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137 LB証券東京支店(1)

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 ランバートソン・ビーチャム(LB)証券会社東京支店株式営業部では、毎朝七時半から朝会と呼ばれる会議が始まる。

 ここ数年世界の投資家の目に日本が投資対象としての魅力を失っていたせいで、日本株チームは毎年リストラを余儀なくされた。

 今では上級営業員一名、中級二名、ジュニアと呼ばれるアシスタント兼営業の何でも屋二名の、たった五人の部署となっていた。

 伊藤真紀子は去年新卒で採用された二年目のジュニアだ。

 面接の時はチームは二〇人を超えていたと思う。入社した時はそれでも十五人はいた。それが見る見る減らされていくのを目の当たりにした。

 一年目は単なるごくつぶしと言われ、教え込まれることを必死で覚える。ひたすら走り周り、しゃべりまくり、平均三四時間の睡眠時間しかとれない毎日を耐えた。しかし次の新卒を一人も採用していないために、二年目になってもこき使われることに変わりない毎日である。

 その朝自分の席に着くと、既に出社していた隣の席の上級営業員、山口隆に「これ、できないと電話しろ」とメモを渡された。

 は? なんですか、それ? と訊きたいところだったが、山口の、慣れていなければ到底読めない悪筆を懸命に解読した。

 このプライスでは買い手がつかない。電話。ロンドン。アラン・キャンベル。

 やはり、読んでも意味がわからない。

「先輩、これ、何のプライスですか」

「メールを見ろ」

 真紀子はメールを立ち上げた。山口からアラン・キャンベルというロンドンの社員宛てに出された英語のメールが真紀子にコピーされていた。

 “アラン、注文出しておいたけれど、市場価格より高いから、買い手はつかないと思う。クライアントにプライス下げるよう言ってくれ。タック。”

 山口隆は英語のニックネームではタックと呼ばれている。

「先輩、でもまだこれから出すんですよね」

「まだ電話してないのか。帰っちまうぞ」

 ロンドンは夜の十時半だった。

 円安傾向になってから買いが入って値が上がり始めた輸出関連株の一つではあったが、その銘柄に限って、最近社長が交代したことと主力事業の不振のせいで値上がりの傾向が見られなかった。

 真紀子はPCから直接かけるIP電話の社内電話帳でアラン・キャンベルを探した。

 電話を掛けるとお互いの電話帳に載っている写真がスクリーンに映し出される。

 真紀子のは入社した時の写真で、まだ学生が黒いリクルートスーツを着ているように見える。化粧は薄いが、パッチリ開いた二重目蓋の眼にちゃんとコンタクトレンズを入れている。

 それが今ではコンタクトを入れる暇がないので赤い縁の眼鏡だ。髪をセットする暇もないから何カ所かピンで留めて寝癖を隠している。

 ええと……ロンドン本社、欧州株式営業部事業法人担当ヴァイス・プレジデント……アラン・キャンベルの写真が出た時、真紀子は目を見張った。 

 わお……。

 ワン・コールで相手が出た。

「アラン・キャンベルです」もちろん英語だ。

「あの、ハロー、東京の真紀子です、遅くにすいません」

「おはよう、タックのアシスタント?」

「ええ、いえ、あの、そうです」

「クライアントはプライスを下げたくない。そのまま出してくれ」

 これ、BBCイングリッシュ? クイーンズ・イングリッシュっていうのかな。真紀子は相手の特徴あるアクセントにしばし聞き入った。

「え、あのー、買い手がつかないと思います」

「かまわない。つくまで出してくれ」

「あー……はい」

「今日の夜、また報告してほしい。僕にとっては明日の朝になるけど。いい?」

「あー、はい、します」

 ラブリー、と言って相手が電話を切った。

 電話が切れてからもしばらくスクリーンの写真を眺めていた。

「おい、伊藤!」山口が呼んでいた。

「……ラブリーって言われました」

 はあ? 日焼けで色黒の山口の濃い眉毛が寄った。

「アホか。それは天気にでもなんでもよく使われる、ただの単語だ」

「でも先輩、この人、チョー美形なんですけど!」

「で、プライス下げるって言ってたか」

「下げないそうです」

「アホウ!」

「そのまま出してくれって。チョー素敵な声でした」

「売れねえぞ」

 山口は携帯からロンドンの知っている社員に電話した。ルパートという先物担当者で、以前東京の同業他社にいたときに一緒だったことがある。

「ルパート、まだいてよかった」

「おまえがかけて来なきゃ今帰る所だったよ」

「あのな、アラン・キャンベルって何だ」

「三か月前に入った新入りだ」

「S社のプライスにあり得ない指値を入れてきた。何考えてるんだ」

 ルパートは声を顰めた。

「あいつの客に小難しいのがいるんだ。黙ってやっとけばいいよ」

「そうなのか。売れないぞ」

「わかんないぜ。もっと小難しい買い手がつくかもしれないだろ」

 山口は首をかしげる。相場操縦の一歩手前くらいか。売買出来なければそれまでだ。

 アラン・キャンベルの写真をスクリーンで見る。伊藤真紀子がさっきからずっと眺めている写真だ。確かに俳優みたいだ。ヴァイス・プレジデントという階級は山口と同じだった。

「どういう奴?」
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