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116 キャンベルさんのことが、わからなくなりました。

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 翌朝は、不動産屋に行くことにした。

 ハルの母親のフライトは夕方着く。

 よく眠れなかったのか、ハルの顔色は白っぽい。
 
 髭を剃っているホークの横で、小さなポーチの中からコンパクトやアイラインを取り出して使っている。

「おはよう」と言っても、なんとなく上の空なのか、ぼーっとしていた。

 フラットには何も食べるものがない。近くのカフェに行こう、とホークが言った。

 ハルはバタバタとスーツケースの中に荷物を詰め込んで蓋を閉めている。

 外に出ると、通りは昨夜の事件の跡かたもなく、穏やかな日曜日の往来を取り戻していた。

 張り込みの黒いセダンはもういない。

 パブとは逆方向のカフェに向かった。

 ハルは、心なしか昨日より距離を空けてついてくる。

 突然立ち止まった。

「どうしたの、ハル?」ホークはハルが引きずっているスーツケースを持った。

「キャンベルさんのことが、わからなくなりました」

「そんなの僕だってわからないよ」

「え?」

「自分史上初めてだ。女の子と一晩一緒にいて、何もなかったのは」

「何言ってるんですか」大股で歩くホークにハルは小走りで追いついた。

「婚約者がいるのに」

「それで怒っているのかと思ったよ」

「ありえません!」

 ホークは苦笑した。

「……あー、傷ついた」

「もう、私帰ります!」

「どこに?」

「……」

 カフェでホークはベーコンや目玉焼き、フライドトマトにビーンズなどをフルオーダーした。

 ハルはヨーグルトとバナナ、オレンジジュースとカフェオレを持ってきた。

 いつもホークが「光合成してる」と言うやつだ。

「不動産屋でマーガレットがどこに引っ越したのか訊いてみよう」

「はい」

「どの辺りに引っ越そうと思っているの?」

「家賃を払えるところです」

「もっと会社の近くにしたらどう」

「そういうところは高いので」

「じゃあ、せめて僕のところの近くにしたら」

「この辺も高いです」

「探せばきっとあるよ」

 ハルはムッと唇を結んだ。

「無理です。私のお給料いくらか知ってるんですか」

「知らないよ。守秘義務とかがあるんだろう」

「キャンベルさんの四分の一くらいです。ボーナス合わせたら十五分の一以下です。だから無理……」

 ホークはすっと手を伸ばし、ハルの唇についていたミントの葉を取った。

 ハルが目を丸くする。

「僕が提案することは、みんな気に入らないんだな」 

「そうじゃなくて……」

「ゆうべ、あまりかまってあげられなかったし」

「だから、そんなこといいんです」

「ああ……止めを刺された」ホークは片手で胸を押さえた。

「知りませんよ、もう」

 その不動産屋は、忙しい勤め人のために週末も営業していた。

 そのかわり月曜と火曜が定休日とドアに書かれていた。

 ハルがLB証券の社員だと言って紹介された担当者に、マーガレットのことを訊いた。

「いいえ、ブラウンさんは、解約をしていませんよ」

 エレファント・キャッスルのアパートの借主はまだマーガレットのままで、家賃が半年分振り込まれているとのことだった。

 近所の話では、マーガレットは引っ越していて、部屋は別の人達が使っているようだったとホークが言うと、窓口の女性は驚いていた。

「それは、契約違反です」

 契約している管理人に様子を見てもらうよう手配する、とその女性は言った。

「この人部屋を探しているんですけど、今日から入れるお勧めの物件、あります?」ホークはハルの肩に手を置いて言った。

「ご予算とエリアはどのあたりですか?」

「治安のいい場所で、セキュリティのいい物件というと?」

 担当者が眉間に皺を寄せた。

「ご予算がわかりませんので、その条件だけですと……」

 いくつか出された物件の中で、ハルが予算内だと言ったのは、ノッティングヒル界隈の五階建てアパートだった。

 ちょっと古いが管理人常駐、最寄り駅はホーランド・パークだ。

 管理人と言うのがその建物の持ち主の未亡人で、玄関は共同、貸している部屋は全部で三部屋。

 未亡人の家具がそのまま入っているので使えるし、自分の家具を持ってきてもよい。

 地下鉄一本で会社のあるバンクの駅にも通えるし、ベイズウォーターの近くでもある。

「それがいい。僕が入りたいくらいだ」ホークが言った。

「高いです」

「いや、これがいい。見に行こう」

「私のアパートですよ」

「わかってるよ」

 担当者は、二人のどちらに従うべきか目を左右に動かしていたが、ホークに促されて管理人に連絡を入れた。

「未亡人って、美人かな」

 信じられない! ハルがそっぽを向いた。


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