café R ~料理とワインと、ちょっぴり恋愛~

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第2章 カフェから巡る四季

第57話 続 莉子へのお礼

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 しっかりとビーフシチューをおかわりした莉子だが、もうそろそろ、デザートというタイミングだ。
 自分のケーキの出番であるが、一切れ削ってみればよかったと今更思う。
 そう、連藤は目が見えない。丸の形が歪でも気づかれはしないはずだ。

「莉子さん、今日のケーキは?」

 連藤は待ちきれないのか、カウンターの前でそわそわしながら待っている。

「魔法のケーキって知ってる?」

「魔法のケーキ……? すまない。聞いたことがないな」

 莉子はどこから切ろうか悩みながら、ナイフを入れた。

「フランスで流行ったっていうケーキなんだけど、一番上がスポンジ、次がカスタードクリーム、下が焼きプリンのような三層になったケーキなんです」

 材料は、卵、砂糖、バター、小麦粉、牛乳。
 これだけである。

 そして、とにかく順番に混ぜる。混ぜる。混ぜる!

 だけなのだが、意外と細かい指定が多いケーキでもあった。

 ・牛乳は冷蔵庫から出して、常温にしておかなければならない。
 ・卵は卵黄と卵白に分け、卵白は冷蔵庫に入れてメレンゲを作るまで冷やし続けておくこと。
 ・砂糖はグラニュー糖。
 ・小麦粉はスーパーバイオレット。と、レシピにはあったが、莉子は黄金天ぷら粉で代用した。

 まずは卵黄と砂糖を白くなるまで混ぜ続け、もったりとするまで努力する。
 そこに溶かしバターを何回かに分け混ぜ込むと、バニラエッセンスを少々、ふるった小麦粉を加え、またひたすら混ぜる。
 このケーキのいいところは混ぜすぎ、ということがないというところ!
 きれいに混ざったら常温の牛乳を少しずつ加えて伸ばしていく。
 そのあとメレンゲをツノが立つほど泡立て、さきほどの液の中に一度に加えて、ホイッパーでざっくり混ぜ合わせる。ここは混ぜすぎちゃダメなポイント。ほんとうにざっくり、さっくり、上にメレンゲが浮くので間違いなし。
 この浮いたメレンゲ部分がスポンジ部分になるのです。

 あとは、型に流して焼くだけ。

 焼くコツは低温でじっくり。天板にお湯を流す方法もあるし、このあたりは自宅のオーブンの機嫌によるのかも。
 だいたい150℃ぐらいで50分ぐらい焼くことが多いけど、私のオーブンなら140℃で50分が一つの目安。
 出来上がったら常温で3時間ぐらい休ませて、冷蔵庫でよく冷やしてから、切り分ける。

 さて、今回で5回目のケーキ。
 成功していてほしい……!!!

 莉子は丁寧に十字に刃を入れ、さらにもう一つ間に刃を入れる。
 8カットにするつもりだ。
 恐る恐るひと切れを皿に乗せて見る。

「お! 三層になってますよ! ちょっとクリームの層、少ないかもだけど……」
「楽しみだな。ちょうどカヴァもあるんだ。それと一緒にいただこうか」

 連藤は冷蔵庫からスパークリングワインのカヴァを取り出し、グラスを準備する。
 先ほど使っていた赤ワインのボトルはすでに空のため、それと交換とした。

「リビングの方にソファがある。そこで飲まないか?」

 莉子は返事を返し、皿とフォークをトレイ乗せて持っていく。
 連藤も器用にグラスを片手に2個持つと、もう一つにワインクーラーを掴み移動した。
 本革のローソファだ。座面が大きいのがローソファのメリットだろうか。

「ローソファっていいですね。おしゃれだし、のんびりしやすそうです」
「ああ、ここで寝転んでJAZZを聴くのが良いんだ。それに、このローソファは床に座っても、背もたれがちょうど良いんだ」

 連藤はローソファの上にワインクーラーを置くと、手招きしてくる。
 床に直置きで座ろうということだ。

「じゃ、前のテーブルにケーキおきますね。グラスも移動しておきますね」

 セッティングを終えると、莉子は素直に連藤の隣へと腰をおろした。
 確かにちょうど良い背もたれ具合だ。
 絨毯も低反発だろうか。クッション性が高くお尻が痛くないし、また毛足が長く触り心地もいい。
 莉子が座り心地を確認している間に、連藤はケーキを頬張り始めてしまった。

「これはすごい。一口で含むと、プリンの上にスポンジとクリームが乗っているような、そんな食感だ。これは贅沢」

 莉子は笑顔で口に運ぶ連藤に安心しながら、自分も食べてみた。
 意外と重量感よし、甘さは控えめながら、食感が面白い。
 そして何より、カヴァに合う!

「すっきりのカヴァとまったりのケーキ、合いますね」
「とはいっても、何切れも食べられないけどな」
「たしかに」

 連藤が好きだというJAZZがいつの間にか流れていた。
 どうも昔のJAZZのようだ。JAZZにも種類が多様にあるが、黒人歌手の声が聞こえる懐かしいJAZZである。
 連藤らしいといえば、そうかもしれない。

「莉子さん、最近、思い出したことがあるんだ」

 ケーキを流し込むと、連藤は遠くを見ながら話し始めた。
 記憶の映像を見ているようだ。

「どんなことですか?」

「目が見えなくなる前は、よくここの近所の公園をランニングしていたんだ。早朝と夜中、どちらも走りこんでた。
莉子さんもわかるかな? 朝の散歩とか、ランニングしている人同士、挨拶したりするんだ。早朝だけど、自転車で通る人も多くてね。そういう人も挨拶しあったりしたんだ。その中でもとりわけ元気な人がいてね。いつも自転車で走り去りながら挨拶をしてくれるんだ。俺はその人にどうしても会いたくて、いつも時間をずらさないように気をつけていたぐらいだ。彼女は俺にとっていつの間にか心の支えになっていたんだ」

 莉子は連藤の昔話につきあうことにした。
 相づちは欠かさず、でも言葉は挟まず……
 莉子はちょっとだけ嫌な気持ちになる。過去に好きになった人の話だ。
 だが、私はこれでもカフェのオーナー!


 黙って、連藤の過去の恋バナを聞いてやろうじゃないか!


 決意をし、2杯目のカヴァを飲み始めると、連藤も話をつづけだした。

「確かその日は日曜日だったと思う。少し遅く出発して走り始めたんだ。今日は会えないな、何て思いながら走りはじめた。俺はいつも休憩するポイントがあって、そこにいつもはいない先客がいたんだ。その人は一人でサンドイッチとスープポットを持って座っていた。その先客はいつものように挨拶してきたんだ。

『いつもここで休憩ですか?
 朝食食べてなかったらどうですか?』

 そんなこと言うんだよ」

 気がきく子だな。
 一目惚れの相手だもの、そのぐらいのことはする人かもね。
 そんなことを思いつつ、莉子は2切れ目のケーキをつつく。

「昨日の余りだというサンドイッチは、生ハムとレアチーズのサンドイッチでね。スープポットにはビーフシチューが入っていた」

 すごいもの残り物にしてるんだな……
 莉子は思うが、口には出さず、顔には出しておくことにする。

「それがとっても美味しかった。独り身の自分は料理が得意とはしていたが、それほど美味しいものをこんなに気軽な雰囲気で食べられるとは思っていなかった。その子が料理できるなんて思いもしなかったし。笑顔が明るくて、元気で、小柄で華奢で、本当に可愛らしい子で……ああ、この子が自転車の子だって気づいて」

 莉子は返事ができない。
 これほど楽しそうに話してもらっても共感できないからだ。


「でね、その子は言ったんだ。

『そこのカフェ「R」でオーナーしてます。
 遊びに来てください。
 今日はサボりで店閉じてるけど』

 ってね」


 かっぴらく、という表現はこういうときに使うのだろう。
 そんなことあったっけ?
 そんなことしたっけかな? かな?
 ────何にも覚えてない!!!!!


「え? ……え? 私、過去に会ってたの? 覚えてないでしょ? ね、連藤さん、私の顔なんか覚えてないでしょ?」

 莉子は連藤の肩を掴み揺するが、

「しっかり思い出してしまった」

 明るい口調で吐き出された言葉は、激しい刃物になって莉子に襲いかかる。
 莉子は床へと崩れ落ちるしかなかった。

 ありえない。
 激しくありえない!

「なんで思い出しちゃったの? 顔が見えてないから良かったのに」

 すでに半泣きである。

「連藤さんはめちゃくちゃイケメンで、背も高くて、身のこなしも優雅で大人で、だけど私はちっちゃくて不細工で、全然釣りあわないんです。目が見えてないから、私の中身で気に入ってくれたならって思ってたけど、思い出しちゃったら、ダメだよ。こんなのが隣にいたら、ダメだよぅ」

 もう泣き声である。
 彼女の砦が崩れたのだ。
 それは彼女自身も崩落してもおかしくはない。

「さっきの話聞いてなかったのか? 一目惚れだったって」

 思わず顔を上げるが、

「嘘、絶対嘘! この話するために盛ったんですよ! わかります!」
「君ならそう言うと思ったよ。三井にでも聞いてみたらいい。その当時のこと、覚えているだろうから」
「……じゃぁ、なんで、カフェに来なかったんですか?」

 莉子がいじわるそうに言い返すと、

「その後に目が見えなくなったからな」


 何も言えなくなるではないか───


「でもこうしてまた君のビーフシチューが毎日食べられて、そして、俺のビーフシチューもご馳走できるとは、ちょっとした奇跡だと思わないか?」
「……そうは思うけど……」

 莉子は少しふてくされたようにいうが、もしこれが本当なら、本当であるならどれだけ凄いことだろう。

「ねぇ莉子さん、」

 振り向くと、連藤が左手を伸ばしている。
 どこか行くのかといつもの調子で手を掴んだら、彼はその手を素早く離すと、逆に莉子の腕を掴かみ、引き込んだ。つんのめるように連藤の胸板に鼻頭が当たり、ツンとする。
 莉子が鼻をさすっている間に、くるりと体を浮かせると、いつの間にやら連藤の足の間に座らされていた。
 ぴったりと背中が連藤の胸板に当たる。
 硬直する莉子を無視して、連藤は莉子の頭を台座にするように顎を乗せて、腰に腕を絡ませた。
 
「莉子さんの腰は細いな。もう少し、しっかり食事を摂ったほうがいい」

 コクリと莉子の頭が揺れる。だが、声には出さない。
 いや、声に出せないのだ。
 こんなことは初めてで、身構える上に、緊張が激しい。

 心臓が張り裂けそうだ───


「脈がとても早いな。……もう少し、俺に慣れてくれないか」

 首が小さく横に振られた。

 連藤は莉子の首筋に顔を埋めながら、莉子の昔を思い出す。
 昔のほうが何故かよく思い出せるのだ。
 今は視界からの情報がないからだろう。


「……君はやっぱり可愛らしかった。ずっとこうしたかったんだ……」


 ただ体温が上がるのを感じるので精一杯の莉子だった。
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