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123 今のは聞かなかったことにする
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ホークが二十階に戻ると、トレーディング・フロアがしんと静まっていた。
電話をかけているのはほんの数人で、事業法人営業のデスクの大半が空席だった。
イーサンもパメラもいない。不思議に思ってあたりを見回す。
エディのオフィスのドアは閉まっており、中に数人の人影があった。
金融法人営業のデスクに若いスタッフが一人残っていた。
彼が電話を置くのを見て、
「みんな、どこに行ったんだ?」と訊いた。
彼は、動揺を隠せないような潤んだ瞳を向けた。
「アダムが……」
ホークは彼の肩にそっと手を置いて頷く。
彼は顔の動きで外のミーティングルームを指した。
ホークはガラスのドアを開けてミーティングルームに入った。
三十人ほどの営業スタッフがそこにいた。
椅子が足りないので、それぞれ壁に寄り掛かったり、窓枠の上に腰を降ろしたりしている。
「アダムを辞めさせた理由を聞いて、納得できない限りストライキだ」
「エディの奴、理由は言えない、おまえたちには訊く権利がない、なんてぬかしやがった」
「あいつ、アダムが死んだと聞いても、なんとも思わないんだ」
「感情がないのさ」
「あんな奴に牛耳られているのはご免だ」
「だいたいおれ達の上司はジェイミーなのに、エディはでしゃばりすぎだ」
「アダムは確かに成績は良くなかったが、だからって今すぐクビにするほどじゃなかったって、経理の奴が言ってたぜ」
「じゃあ、なんでクビにしたんだ」
エディは職務だからアダムの解雇手続きをしただけだ。
皆が彼に怒りの矛先を向ける気持ちはわかるが……。
カルロが仕掛けたエサとは、アダムが会社のPCにいかがわしい映像をダウンロードした、という服務規程違反だ。
実際は、映像がダウンロードされたのはアダムの自宅のPCで、就業時間中にやったわけではなかったのだが。
自宅のPCから会社のサーバーにアクセスすることができるので、カルロたちの細工によって会社のサーバーに映像が残った。
それは直ちにコンプライアンスのモニターに引っ掛かった。
このような規程違反で一発解雇になるかどうかわからなかったが、LB証券はそうした。
アダムの成績が振るわず、これを機に営業員を入れ替えた方がいい、という判断をしたらしい。
「ロニー・フィッシャーにアダム。あの列、呪われているんじゃないのか」イーサンが言った。
「席替えしてもらいたいぜ」
いきなりドアが開けられ、皆が振り向いた。
入り口に、営業本部長のジェイミー・トールマンが立ちはだかっていた。
「諸君、職場放棄はいかんぞ!」
トレードマークの赤いサスペンダー。ジェイミーの赤ら顔に、青い目がギラギラしている。
皆、もぞもぞと立ち上がった。
「ジェイミー、なんでアダムを解雇したんです?」一人が発言した。
「アダムを解雇したのは、会社としてそうすべきだという判断がなされたからだ」ジェイミーが言った。
「彼、死んじまったじゃないですか」
「解雇と彼の死との因果関係は、はっきりしていない」
「でも、関係あるに決まってるでしょう」
「警察が調べて関係あると断定されるまでは、憶測しても仕方がない」ジェイミーは全員の顔を見回した。
「諸君、職場に戻りたまえ。二度も警告させないでくれ」
皆がぶつかり合いながら動き出した。
ルパートとイーサンが、ジェイミーの脇をすり抜けて、ミーティングルームを出て行った。
ホークと数人がそれに続いた。
ばらばらとスタッフが戻り出したが、フロアは相変わらず閑散としていた。
エディの部屋のドアが開いている。一人でいるようだ。
ドア口に立つと、エディが振り向いた。
いつもと変わらず片付いた部屋で、エディがひどく憔悴しているように見えた。
今は人を押し返すような力を感じない。
「何か用か」
「おれは、あとどのくらいもちそうなのかな」
エディはふっと笑った。
「……FCAに続いてこんなことがあれば、みんなの成績が下がるさ」
「前もっておしえてくれ」
「それはできない」
……エディらしい答えだ。
「じゃあ、休暇の申請を出したいんだけど」
「……今は無理だ。アダムの後任が決まるまで」
「そんなの、時間かかるだろう。おれ、入社してから一度も休暇を取ってないぜ」
「決まるまで無理だ。決まったらブロックリーブを取れ」
ブロックリーブとは、金融業界で決められている十日間連続休暇のことだ。
「じゃ、転職活動でもするか」
「今のは聞かなかったことにする」
そう言ってエディは向こうを向いた。
電話をかけているのはほんの数人で、事業法人営業のデスクの大半が空席だった。
イーサンもパメラもいない。不思議に思ってあたりを見回す。
エディのオフィスのドアは閉まっており、中に数人の人影があった。
金融法人営業のデスクに若いスタッフが一人残っていた。
彼が電話を置くのを見て、
「みんな、どこに行ったんだ?」と訊いた。
彼は、動揺を隠せないような潤んだ瞳を向けた。
「アダムが……」
ホークは彼の肩にそっと手を置いて頷く。
彼は顔の動きで外のミーティングルームを指した。
ホークはガラスのドアを開けてミーティングルームに入った。
三十人ほどの営業スタッフがそこにいた。
椅子が足りないので、それぞれ壁に寄り掛かったり、窓枠の上に腰を降ろしたりしている。
「アダムを辞めさせた理由を聞いて、納得できない限りストライキだ」
「エディの奴、理由は言えない、おまえたちには訊く権利がない、なんてぬかしやがった」
「あいつ、アダムが死んだと聞いても、なんとも思わないんだ」
「感情がないのさ」
「あんな奴に牛耳られているのはご免だ」
「だいたいおれ達の上司はジェイミーなのに、エディはでしゃばりすぎだ」
「アダムは確かに成績は良くなかったが、だからって今すぐクビにするほどじゃなかったって、経理の奴が言ってたぜ」
「じゃあ、なんでクビにしたんだ」
エディは職務だからアダムの解雇手続きをしただけだ。
皆が彼に怒りの矛先を向ける気持ちはわかるが……。
カルロが仕掛けたエサとは、アダムが会社のPCにいかがわしい映像をダウンロードした、という服務規程違反だ。
実際は、映像がダウンロードされたのはアダムの自宅のPCで、就業時間中にやったわけではなかったのだが。
自宅のPCから会社のサーバーにアクセスすることができるので、カルロたちの細工によって会社のサーバーに映像が残った。
それは直ちにコンプライアンスのモニターに引っ掛かった。
このような規程違反で一発解雇になるかどうかわからなかったが、LB証券はそうした。
アダムの成績が振るわず、これを機に営業員を入れ替えた方がいい、という判断をしたらしい。
「ロニー・フィッシャーにアダム。あの列、呪われているんじゃないのか」イーサンが言った。
「席替えしてもらいたいぜ」
いきなりドアが開けられ、皆が振り向いた。
入り口に、営業本部長のジェイミー・トールマンが立ちはだかっていた。
「諸君、職場放棄はいかんぞ!」
トレードマークの赤いサスペンダー。ジェイミーの赤ら顔に、青い目がギラギラしている。
皆、もぞもぞと立ち上がった。
「ジェイミー、なんでアダムを解雇したんです?」一人が発言した。
「アダムを解雇したのは、会社としてそうすべきだという判断がなされたからだ」ジェイミーが言った。
「彼、死んじまったじゃないですか」
「解雇と彼の死との因果関係は、はっきりしていない」
「でも、関係あるに決まってるでしょう」
「警察が調べて関係あると断定されるまでは、憶測しても仕方がない」ジェイミーは全員の顔を見回した。
「諸君、職場に戻りたまえ。二度も警告させないでくれ」
皆がぶつかり合いながら動き出した。
ルパートとイーサンが、ジェイミーの脇をすり抜けて、ミーティングルームを出て行った。
ホークと数人がそれに続いた。
ばらばらとスタッフが戻り出したが、フロアは相変わらず閑散としていた。
エディの部屋のドアが開いている。一人でいるようだ。
ドア口に立つと、エディが振り向いた。
いつもと変わらず片付いた部屋で、エディがひどく憔悴しているように見えた。
今は人を押し返すような力を感じない。
「何か用か」
「おれは、あとどのくらいもちそうなのかな」
エディはふっと笑った。
「……FCAに続いてこんなことがあれば、みんなの成績が下がるさ」
「前もっておしえてくれ」
「それはできない」
……エディらしい答えだ。
「じゃあ、休暇の申請を出したいんだけど」
「……今は無理だ。アダムの後任が決まるまで」
「そんなの、時間かかるだろう。おれ、入社してから一度も休暇を取ってないぜ」
「決まるまで無理だ。決まったらブロックリーブを取れ」
ブロックリーブとは、金融業界で決められている十日間連続休暇のことだ。
「じゃ、転職活動でもするか」
「今のは聞かなかったことにする」
そう言ってエディは向こうを向いた。
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