒーと合わせるのが一番だと思っている。
だが彼女と付き合い始めてからは、ワインがいつも隣にある気がする。
悪いことではないが、これからの年齢を考えると、少し気にしていかなければならないのだが、彼女の息抜きでもあるため、あまり強くも言えないのが少し辛いところだ。
生地を手際良く作っていくが、今まで目で見て作ってきた料理を、簡易な行程で作成するようになって、いろいろ学んだ部分も多い。
どれだけ丁寧に作っても、味に大差がないものも、実はある。
それを目の当たりにし、仕事でもどれだけ手を加えずに完結することができるかを考えるようになった。
目が見えた頃であれば、処理の速度も速く、そこに至るまでの行程が大事に思っていた。
結果が同じでもどれだけの内容を組み込んできたかが大切だと考えていたからだ。
実際、それで契約を得てきたこともある。
だが目が見えなくなってからは、そうはできなかった。
できなくなったのだ。
本当に、人生は、学ぶことが数多にある───
連藤はひとり考えこみながら、生地を流し込んだ型を持ち上げ、落とした。
空気を抜くと、コンロの下にはめ込まれたオーブンへそれをそっと置く。
ここからが勝負である。
美味しくできますように。
昔ならこんなお願いなどしたこともなかったが、愛する人に食べさせたいケーキ。
少しでも、一口でも多く食べて欲しい。
見えない目でオーブンの奥を眺め、扉越しの熱気を感じてから立ち上がった。
どうもカウンター越しに気配がある。
「……三井、コーヒーか?」
「あぁ、わりぃ」
連藤はコーヒーを2つ作ると、1つを三井に渡し、1つは自分の口に運んだ。
そのままカウンターに腰掛けた三井の横に、連藤も腰を下ろすが、いやに三井が静かだ。
本をめくる音もなければ、携帯をいじる音すらしない。
湯気を息で吹き消し、コーヒーをすする音だけが聞こえる。
「三井、どうかしたのか?」
「……いや、そのケーキって、莉子のお土産だろ? お前がケーキを焼くのは好きな人だけだろ」
「よく覚えてるな。そうなんだ。夕方に会うからな」
楽しそうに話す連藤だが、三井の空気は重い。
「……いやさ、お前みたいに彼女のために何かしたこと、俺、あったかなぁとか思ってさ」
「いつも、やれプレゼントだ、やれクルージングだって何かしてるだろ?」
連藤がコーヒーをすするが、三井は手を動かし語ってくる。
「それは物だろ、モノ。俺自身で何か、お前みたいに料理作ったりとか、それこそコーヒーを入れてやったりとか、思えば一切ないなぁって思ってな。………なんでみんな俺のそばに居るんだろうな」
カップにひとつ息をかけ、コーヒーを飲む。
これは三井の癖だ。
ある程度冷めてくればそんなことはしないのだが、彼が感じる熱さまでは息をかけて飲む動作をする。
これはきっと三井自身は気づいていない癖だろう。彼女は気付いているかもしれないが。
連藤も軽く息を吹きかけ、同じように飲み込んだ。
まだ熱いコーヒーだが、飲み込んだあと鼻孔の奥に蜜の香りが流れてくる。
冷めてくるともっといい香りがするのがこのコーヒーの特徴だろう。
連藤はタバコの煙のように、口から息をふぃと吐き出し、
「お前もわかってるんだろ? プレゼントが効いてるって?」
連藤があえて尋ねるように言い返した。
「やっぱそう思うか?」
三井は笑うが、乾いた笑いだ。
モノでしか繋がっていない関係に笑ったのだ。
欲と欲のつながりは、情がない。
だから割り切って付き合えるんだ。三井はそう思っている。
だが一方で、心底心配し、心底愛してみたいとも思う。
煩わしい感情も、本当に愛したい相手なら、自分からそうなるのではと思うが、未だにそんな女性が現れてくれない。
莉子曰く、「本気で探してないからだ」というが、そうだろうか。
いつだって自分は本気だし、いつだって心から愛する人を求めているのに───
気づくとカップの中が空になっている。
連藤もそのようだ。
「三井、今1番さんが掃除してくれてるんだろ? プリンでも作って持っていくか?」
カップを眺め、思い出したように言うが、
「そんなに簡単にできるのかよ」
「俺の言った通りにすればな」
にやりと笑う連藤の顔が、妙に怖い。
だがそれならと立ち上がった三井は連藤の指示のもと、まず大きめのマグカップを選ぶことになった。
「1番さんに似合うカップを選んだか?」
「ああ、コーヒー用のマグカップだが」
「それでいい。まずそのカップをお湯で温める。流しのお湯でいい。適当にかけて温めてくれ」
三井は従順に蛇口をひねり、お湯をカップに注ぎ温め始めた。
その間、連藤は卵と牛乳、砂糖を並べていく。
「あったまったぞ、連藤」
「ではそれをキッチンペーパーで拭いてくれ。きれいに拭き終わったら、砂糖大さじ1つ、水を小さじに半分入れて電子レンジにかける。電子レンジは棚の中にある」
棚? いぶかしげながら棚を見ると、電子レンジが鎮座しているではないか。
では今ケーキを焼くために動いているのはなんなんだ?
「連藤、ケーキはなんで焼いてるんだ?」
「ケーキはスチームオーブンだ」
「2個あんのかよ」
連藤の料理愛の凄さを感じながら、砂糖と水をいれたマグカップをレンジにセットした。
「何分だ?」
「600Wで1分ぐらいだな。様子を見て、焦げて色が付いてきたら止めろ。これはカラメルになるから、カラメル色のイメージをしてレンジにかけろ」
言われた通りにレンジを操作すると、瞬く間に湯気が上がり始める。
一度取り出し、見てみるとグツグツと砂糖水が湧き立っている。
「色はどうだ?」
「薄い、かも……?」
「ではもう少しだけかけて、取り出したら水を入れてくれ」
言われた通りにレンジにかけて、小さじ半分の水を入れる。
途端にこげ茶色の砂糖水が沸騰し、泡がわきあがってくる。
「化学の実験みたいだな……」
「水を混ぜるようにカップの中を動かしたら、それでカラメルが完成だ」
これでマグカップの中にできあがったのだという。こんなに簡単にできるとは驚きである。
「あとは、こっちの小さなボウルに、牛乳を130cc、卵は1個、砂糖を大さじ1入れて、よく混ぜろ」
ボールが差し出され、そこに不器用に牛乳を測り入れ、卵を落とし、砂糖を大さじ1杯投入すると、次に持たされた小ぶりの泡立て器でぐるぐると混ぜていく。
「混ぜ過ぎても、泡立っても構わない。しっかり混ぜてくれ。混ざったらバニラエッセンスを一振りいれてもう一度混ぜれば、卵液の完成だ」
しっかり泡立った卵液ができあがったが、これをどうするのだろう。
「三井、茶こしがあるからそれを通して卵液をさっきのカップに注げ」
渡された茶こしを通して卵液を注いでいくと多少の泡が消えていき、さらに混ぜきれなかった卵のかけらが茶こしの中に残っている。
「マグカップをそのまま電子レンジにいれ、600Wで2分かけろ。グツグツと泡立ってきたら3つ数えてすぐ止めろ。で、ここにあるタオルを巻き、ラップをかけて10分待てば完成だ」
2分かけている間にカップの中身はグツグツしだす。
1、2、3と数えるとタオルで包みながら取り出した。
すぐに洗濯バサミでタオルを止めてラップをかける。
手渡されたタイマーを10分ひねり、あとは待つだけ。
三井はタオルにくるまれたカップを見下ろし、
「意外と簡単にできるんだな」
「コツさえわかっていれば、できる」
「これ、あったかくても食えるのか?」
「もちろん」
それを聞くと三井は携帯を取り出し電話をかけ始めた。
「ああ、俺、……うん、あ、帰って大丈夫か? ちょっと待ってろよ……あぁ、渡したいものあるから…あ、たいしたもんじゃねーぞ…うん、じゃ」
携帯が切れ、ポケットにしまう様子を感じながら、連藤は呆れたように微笑んだ。
「やっぱりマメだな、三井は」
「いきなり帰ってまた邪魔とか言われたくねぇだろ?」
「そうか?」
連藤はこたえながらナイロン製の手提げを三井に見せ、
「ここに携帯と本をいれたらいい。カップはタオルに包んだまま、もっていけ」
「お、サンキュ。気が利くな」
少し声が弾んでいる。
自分が作ったことに満足したのと、何かを自分の力で与えることに、嬉しさがあるのだろうか。
「じゃ、また来るわ」
「俺にも連絡をしろ」
「わかったよ」
扉が閉まり、鍵が自動で降りていく。
少し間を空けて、別のドアが開く音がした。
たぶん、美味しいと思う。
なんていっても、三井が作ったのだから。
「さ、自分のケーキも、そろそろだな」
連藤は慣れた手つきで焼き具合を確認し始めた。
部屋のチャイムを鳴らした途端、連藤の部屋へ踏み込んできたのは三井である。
どうぞとも言わずに入ってくるのが、彼らしいとも言えるが、連藤は大きくため息をついてみせる。
だが、連藤のこの態度も、彼にとっては鼻息程度にしか感じないらしい。
上下スウェット姿の三井は、履き潰したサンダルを脱ぎ捨て、ずかずかとリビングに入ると、どっかりとソファに腰をおろした。
そんな彼の右手には携帯と、少し厚めの本が握られ、しっかり時間をつぶす道具は持ってきているようで、さっそくと本を読み出した。
連藤は音の動きで三井が何を始めたのか理解はするが、
「お前の部屋の片付けと、俺の部屋に来る理由が、なぜ重なるんだ?」
少しばかり怒りの籠った声がかかる。
「なんか、片付けに邪魔なんだってよ。 ……もしかして、お前も邪魔とか言う?」
これだけ態度に出していたのに、気づいていない三井の図太さに、連藤は負けた。
気持ちで負けた。
敗北したからには、そこに座ってもいいと許可をしなければならない。
「これから作りたいものがあるんだ。それの邪魔をしないならいいが……」
「携帯のイヤホンと本もある。座る場所だけ貸してくれたらそれでいい」
そう言って、再び本のページがめくられる。
「……コーヒーぐらいはいれてやる」
連藤はすぐにコーヒーを入れ、三井に渡す。
そっと受け取った三井は「サンキュー」軽い口調でそれをすすり、再び静かになる。
連藤はガトーショコラを作る準備をしていたのだ。
莉子が最近疲れ気味なのを気にしての、甘いお菓子の差し入れである。
だが、甘さは少し控えめにしている。
理由は莉子がコーヒーと合わせるのではなく、ポートワインと合わせるからだ。
連藤自身はもう少し甘めのほうが好きであるし、酸味が控えめの深煎りのコーヒーと合わせるのが一番だと思っている。
だが彼女と付き合い始めてからは、ワインがいつも隣にある気がする。
悪いことではないが、これからの年齢を考えると、少し気にしていかなければならないのだが、彼女の息抜きでもあるため、あまり強くも言えないのが少し辛いところだ。
生地を手際良く作っていくが、今まで目で見て作ってきた料理を、簡易な行程で作成するようになって、いろいろ学んだ部分も多い。
どれだけ丁寧に作っても、味に大差がないものも、実はある。
それを目の当たりにし、仕事でもどれだけ手を加えずに完結することができるかを考えるようになった。
目が見えた頃であれば、処理の速度も速く、そこに至るまでの行程が大事に思っていた。
結果が同じでもどれだけの内容を組み込んできたかが大切だと考えていたからだ。
実際、それで契約を得てきたこともある。
だが目が見えなくなってからは、そうはできなかった。
できなくなったのだ。
本当に、人生は、学ぶことが数多にある───
連藤はひとり考えこみながら、生地を流し込んだ型を持ち上げ、落とした。
空気を抜くと、コンロの下にはめ込まれたオーブンへそれをそっと置く。
ここからが勝負である。
美味しくできますように。
昔ならこんなお願いなどしたこともなかったが、愛する人に食べさせたいケーキ。
少しでも、一口でも多く食べて欲しい。
見えない目でオーブンの奥を眺め、扉越しの熱気を感じてから立ち上がった。
どうもカウンター越しに気配がある。
「……三井、コーヒーか?」
「あぁ、わりぃ」
連藤はコーヒーを2つ作ると、1つを三井に渡し、1つは自分の口に運んだ。
そのままカウンターに腰掛けた三井の横に、連藤も腰を下ろすが、いやに三井が静かだ。
本をめくる音もなければ、携帯をいじる音すらしない。
湯気を息で吹き消し、コーヒーをすする音だけが聞こえる。
「三井、どうかしたのか?」
「……いや、そのケーキって、莉子のお土産だろ? お前がケーキを焼くのは好きな人だけだろ」
「よく覚えてるな。そうなんだ。夕方に会うからな」
楽しそうに話す連藤だが、三井の空気は重い。
「……いやさ、お前みたいに彼女のために何かしたこと、俺、あったかなぁとか思ってさ」
「いつも、やれプレゼントだ、やれクルージングだって何かしてるだろ?」
連藤がコーヒーをすするが、三井は手を動かし語ってくる。
「それは物だろ、モノ。俺自身で何か、お前みたいに料理作ったりとか、それこそコーヒーを入れてやったりとか、思えば一切ないなぁって思ってな。………なんでみんな俺のそばに居るんだろうな」
カップにひとつ息をかけ、コーヒーを飲む。
これは三井の癖だ。
ある程度冷めてくればそんなことはしないのだが、彼が感じる熱さまでは息をかけて飲む動作をする。
これはきっと三井自身は気づいていない癖だろう。彼女は気付いているかもしれないが。
連藤も軽く息を吹きかけ、同じように飲み込んだ。
まだ熱いコーヒーだが、飲み込んだあと鼻孔の奥に蜜の香りが流れてくる。
冷めてくるともっといい香りがするのがこのコーヒーの特徴だろう。
連藤はタバコの煙のように、口から息をふぃと吐き出し、
「お前もわかってるんだろ? プレゼントが効いてるって?」
連藤があえて尋ねるように言い返した。
「やっぱそう思うか?」
三井は笑うが、乾いた笑いだ。
モノでしか繋がっていない関係に笑ったのだ。
欲と欲のつながりは、情がない。
だから割り切って付き合えるんだ。三井はそう思っている。
だが一方で、心底心配し、心底愛してみたいとも思う。
煩わしい感情も、本当に愛したい相手なら、自分からそうなるのではと思うが、未だにそんな女性が現れてくれない。
莉子曰く、「本気で探してないからだ」というが、そうだろうか。
いつだって自分は本気だし、いつだって心から愛する人を求めているのに───
気づくとカップの中が空になっている。
連藤もそのようだ。
「三井、今1番さんが掃除してくれてるんだろ? プリンでも作って持っていくか?」
カップを眺め、思い出したように言うが、
「そんなに簡単にできるのかよ」
「俺の言った通りにすればな」
にやりと笑う連藤の顔が、妙に怖い。
だがそれならと立ち上がった三井は連藤の指示のもと、まず大きめのマグカップを選ぶことになった。
「1番さんに似合うカップを選んだか?」
「ああ、コーヒー用のマグカップだが」
「それでいい。まずそのカップをお湯で温める。流しのお湯でいい。適当にかけて温めてくれ」
三井は従順に蛇口をひねり、お湯をカップに注ぎ温め始めた。
その間、連藤は卵と牛乳、砂糖を並べていく。
「あったまったぞ、連藤」
「ではそれをキッチンペーパーで拭いてくれ。きれいに拭き終わったら、砂糖大さじ1つ、水を小さじに半分入れて電子レンジにかける。電子レンジは棚の中にある」
棚? いぶかしげながら棚を見ると、電子レンジが鎮座しているではないか。
では今ケーキを焼くために動いているのはなんなんだ?
「連藤、ケーキはなんで焼いてるんだ?」
「ケーキはスチームオーブンだ」
「2個あんのかよ」
連藤の料理愛の凄さを感じながら、砂糖と水をいれたマグカップをレンジにセットした。
「何分だ?」
「600Wで1分ぐらいだな。様子を見て、焦げて色が付いてきたら止めろ。これはカラメルになるから、カラメル色のイメージをしてレンジにかけろ」
言われた通りにレンジを操作すると、瞬く間に湯気が上がり始める。
一度取り出し、見てみるとグツグツと砂糖水が湧き立っている。
「色はどうだ?」
「薄い、かも……?」
「ではもう少しだけかけて、取り出したら水を入れてくれ」
言われた通りにレンジにかけて、小さじ半分の水を入れる。
途端にこげ茶色の砂糖水が沸騰し、泡がわきあがってくる。
「化学の実験みたいだな……」
「水を混ぜるようにカップの中を動かしたら、それでカラメルが完成だ」
これでマグカップの中にできあがったのだという。こんなに簡単にできるとは驚きである。
「あとは、こっちの小さなボウルに、牛乳を130cc、卵は1個、砂糖を大さじ1入れて、よく混ぜろ」
ボールが差し出され、そこに不器用に牛乳を測り入れ、卵を落とし、砂糖を大さじ1杯投入すると、次に持たされた小ぶりの泡立て器でぐるぐると混ぜていく。
「混ぜ過ぎても、泡立っても構わない。しっかり混ぜてくれ。混ざったらバニラエッセンスを一振りいれてもう一度混ぜれば、卵液の完成だ」
しっかり泡立った卵液ができあがったが、これをどうするのだろう。
「三井、茶こしがあるからそれを通して卵液をさっきのカップに注げ」
渡された茶こしを通して卵液を注いでいくと多少の泡が消えていき、さらに混ぜきれなかった卵のかけらが茶こしの中に残っている。
「マグカップをそのまま電子レンジにいれ、600Wで2分かけろ。グツグツと泡立ってきたら3つ数えてすぐ止めろ。で、ここにあるタオルを巻き、ラップをかけて10分待てば完成だ」
2分かけている間にカップの中身はグツグツしだす。
1、2、3と数えるとタオルで包みながら取り出した。
すぐに洗濯バサミでタオルを止めてラップをかける。
手渡されたタイマーを10分ひねり、あとは待つだけ。
三井はタオルにくるまれたカップを見下ろし、
「意外と簡単にできるんだな」
「コツさえわかっていれば、できる」
「これ、あったかくても食えるのか?」
「もちろん」
それを聞くと三井は携帯を取り出し電話をかけ始めた。
「ああ、俺、……うん、あ、帰って大丈夫か? ちょっと待ってろよ……あぁ、渡したいものあるから…あ、たいしたもんじゃねーぞ…うん、じゃ」
携帯が切れ、ポケットにしまう様子を感じながら、連藤は呆れたように微笑んだ。
「やっぱりマメだな、三井は」
「いきなり帰ってまた邪魔とか言われたくねぇだろ?」
「そうか?」
連藤はこたえながらナイロン製の手提げを三井に見せ、
「ここに携帯と本をいれたらいい。カップはタオルに包んだまま、もっていけ」
「お、サンキュ。気が利くな」
少し声が弾んでいる。
自分が作ったことに満足したのと、何かを自分の力で与えることに、嬉しさがあるのだろうか。
「じゃ、また来るわ」
「俺にも連絡をしろ」
「わかったよ」
扉が閉まり、鍵が自動で降りていく。
少し間を空けて、別のドアが開く音がした。
たぶん、美味しいと思う。
なんていっても、三井が作ったのだから。
「さ、自分のケーキも、そろそろだな」
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