café R ~料理とワインと、ちょっぴり恋愛~

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第2章 カフェから巡る四季

第60話 夏風邪

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 莉子は、メールにて連藤に連絡を入れておくことにする。

『今日はちょっと、休みにしてますので』

 それだけしか言ってないのに関わらず、すぐさま電話が鳴り、

「莉子さん、風邪でも引いたのか?」開口一番である。

 なんて気が利く男!
 と、褒めたいところだが、熱が上がり続けているため、誰にも構われたくない。


 いや、構われたい。
 でも構われたくない。


 この気持ちは理解していただけるだろうか。

 一人暮らしで重病になると、このまま死んだらどうしようという心細い気持ちになるものだ。
 だが逆に構われすぎると、熱のせいでどうでもよくなっているので、放ってほしいという、あまりに身勝手な気持ちのことである。

「どうも扁桃腺やったらしくて。病院には、行ったので……死にそうになったら連絡す」

「帰りに寄るし、今日の夜と明日中の粥ぐらいは作れるから安心してくれ。なんなら早退もか」
「そこまでは、いいです……」
「じゃあ定時であがる。それまで大事にしていてくれ」

 お互いにかぶせてまで話したいことではないのだが、お互いにそれだけはやめて欲しいときに、言葉を区切るようである。


 現在16時。
 定時であがるとすると、こちらへの到着はすんなりくれば17時45分ごろ。
 18時過ぎには来るだろうか。


 それまでは寝ていよう───


 朦朧とする意識の中で、莉子の瞼は深く閉じていった。
 冷たいタオルがかけられ、思わず目を覚ますが、一番最初の顔は、お前か。

「なんだよ、不服か?」

 声に出ていたようだ。
 朦朧とした世界は夢と現を間違えてしまう。
 そう、三井だ。
 だが彼はタオルをしぼり、莉子の顔を拭き、首元をぬぐい、また、タオルをしぼり、額に乗せる。

「……手慣れてますね……」

 扁桃腺の腫れが声を圧迫しているようで、呼吸すらも危うい音が響く中、彼女はぼそぼそと声を出した。

「妹が病弱だったからな」
「……そっか。ありがとうございます……んぐ」

 唾を飲み込むのも精一杯のようだ。
 つっかえながら話す彼女の声は、いつもとまるで違い、覇気もなければ、音も低い。

「三井、莉子さんはどうだ?」
「起きたぞ」

 連藤だ。薄目を開けてみると、シャツにスーツにエプロンという、なんてコアなファンを呼ぶ格好をしているのでしょう。しかもエプロンは自前のものです。

「莉子は眼福です」

 なぜか、声になっていたようだ。

「莉子さん、何を言っているんだ? こういうときは、スープカレーがいいと聞いたので、今作っている。カレーはそれほど辛味がないようにしているので、安心してほしい」

 スープカレー?
 莉子は思うが、連藤が体に良いものと判断したのだから、間違いないのだろう。
 しかしながら、これほど連藤に住居用の鍵を渡しておいて良かったと思ったことはない。
 扉を開けに行くのも一苦労だった。

「ひゅぅ」

 はぁと息を吐いたつもりだったが、喉がしまっているため、音が鳴る。
 ふと思い当たることが……

「……着替え……」

 朦朧とした意識でも、服が変わったことぐらいは理解出来る。

「連藤が手早く済ませてたぞ。洗濯もしてるから、安心しろ」
「下着……」
「全部じゃねぇかな?」
「……三井さん、見た……?」
「猫柄のパンツなら見たぞ」
「……ころす」

 莉子は呼吸を整え、枕元のドリンクに手を伸ばすと、三井がそれを手に取り、莉子の頭の下に手を差し込んだ。
 扁桃腺など喉の炎症のときはストローでの吸引は負担がかかるため、コップから直接の方がいいのだ。

 三井はうまく頭を支え、彼女の口元へとドリンクを運び飲ませてくれる。妹の看病慣れなのだろうか、戸惑いのない頭の支え方、そして、コップの傾ける角度も完璧だ。

「ありがと……」莉子が言うと、んーという返事が返ってくる。
 その返事からして大したことではないようだ。

 時計をなんとか視界に入れると19時を指している。夕飯の時間だ。
 何かを作っていただけるのは本当にありがたい。

 いい香りが鼻をくすぐる。
 鼻詰まりがなくてよかったと莉子は思ってしまう。
 しかしながら、このカレーの匂いは、どんなときにもお腹を空かせてくれる万能な香りな気もする。

「莉子さん、ダイニングまで来られるだろうか?」

 出来上がったらしく、連藤がまた部屋へ顔を出した。

「大丈夫……」

 起き上がり立ち上がるが、すかさず三井がサポートに手を伸ばす。
 莉子の肩にカーディガンを肩にかけ、腕を支えてくる。
 こんなに気の利く優しい三井も初めてだ。感心と感謝に心を満たしていると、

「いやさぁ、俺の1番目は料理もできるし、来させても良かったんだけど、あいに」
「結構です」意外にいい声が出た。

 ダイニングテーブルに着くと、スープカレーが3つ準備されている。
 自分と連藤と三井の分だ。

「三井、助かった。お前も食べたらいい」
「お、ありがたい」

 3人で席につくと、さっそくとスプーンがのびていく。

 具材はジャガイモから始まり、ブロッコリー、人参、オクラにゆで卵、鶏肉が入っている。
 莉子用のはすべて一口サイズに切り分けられているのは、連藤の気遣いだろう。
 本当にとてもありがたい。口を開けても喉が痛いのだ。

 まずはジャガイモを一口、小さく頬張った。
 揚げ焼きにされたジャガイモがカレーのスープを吸っていて大変美味しい。
 美味しいと感じるので、食欲が戻ってきたのかとも思うが、カレーの味は熱で麻痺した舌でも味が感じられるようである。さらに香辛料のおかげか、また一口食べたいという気にまでさせてくれる。
 すべてカレーの仕業だろう。こんなに優れた料理だとは思ってもみなかった。

 感嘆の声をあげたいところだが、生憎喉が潰れているのでそれが叶わない。
 彼女はそのまま料理を楽しむことに切り替えた。

 続けては人参だ。スプーンを入れると、しっかりと煮込まれているので簡単に切り分けられた。
 さらにブロッコリーもかなり柔らかく、舌で潰せるほどだ。
 それから少し柔らかめのご飯をスプーンですくい、スープに浸し、ゆっくりと口に運ぶ。
 するとスープの酸味と辛味が体の芯から温めてくれるではないか。

 熱の汗とは違う、香辛料の汗が額から溢れてくる───



 2人はすっかり食べ終えていたが、莉子なりのスピードで堪能し終えると、

「……連藤さん、おいしかったです……ちょっと残して、ごめんなさい」
「結構食べれたな。では、薬を飲むように」

 エプロン姿の彼はそれは本当にお母さんのようである。
 薬の封筒はテーブルに投げてあったので揃えてあるが、ちゃんと一度沸かしたお湯が湯飲みに入っていた。
 これで飲めと言うことらしい。こんなこと両親にもされたことはない。
 しかし、甲斐甲斐しく動く様はありがたいやら、情けないやら。
 このような形でまたお世話になるとは、……不覚である。

「連藤さん、何もかも、ごめんね」

 薬も飲み終えた莉子は、潤った喉でそう言った。

「莉子さん、こういうときは、ありがとうと言って欲しい。俺がやりたくてやっていることだ」
「……あ、ごめ、あ、ありがとう……」

 連藤はにっこりと微笑むと、莉子の頬を撫でながら、

「最近忙しかったのもあるだろ。今日、明日はゆっくり休んだらいい。明日中の粥は土鍋に作っておくから、温めて食べてくれ」

 小さく頷くと、布団に戻るために立ち上がるが、三井の姿が見えない。

「おい、莉子、冷蔵庫に入ってたこのワイン、飲んでいいか?」

 それは先日仕入れたばかりのワインで、味見もしていないワインだ。
 止める隙もなく彼はコルクを引き抜いた。

「……ころす……!」

 頭に血が上った彼女がどうなったかは容易いだろう。
 彼らにベッドへ運ばれたのは言うまでもない。

 案の定、ワインは飲み干された。
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