8時間の生き直し

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第6話 死神と全力疾走

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「これからどーすんのっ!」
「ここに集まってんだから、少し離れれば安全圏しょ! たぶん!」
『さすがトラちゃん、頭いいねぇ』

 エレベーターから飛び出した僕らは、身を屈めて走り出す。
 全員がそうではないようで、梶君が僕の手を取って、安全な人の塊に向かって走っていく。

 ヴィオはファントムの横を過ぎる度にひどい臭いがするらしく、ぐしゃりと顔を歪めて、涙目だ。
 僕の首に腕を巻きつけて、キョロキョロと忙しなく鼻をひくつかせている。
 僕が走るたびにフワフワとドレスを揺らして風船みたい。
 おかげであるはずない風の抵抗感を感じてしまう。

 それでも僕は走る。
 いや、止まれない!!

「頑張れ、ゆきちゃん」

 映画館を出ても、まだファントムの影があるようだ。
 梶くんはまだ余裕のようで、走る速度が変わらない。
 僕は映画館を出た時点で、かなり足にキテる。
 中・高と帰宅部の僕には、辛すぎる!

 ただ怪我の功名というのか、映画館にファントム憑きの人たちが集結してくれたおかげで、街のなかのファントムが少なくなっていた。
 さらに背中を介して移動もできなかったようで、映画館から追いかけてきたファントムもいなかった。

 安堵の笑顔で梶くんが言う。

「ゆきちゃん、ファントム、だいぶいないよ」
「よかったぁ」
『でも、もう少し、人混みから離れよう』

 僕たちは息を整えながら、繁華街を離れていく。
 人の少ない場所をたどっていくと、着いたのは、河川敷の公園だ。
 イチョウが黄色に滲み、枯葉がランニングコースにからまっている。
 それを蹴散らしながら、川沿いのベンチをゴールに僕らは立ち止まる。

「……ここまでくれば……」

 梶くんはキョロキョロと視線を回す。
 犬との散歩や、子どもたちの走る声は聞こえるが、どれも彼らの雰囲気は長閑だし、おかしな表情はない。

「よし、大丈夫、そう。よかった……はぁ……」
『ヤバかったね……あれだけのファントム、集まってるの初めてだったよぉ! ふうっ』
「僕にしがみついてただけじゃん。走ったフリやめてよ」
『いいじゃん! みんなで走った感じ、だしたかったの!』

 走ったせいでかなり暑い。
 バッグをベンチに投げ置き、握りしめてたマフラーをおろすと、学ランのボタンを外し、パタパタと上着を煽ぐ。

「あっちー! 風、気持ちいいー」
「本当に……こんなに走ったの久しぶりだよ……」

 僕らはベンチにだらりと腰をおろした。
 背もたれのある椅子でよかった。
 笑っている膝が、どうにか落ち着いた気がする。

『ゆきちゃん、あそこのキッチンカー、クレープ?』

 指差した方を見ると、移動販売車がある。
 車の横にのぼりがあり、「焼きたてクレープ」が風に泳いでいる。

「え、あ、そうだけど。死神なのにまだ食べるの?」
『食べたいの!』

 何気なく時計を見ると、ちょうど昼を回ったぐらい。
 僕の寿命はあと5時間、だ。

『あたしね、チョコたっぷりなのがいいなー』
「オケ。ヴィオちゃんは、チョコクレープね。ゆきちゃんは?」
「えっと、バナナが入った、やつ……?」
「絶対あるわ、それ! オケ。待ってて~」

 お金を渡そうとする僕の手を、梶くんがぐっと押しつけた。

「クレープはオレが奢る。死神に借り作っておいたらいいことあるかもだしー」
『じゃあ、イチゴものってるのがいい!』
「オケオケ」


 イチゴ、のってるのがいい────


 リフレインする。
 これは、スミレも言っていた。
 そうか、彼女を見ると、スミレを思い出すんだ……

「……はぁ……」
『どしたの、ゆきちゃん? 大きなため息ついて』
「ううん。君を見てると、過去がほじくりだされて痛いんだ」
『そっか。でも、過去って楽しくて痛いからしょうがないよね』

 ヴィオはさも当たり前のように言って、クレープを注文している梶くんに視線を飛ばす。
 本当は見たいのだろうけれど、僕のそばから離れられないから、背伸びをして眺めている。

 僕は胸ポケットから学生手帳を取り出した。
 両親へ言葉を残しておこうかな、と思ったためだ。

 ……とは思っても、書くことが、全く思い浮かばない。
 自殺するわけでもないし、正直、死ぬ実感というのも沸いていない。

 だけど、間違いなく、僕はこの地上から消えるんだろう。
 何より、僕には死神が憑いている。

「……うーん……ありがとう、だけでもいいかな……いや、足りないかな。というか、なんか、自殺っぽいな、これだと……自殺じゃないしなぁ……遺書って調べたら書き方ある……?」
『なに、ブツブツ言ってるの?』 
「一応、両親に、なんか言葉があってもいいかなって……」
「なんで、そんなに死ぬ気満々な訳?」

 出来立てのクレープを器用に3つ手に持った梶くんが眉をひそめて僕に言う。
 確かにそうかもしれない。

「なんなの? なんかあんの?」

 ベンチで並んで食べ始めた僕らだけど、思えば思うほど、僕は生きていちゃいけない気がしてる。
 受け取ったクレープをひと口含み、僕はつい、言葉にしてしまう。


 これは、僕の懺悔だ──


「……そのさ、……僕のせいで、……僕が名前を呼んだせいで、幼馴染は死んだんだ。
 ……スミレって子でね、明るくて、いつも笑ってる可愛い子だった。
 ……僕は、名前を呼ぶのが苦手で、だけど、その日は名前を呼ぼうって決めてて。
 それでね、勇気を出して僕が名前を呼んだとき、……僕が呼んだせいで、車に……。
 ……だから、僕は人の名前を呼ばないようにって、ずっと決めてて……」


 話終えた僕を、梶くんとヴィオはドン引きの顔で見つめている。
 最初に口を開いたのはヴィオだ。

『それさ、自意識過剰じゃない……? その子にだって、死神憑いてたんじゃないの?』

 唇の端についた生クリームをべろりと舌で舐めながら、ヴィオが言う。

「で、でもさ、それでもさ、僕が呼んだせいだし……」

 ヴィオはあからさまにため息をついてくる。
 梶くんはクレープに乗せられたチョコレートクッキーをざくざく食べながら、

「オレの名前呼んでみ? オレ、絶対死なないし。なぜなら、オレには死神が憑いていないっ」

 両腕を広げて話す梶くんは自信に溢れてて、羨ましい。
 だけど、この事実を知って、体験しているのは僕だ。
 そんな勇気は、ない!
 だから、ついムキになってしまう。

「……嫌だよ。嫌なことがあるから、嫌なの! 何か起こったら、やっぱり名前を呼んだからってなるじゃんっ」
「平気だって」
「僕は嫌だっ!」

 強く言い切った僕に、食べかけのクレープを梶くんが差し出してきた。

「ゆきちゃん、これ、食べてみる?」
「……え? いや、」

 つい顔を上げた僕に、梶くんは笑う。

「あのさ、……その、嘘かほんとかわかんないけど、もう、ちょっとしかないじゃん。……だから、ちゃんとさ、……その、友だちに、オレだって名前呼ばれたいじゃんっ」

 梶くんのその笑顔が泣きそうで、でも、明るくって。
 だけど、笑ってくれていて。
 胸がぎゅっと絞められる。
 息苦しい。心が苦しいんだ。


 優しい気持ちが、痛いんだ……


「ゆきちゃん、名前、呼んでよ」


 もう一度の言葉に、僕は喉が詰まる。


『──あたしの名前、呼んでよぉ』


 スミレの声がする。
 僕が名前を呼んで、いいんだろうか。
 僕は息を吐く。

 ……もう、後悔は、作るべきじゃない。

 言い訳かもしれない。
 でも、僕は息を吸う。
 ヒュッと音が鳴る。

 そこまでしなきゃいけないことなのかもわからない。
 だけど、最後ぐらい。

 友だち、らしく……一度ぐらい、友だち、らしく、



 ……したい。



「……か、梶、くん……で、いい?」

 思ったよりも小さい声に、自分でも驚いてしまった。

「ウケる! 声、めっちゃちっさ! しかも、苗字呼びだしっ」

 笑われてしまった。
 よほどおかしかったのか、目尻を袖で拭きながら笑う梶くんを、つい睨んでしまう。

『ね、ゆきちゃん、あたしは? ね、あたしは?』

 梶くんを押しのけるように、僕の前に浮かんできた。

「君、死神だろ?」
『えー! ヴィオって呼んで欲しいっ』
「……なんか、それはちょっと」
『どういう意味!?』

 ヴィオは怒鳴るけれど、死神だから呼べない、ではなく、女の子の名前を呼ぶってことが、僕には難しい。

「ご、ごめんって……」
『ま、いつでも呼んでいいから!』

 ヴィオは僕の肩を叩き、残りのクレープを食べ始めた。
 僕も、チーズが固まってしまった脂っぽいクレープを頬張る。
 塩っけがあって、ほんのり甘くて、いつもよりずっとおいしいクレープだった。
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