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第2章 カフェから巡る四季
第32話 オーナーとほしがりさん
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昼をカフェで食べられなかった腹いせとでもいうように、連藤の仕事のこなし方は激しかった。
1分も残業をしないという意思が、背中からあふれ出ている。
連藤はスマホで時間を確認すると、すぐに立ち上がった。
「連藤、俺の仕事、ちょっとヘルプ。5分でいいから」
「だめだ。今日はランチもカフェに行ってない。はやく莉子さんに、俺は会いたい」
「……お前のそういうまっすぐなとこ、嫌いじゃない。……が! 頼むって」
「無理だ。それにお前の担当じゃないか」
「そういうとこもまっすぐだよな」
「では、お先に」
白杖を器用にあやつり、颯爽と退社していく連藤を三井はうらめしそうに睨み、再びデスクにかじりつく。
三井もまた、今日は予定が入っている。
今日は3番目の彼女とデートなのだ。
スマホをにらみながら、三井の手と目がせわしなく動く。
もうすぐ梅雨の時期だ。
暑さと湿気がにじんでいる。
それでも外を歩いていくのは、季節を感じたいからだ。
連藤は目が見えない。
感じられるのは、匂い、暑さなどの感覚になる。
少し前まではそんな気持ちになどならなかったのだが、莉子とすごすうちに変化してきた。
「連藤さん、イチョウの木が緑できれいなんですよ」
「今日は雲が厚いから、傘、持って行きますか?」
「午後から風が強くなりそうですね」
「霧雨って、なんか肌にいい感じしません?」
莉子はカフェから見える景色を語ってくる。
それが嫌味ではなく、同じ空間にいるんだと教えてくれる。
今まで側に来た人間は、どこかよそよそしく、見えるものを伝えるのが禁句かのように思われていた。
見えなくなったことに絶望はしたが、それ以上に、現実でしかない。
見たい願望はもちろんあるが、それだけだ。
綺麗な景色なら、綺麗なんだといってくれたほうが、連藤としては気持ちがよかった。
だが、気持ちがいいものだとわかったのも、莉子と付き合いはじめてからだ。
「今日の天気は少し薄曇りだろうか……莉子さんに聞いてみよう」
のんびり歩いていると、ふとかすかにドアベルが聞こえ、足音が近づいてくる。
「連藤さん、お疲れ様です」
「お店は?」
「なんと、連藤さん、貸切ですよっ」
「それはいい」
「今日は北海道のアスパラが入ったんです。朝採りだそうで、さっそくいただきましょう」
莉子の弾む声が胸元で聞こえてくる。
しっかり案内しながらも、今日の料理をつくりたいのがよくわかる。
「莉子さん、今日は薄曇りかな」
「はい。白い雲がうっすらと空にかかってます。熱がこもるかんじがして、蒸し暑いです。そう、朝、コンビニに行ったんですけど、途中で朝顔が咲いてて、なんか涼しげでいいですよね」
「そうだな。朝顔かぁ。小学校以来な気がする」
軽やかな会話をしながら、カウンターの席をすすめられた。
ゆっくり腰をおろした連藤の横に莉子はそっと立つ。
「上着、どうします?」
「あ、ありがとう」
莉子は上着をうけとりハンガーにかけると、カウンターのなかへと入っていく。
おもむろに開けだしたのは、白ワインだ。
コルクをひねる音がする。
「今日はソービニヨンの白です。アスパラに似合うと思います」
お客がいないのをいいことに、自分の分も注いだ莉子は、そっと連藤にグラスを滑らせる。
「お疲れ様です。すぐにアスパラだしますね」
ちりんとグラスが鳴った。
それを合図というように連藤はグラスをとりあげ、匂いをかぎとる。
酸味の強い白ワインに感じる。グレープフルーツを思わせる柑橘系の香りがするからだ。
ひと口ふくむと、透明感のある果実味、さらにミネラル感と爽やかな酸味が鼻の奥を抜けていく。
スワリングをすると、青臭い匂いがひきたってくる。
「はい、アスパラになります。塩茹でしてます。皮を剥いて、野菜ブイヨンと塩で味をつけたジュレをまぶしてみました。一口大のスプーンに盛り付けてあるので、そのスプーンで食べてください」
連藤は莉子が案内してくれたスプーンをつまみ、口へとすべらせる。
ほどよい塩気と、アスパラの甘み、さらにブイヨンの旨味が口に広がる。
そこに白ワインを流すと、アスパラの香りがより引き立ってくる。
「おお、これはいい。少し温度がぬるめかと思ったが、冷えすぎてない方がアスパラに合うな」
「そうなんですよ。もし冷やしてというなら、グラスに氷を入れるので、いってください」
「白ワインのロックか……アスパラを食べ終えたらお願いしようかな」
「はい」
再びアスパラを頬張り、ワインを飲み込んだ連藤だが、ふと思い出したように顔を上げた。
「なぁ、莉子さん、昨日の三井の彼女、何が問題なんだ?」
「いえ、連藤さんが近づかないでくれたら、それでいいんです」
「それが、三井にここにくるなと行ったんだが、どうもあの彼女、ここのカフェが気に入ったらしくてな。向こうから近づいてくる可能性がある」
「そっかぁ……」
莉子はワインをするすると飲み込み、ふうと息をつく。
「私の思い違いならいいんですけど、多分、ミサキさんって、『欲しがりさん』だと思うんです」
「ほしがりさん……?」
連藤が繰り返したとき、カフェのドアベルががらんと鳴る。
「あ、連藤さんだぁ~! 運命感じちゃうっ!」
声をあげつつ、連藤の腕へとからみついたのは、あの、美咲だった────
1分も残業をしないという意思が、背中からあふれ出ている。
連藤はスマホで時間を確認すると、すぐに立ち上がった。
「連藤、俺の仕事、ちょっとヘルプ。5分でいいから」
「だめだ。今日はランチもカフェに行ってない。はやく莉子さんに、俺は会いたい」
「……お前のそういうまっすぐなとこ、嫌いじゃない。……が! 頼むって」
「無理だ。それにお前の担当じゃないか」
「そういうとこもまっすぐだよな」
「では、お先に」
白杖を器用にあやつり、颯爽と退社していく連藤を三井はうらめしそうに睨み、再びデスクにかじりつく。
三井もまた、今日は予定が入っている。
今日は3番目の彼女とデートなのだ。
スマホをにらみながら、三井の手と目がせわしなく動く。
もうすぐ梅雨の時期だ。
暑さと湿気がにじんでいる。
それでも外を歩いていくのは、季節を感じたいからだ。
連藤は目が見えない。
感じられるのは、匂い、暑さなどの感覚になる。
少し前まではそんな気持ちになどならなかったのだが、莉子とすごすうちに変化してきた。
「連藤さん、イチョウの木が緑できれいなんですよ」
「今日は雲が厚いから、傘、持って行きますか?」
「午後から風が強くなりそうですね」
「霧雨って、なんか肌にいい感じしません?」
莉子はカフェから見える景色を語ってくる。
それが嫌味ではなく、同じ空間にいるんだと教えてくれる。
今まで側に来た人間は、どこかよそよそしく、見えるものを伝えるのが禁句かのように思われていた。
見えなくなったことに絶望はしたが、それ以上に、現実でしかない。
見たい願望はもちろんあるが、それだけだ。
綺麗な景色なら、綺麗なんだといってくれたほうが、連藤としては気持ちがよかった。
だが、気持ちがいいものだとわかったのも、莉子と付き合いはじめてからだ。
「今日の天気は少し薄曇りだろうか……莉子さんに聞いてみよう」
のんびり歩いていると、ふとかすかにドアベルが聞こえ、足音が近づいてくる。
「連藤さん、お疲れ様です」
「お店は?」
「なんと、連藤さん、貸切ですよっ」
「それはいい」
「今日は北海道のアスパラが入ったんです。朝採りだそうで、さっそくいただきましょう」
莉子の弾む声が胸元で聞こえてくる。
しっかり案内しながらも、今日の料理をつくりたいのがよくわかる。
「莉子さん、今日は薄曇りかな」
「はい。白い雲がうっすらと空にかかってます。熱がこもるかんじがして、蒸し暑いです。そう、朝、コンビニに行ったんですけど、途中で朝顔が咲いてて、なんか涼しげでいいですよね」
「そうだな。朝顔かぁ。小学校以来な気がする」
軽やかな会話をしながら、カウンターの席をすすめられた。
ゆっくり腰をおろした連藤の横に莉子はそっと立つ。
「上着、どうします?」
「あ、ありがとう」
莉子は上着をうけとりハンガーにかけると、カウンターのなかへと入っていく。
おもむろに開けだしたのは、白ワインだ。
コルクをひねる音がする。
「今日はソービニヨンの白です。アスパラに似合うと思います」
お客がいないのをいいことに、自分の分も注いだ莉子は、そっと連藤にグラスを滑らせる。
「お疲れ様です。すぐにアスパラだしますね」
ちりんとグラスが鳴った。
それを合図というように連藤はグラスをとりあげ、匂いをかぎとる。
酸味の強い白ワインに感じる。グレープフルーツを思わせる柑橘系の香りがするからだ。
ひと口ふくむと、透明感のある果実味、さらにミネラル感と爽やかな酸味が鼻の奥を抜けていく。
スワリングをすると、青臭い匂いがひきたってくる。
「はい、アスパラになります。塩茹でしてます。皮を剥いて、野菜ブイヨンと塩で味をつけたジュレをまぶしてみました。一口大のスプーンに盛り付けてあるので、そのスプーンで食べてください」
連藤は莉子が案内してくれたスプーンをつまみ、口へとすべらせる。
ほどよい塩気と、アスパラの甘み、さらにブイヨンの旨味が口に広がる。
そこに白ワインを流すと、アスパラの香りがより引き立ってくる。
「おお、これはいい。少し温度がぬるめかと思ったが、冷えすぎてない方がアスパラに合うな」
「そうなんですよ。もし冷やしてというなら、グラスに氷を入れるので、いってください」
「白ワインのロックか……アスパラを食べ終えたらお願いしようかな」
「はい」
再びアスパラを頬張り、ワインを飲み込んだ連藤だが、ふと思い出したように顔を上げた。
「なぁ、莉子さん、昨日の三井の彼女、何が問題なんだ?」
「いえ、連藤さんが近づかないでくれたら、それでいいんです」
「それが、三井にここにくるなと行ったんだが、どうもあの彼女、ここのカフェが気に入ったらしくてな。向こうから近づいてくる可能性がある」
「そっかぁ……」
莉子はワインをするすると飲み込み、ふうと息をつく。
「私の思い違いならいいんですけど、多分、ミサキさんって、『欲しがりさん』だと思うんです」
「ほしがりさん……?」
連藤が繰り返したとき、カフェのドアベルががらんと鳴る。
「あ、連藤さんだぁ~! 運命感じちゃうっ!」
声をあげつつ、連藤の腕へとからみついたのは、あの、美咲だった────
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