café R ~料理とワインと、ちょっぴり恋愛~

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第1章 café R 〜ふたりの出会い、みんなの出会い〜

第18話:続・普通ではない夜

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 音が聞こえる。
 それは何かを叩く音と、その度にくぐもった食いしばる声───

 暗がりの中でかろうじて見えたもの。
 それは連藤が蹴られ殴られている姿だった。

「ちょ……れ、連藤…さ……」

 莉子の声は言葉にならない。
 すでにいつもきれいにまとめられている髪がほどけ落ち、手でガードをしようとするも簡単に払われてしまう。
 すでに彼の息は乱れ、メガネもない。
 アスファルトには踏み潰された色眼鏡が散らばり、これは殴る男たちの報復なのだとわかる。

「あんとき、よくも俺をバカにしやがってよ! 目が見えねぇくせに、でしゃばってんじゃねぇよ!」

 拳が連藤の頬へとめりこんだ。
 地面に座り込む連藤は、なんとか顔を上げるが、唾を吐き捨てる。
 骨ばった手で拭った甲には、しっかりと血の色が塗られ、見えない目でじっと連藤は睨んでいる。

「おっさん、どこ睨んでんだよっ!」

 大学生らしき男たちは連藤を挑発するが、白い目が捉えるのは、間違いなく彼らの場所だ。
 驚き、恐ろしくなったのか、再び拳が振り上げられる。

 莉子の頭の中は、熱で白くなる。
 危険よりも先に怒りが支配していく。
 一気に沸騰した熱は、莉子の足を、体を、前へ前へと飛び出させた。


「──何してんのよ、あんたたち!」


 莉子は怒鳴り、走っていた。
 2発目が連藤に迫っている。
 振り上げられた拳から彼を守るべく、素早く覆いかぶさった。
 勢いづいて背中にぶちあたった拳は、莉子の華奢な背など簡単に息を詰まらせる。

「……ぐっ」

 急に出てきた女店主を殴ったことに動揺はあるものの、ふんと男は鼻を鳴らした。

「お前が入店拒否したのが悪いんだからなっ」

 男はさらに莉子に蹴りを加える。
 莉子は痛みに顔を歪めながらも、相手の顔をしっかりと見定めた。
 どうも、見覚えがある顔だ。
 言動と、黄ばんだ頭を見て、莉子はしっかりと思い出した。



 ──昨日の、タバコ集団だ!
 ちょっと前にも来店して、連藤さんが追っ払ってくれた、あの集団……



 追加で背中に蹴りが入り、莉子は再び息を詰まらせた。
 連藤を抱えて息を整えようとするが、うまくいかない。
 罵声と嘲笑う声も聞こえてくる。
 だが、今はなによりも、盲目の連藤をどうにかしなくてはと、莉子はこの一心で連藤の体をなで、怪我の確認と声かけをする。
 だが、連藤の反応が鈍く、持ち上げようにも膝を立ててくれない。

「連藤さん、立って!」
「……オーナー、逃げて、くださいっ」

 連藤から切れ切れの声がする。
 よほどの殴られ方をしたのか、連藤は立ち上がれそうにない。


 莉子はこの瞬間、自分を憎んだ。


 ──私がもっと早くに気づいていたら、こんなことにならなかった。
 スマホに気づいていたら、迎えにだって行けたのに──!!!


 後悔に後悔を上塗りしても、過去は全く変わらない。
 痛みが刺す体も変えられない。
 ただただ悔しさに涙がにじんでくる。
 腕で顔を拭い、莉子は連藤の腕をとった。

「……連藤さん、逃げましょうっ!」

 抱えあげて走ろうにも180㎝の男性を150㎝の莉子では腰すら持ち上げられない。
 必死に引きずり移動しようとするが、ずるりと動く程度で、アスファルトはしっかりと連藤を掴んでいる。
 だが、この莉子の行為に、連藤は怒鳴った。

「逃げろっ!」

 ひたすらに莉子を逃がそうと、腕で押しのける。

「俺はいい、から……っ!」

 連藤の渾身の力で、突き放された莉子は、集団の間から転がり出た。
 適当に殴られ蹴られていたのを莉子の背で庇っていたのに、それがなくなったせいで、再び連藤が標的となる。
 再び殴ろうと振り上げた腕の隙間から、叫び声が上がった。


「オーナー、逃げろ!」


 見えない目で、遠くに声を投げる連藤。
 その姿を見て、莉子はどうしたらいいのかわからなくなる。
 長い腕を振って、ここに来るなとする姿が、痛くて痛くてたまらない。
 ぐちゃぐちゃの顔で、街灯もないただ暗い駐車場の片隅で、莉子はひたすらに叫ぶ連藤を見つめてる。
 逃げてと繰り返す連藤の声、そこに蹴る男たちの笑い声が混ざり、莉子の膝は寒くもないのに震えている。



 連藤さんのそばまで行きたい───



 だけれど、先ほど突き動かした怒りが消え失せ、もう、絶望と恐怖が鎖のように巻きついている。
 思っていることと、動けない自分の体、どこになんの気持ちをぶつけたらいいのか、もうわからない!
 砂まみれのエプロンで顔を無理やり拭ったとき、男たちの新たな会話が耳に入った。



「このおっさん、まだ喋れるんじゃん」
「これ、刺してみちゃう?」


 街灯の淡い光が、鋭くきらめいた───


 瞬間、再び熱が体を巡る。
 恐怖よりも、絶望よりも、その行為の拒絶が、莉子の体を起き上がらせ、さらに地面を蹴りつける力にさせる。

「うおぉーっ!!!!」

 莉子は言葉にならない声をあげて、ナイフを持つ男の背中に体を叩きつけた。
 弱った莉子のタックルなど、大きな力ではない。
 だが矛先を変えることには成功した。

 だが、莉子が水を差したことには変わらない
 その感情は激情となって、莉子へ向いた。

「なめやがってぇっ!!!」

 血走る目が、街頭に照らされる。
 ひん剥いた歯が、ぎちりと音を立てている。

 莉子は軋む身体で、振り上げられる腕をなんとかよけた。
 振りかざされる腕をかいくぐるが、他の男たちが壁となり、追い詰められる。

「少し、黙っとけ!」

 大きく腕を上げ、莉子にナイフが振りかざされる。
 転がりよけたが、熱が走る。
 右腕からだ。
 すぐに痛みがわいて、思わず声を上げようとしたとき、莉子は声を出さないように唇をかんだ。

 なぜなら、あの連藤の腕が、ただただ闇雲にもがいていたからだ。


「……オーナー? オーナー! 大丈夫ですか!? オーナーっ?」


 水に溺れもがくように、連藤の腕が上下左右にかき回される。
 どんなときも冷静で飄々として見えていたあの連藤が、ただただ怯え、口がへの字に曲がり、まるで迷子になった幼児のよう───

 その姿に、莉子の痛みがすぐに消えていく。
 
「わ、私は大丈夫ですっ」

 莉子は力が入らない腕をひきずり、連藤を左腕で引き寄せた。

「私はここです。もう大丈夫です」

 かばうように莉子が連藤を抱きすくめるが、連藤は莉子の形を確認すると素早く抱き包む。

「どこか怪我は? オーナー……?」

 連藤は不意に感じたに顔をしかめる。
 そのふたりの後ろでは、若い男たちの高笑いが聞こえる。

「あーあ、怪我しちゃってぇ。俺に逆らうからこんな目にあうんだよ、オーナーさん? あと、訴えても無駄だから。こんなの、いくらでももみ消せるし」

「連藤さん、大丈夫です。安心してください」

 莉子ははっきりと伝えた。
 目が見えない以上、言うしかない。
 それに莉子自身、声に出して大丈夫といえば、どうにかなる気がした。

 ──もう痺れて痛みもよくわからないし、どんどん腕が冷えてるけど、きっとどうにかなる。
 どうにかなる!──

 呪文のように莉子は心の中で繰り返したとき、連藤の手が強く強く抱き寄せた。
 連藤の胸の中に莉子を隠すように、必死に両腕を伸ばして抱え込む。

 ただ添えられた連藤の手は、小刻みに震えていた。

 それが怒りなのか、恐怖なのかは、背中越しにはわからない。
 莉子の肌に届くのは連藤の胸の音。それが激しく波打っているのは間違いない。

「さぁ、どうするオーナーさぁん?」

 からかい続ける彼らにどういう声をかけても意味がない。
 ただ警備会社が来るのを待つので精一杯だ。

「……すまない、オーナー」

 つぶやき、押さえつけるように抱きしめる連藤を、莉子はちらりと覗きあげた。
 このとき初めて莉子は彼の感情を理解した。


 怒りと、絶望だ────


 切れ長の目からは涙が流れ、だがその目には炎が宿る。
 こんなに体は熱いのに、目の奥は焦げるほどの怒りがあるのに、だが表情がない。
 それは自身の無力さに絶望しているからだ。
 目が見えない現実に、守れない現実に、怪我をさせてしまった現実に、絶望している────


「連藤さん、ごめんなさい……ごめんなさい………ごめんなさい…!」

 必死につぶやく莉子の頭を連藤は優しくなでてくれる。
 ただ、無力であることをお互いに理解したに過ぎない。
 どんな言葉を浴びせられようと、どう蹴られようと、この絶望した現実だけが目の奥に焼きつく。

 サイレンが聞こえてくる。

 間違いなく、それはここを目指している。
 公園の端に警察がサイレンを鳴らして現れることはない。
 監視カメラを遠隔で確認したあと、通報したのだろう。
 警備会社の判断は正しかった。

 4人組はサイレンの音に押され、それぞれ言葉を吐き捨てながら逃げていった。
 ようやくと、危険が去ったのだ。
 あたりは暗く静かで、けたたましいサイレンだけが耳を覆っていく。
 莉子は顔を無理やり上げて言った。

「連藤さん、ごめんな……」

 だがその言葉を遮るように、連藤は莉子を優しく抱きしめた。
 守っていたあの強い抱きしめ方ではない。
 そっと壊れる物でも扱うような、そんな抱きしめ方だ。

「オーナー、申し訳ない……!」

 言葉のあとに続いたのは……



「傷をつけてしまって、」
「怖がらせてしまって、」
「もっと安全に、」



 そして、



「俺の目が見えていれば、」


「……やめてっ!」


 莉子は叫んでいた。
 そして、連藤の冷え切った手をそっと握りしめる。


「……連藤さん……こんな…思いを、させてごめんな………」


 莉子の声は途中で途切れた。
 莉子は激しい緊張と深い怪我とで、意識を手放したのだった。
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