上 下
115 / 139

115 張り込み中の警部補に、現行犯逮捕されただと?

しおりを挟む
 ロンドン警視庁の一室で、ホークはカルロを待っていた。

 正確には身元引受人――伯父ということになっていた――に扮したカルロと、捜査局が手配した弁護士の二人だ。

 捜査本部の中の会議室は、ガラスの仕切り窓に全部ブラインドが降ろされている。

 微妙に隙間が空いているせいで、近くを通りかかる者が一々中を覗いて行く。

 黒いセダンの赤ら顔の男は警部補で、運転していた若い男は巡査だった。

 二人とも、LB証券まで捜査に来た主任警部の部下である。
 
 取り調べが始まる前にホークは弁護人を要請し、カルロに携帯で電話することを許された。

 カルロの反応は、土曜の夜十一時に部下から呼び出される、世界中全ての上司が出すであろう声音となって返ってきた。

 なぜ君はよけいな問題を引き起こすのだ? 

 自分が起こしたんじゃない、巻き込まれたんだ。

 張り込み中の警部補に、現行犯逮捕されただと? 

 何をどう繕ったら、君を受け出せるのか見当もつかん。

 前後左右の写真を撮られ、十本指の指紋を採られ、身長体重を測られた。

 これでロマネスクの社員を殺した犯人は、アラン・キャンベルだとばれてしまう。

 ブラインドの掛ったガラスのドアに人影が差し、ドアが開いた。

 カルロだった。ツイードのジャケットを着ている。

 捜査官と言うよりは、高校の物理教師だ。

 ホークもカルロも目を合わせたが、何も言わない。

 カルロの後ろから、初めて見る男が顔を出した。

 黒髪をきっちり分けてグレーのスーツを着ている。

 本物の弁護士らしい。年はホークより少し上か。彼が名刺を差し出した。

 ヴィンス・ホーランド。ある弁護士事務所に所属している。ホークはヴィンスと握手した。

「……さて」ヴィンスがテーブルの上にノート・パッドを開いた。充電は十分してあるらしい。

「どこから始めますか」

 カルロがホークを睨みつけながら言った。

「他にどうしようもなかったんだろうな」

「なかったよ。待ち伏せされたんだ」

「逃げた奴は、おまえの顔を覚えているんだな」

「もともと写真でも見ているんだろう。先頭の男は僕を知っていた」

 倒れていた男四人は重傷で、事情聴取できる状態ではないという。

「おまえはどこにも怪我はないんだな」

「ない」ホークは両掌を見た。

 鉄パイプを強く握ったせいで手袋が擦り切れただけだ。

 病院で手当てを受けている四人の身元がそのうちわかるとして、彼らがアラン・キャンベルを訴えてくる可能性があるだろうか。

 むしろこちらから訴えるべきではないか。

 正当防衛が認められる可能性は。

 傷害事件か殺人未遂か。

 アラン・キャンベルの指紋が割れてしまったせいで、もう一つの殺人容疑は逃れられない。

 米国歳入庁の捜査官であることをロンドン警視庁に知らせるべきか否か。

 知らせるとしたらどのレベルまでか。

 当然起こるアメリカ政府に対する『苦情』についてはどのレベルが対処すべきか。

 ロンドン警視庁は、メディアで報道された殺人事件の捜査を突然止めることはできないだろうから、どの程度続ける振りをするのか。

 または犯人をでっちあげるのか。

 本国の指示が来た。

「リークは最小限で」


 カルロの車に送られてホークがフラットに戻ったのは、午前二時過ぎだった。

 予備のカードでエントランスを通り、エレベーターで五階へ昇った。

 玄関の明かりがついていた。ハルがつけておいてくれたらしい。

 なるべく音を立てずに部屋に入る。

 部屋の明かりはベッドサイドに一つだけつけられていた。

 着ているものを脱いでいると、ソファの上にハルが起き上がった。

「あれ、ベッドで寝ていいのに」暗いので表情はわからない。

 既に半裸になっていたので、ホークは急いでバスルームに入った。

 ハルがシャワーを使ったらしく、バスタブが濡れていた。

 足ふきマットはきれいに広げられて、パネルヒーターにかかっている。

 使ったバスタオルなどは、たたんで床に置かれていた。

 ホークは新しいタオルをリネン庫から取り出した。

 シャワーから上がって、いつもは着ないバスローブをまとい、冷蔵庫から冷えたペリエを出して飲んだ。

 ハルが立ち上がって近づいてきた。

「どうしたの」

「……眠れないんです」

 長いTシャツのようなナイティを着ている。

 大きな袋をかぶっているみたいだ。

 すんなりと幅の狭い足がバレーシューズにぴたりとおさまっていた。

 ホークが差し出したペリエのグラスを傾けてハルが飲んだ。

「色々ありすぎたね、今日は」こくん、と頷く。

 グラスをカウンターに置いて、ハルが一歩近づいた。

 ふっと自分と同じシャンプーの香りがした。

「帰ってこなかったらどうしようって思って……」

「……心配してくれたんだね」

「だって、最初は、キャンベルさんが車に轢かれたのかと思って……」

「ごめん」

「そのあとも大勢に囲まれていたから、きっと駄目だって思って……警察の人達に速く行って下さいって……」

 そういえば警部補が、「あのお嬢さんが騒いでうるさかった」と言っていた。

「キャンベルさんが立っているの見て、すごくほっとして……」

 ホークは、ついフフッと笑いを漏らした。

 え? とハルが目を上げた。

「笑っているんですか?」

「ごめん、つい嬉しくて」

「どうしてあんな人たちに襲われるんですか?」

 ホークはため息とも欠伸ともつかない息をついた。

「ごめん、君、どこで寝るの?」

「え、ソファで……」

「じゃあ、おやすみ」

 ホークは寝室に入って閉めたことのないドアを閉めた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました

氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。 ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。 小説家になろう様にも掲載中です

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

最近、夫の様子がちょっとおかしい

野地マルテ
ミステリー
シーラは、探偵事務所でパートタイマーとして働くごくごく普通の兼業主婦。一人息子が寄宿学校に入り、時間に余裕ができたシーラは夫と二人きりの生活を楽しもうと考えていたが、最近夫の様子がおかしいのだ。話しかけても上の空。休みの日は「チェスをしに行く」と言い、いそいそと出かけていく。 シーラは夫が浮気をしているのではないかと疑いはじめる。

失った記憶が戻り、失ってからの記憶を失った私の話

本見りん
ミステリー
交通事故に遭った沙良が目を覚ますと、そこには婚約者の拓人が居た。 一年前の交通事故で沙良は記憶を失い、今は彼と結婚しているという。 しかし今の沙良にはこの一年の記憶がない。 そして、彼女が記憶を失う交通事故の前に見たものは……。 『○曜○イド劇場』風、ミステリーとサスペンスです。 最後のやり取りはお約束の断崖絶壁の海に行きたかったのですが、海の公園辺りになっています。

王女の中身は元自衛官だったので、継母に追放されたけど思い通りになりません

きぬがやあきら
恋愛
「妻はお妃様一人とお約束されたそうですが、今でもまだ同じことが言えますか?」 「正直なところ、不安を感じている」 久方ぶりに招かれた故郷、セレンティア城の月光満ちる庭園で、アシュレイは信じ難い光景を目撃するーー 激闘の末、王座に就いたアルダシールと結ばれた、元セレンティア王国の王女アシュレイ。 アラウァリア国では、新政権を勝ち取ったアシュレイを国母と崇めてくれる国民も多い。だが、結婚から2年、未だ後継ぎに恵まれないアルダシールに側室を推す声も上がり始める。そんな頃、弟シュナイゼルから結婚式の招待が舞い込んだ。 第2幕、連載開始しました! お気に入り登録してくださった皆様、ありがとうございます! 心より御礼申し上げます。 以下、1章のあらすじです。 アシュレイは前世の記憶を持つ、セレンティア王国の皇女だった。後ろ盾もなく、継母である王妃に体よく追い出されてしまう。 表向きは外交の駒として、アラウァリア王国へ嫁ぐ形だが、国王は御年50歳で既に18人もの妃を持っている。 常に不遇の扱いを受けて、我慢の限界だったアシュレイは、大胆な計画を企てた。 それは輿入れの道中を、自ら雇った盗賊に襲撃させるもの。 サバイバルの知識もあるし、宝飾品を処分して生き抜けば、残りの人生を自由に謳歌できると踏んでいた。 しかし、輿入れ当日アシュレイを攫い出したのは、アラウァリアの第一王子・アルダシール。 盗賊団と共謀し、晴れて自由の身を望んでいたのに、アルダシールはアシュレイを手放してはくれず……。 アシュレイは自由と幸福を手に入れられるのか?

冤罪! 全身拘束刑に処せられた女

ジャン・幸田
ミステリー
 刑務所が廃止された時代。懲役刑は変化していた! 刑の執行は強制的にロボットにされる事であった! 犯罪者は人類に奉仕する機械労働者階級にされることになっていた!  そんなある時、山村愛莉はライバルにはめられ、ガイノイドと呼ばれるロボットにされる全身拘束刑に処せられてしまった! いわば奴隷階級に落とされたのだ! 彼女の罪状は「国家機密漏洩罪」! しかも、首謀者にされた。  機械の身体に融合された彼女は、自称「とある政治家の手下」のチャラ男にしかみえない長崎淳司の手引きによって自分を陥れた者たちの魂胆を探るべく、ガイノイド「エリー」として潜入したのだが、果たして真実に辿りつけるのか? 再会した後輩の真由美とともに危険な冒険が始まる!  サイエンスホラーミステリー! 身体を改造された少女は事件を解決し冤罪を晴らして元の生活に戻れるのだろうか? *追加加筆していく予定です。そのため時期によって内容は違っているかもしれません、よろしくお願いしますね! *他の投稿小説サイトでも公開しておりますが、基本的に内容は同じです。 *現実世界を連想するような国名などが出ますがフィクションです。パラレルワールドの出来事という設定です。

私が愛しているのは、誰でしょう?

ぬこまる
ミステリー
考古学者の父が決めた婚約者に会うため、離島ハーランドにあるヴガッティ城へと招待された私──マイラは、私立探偵をしているお嬢様。そしてヴガッティ城にたどり着いたら、なんと婚約者が殺されました! 「私は犯人ではありません!」 すぐに否定しますが、問答無用で容疑者にされる私。しかし絶対絶命のピンチを救ってくれたのは、執事のレオでした。   「マイラさんは、俺が守る!」 こうして私は、犯人を探すのですが、不思議なことに次々と連続殺人が起きてしまい、事件はヴガッティ家への“復讐”に発展していくのでした……。この物語は、近代ヨーロッパを舞台にした恋愛ミステリー小説です。よろしかったらご覧くださいませ。  登場人物紹介    マイラ  私立探偵のお嬢様。恋する乙女。    レオ  ヴガッティ家の執事。無自覚なイケメン。    ロベルト  ヴガッティ家の長男。夢は世界征服。    ケビン  ヴガッティ家の次男。女と金が大好き。    レベッカ  総督の妻。美術品の収集家。  ヴガッティ  ハーランド島の総督。冷酷な暴君。  クロエ  メイド長、レオの母。人形のように無表情。    リリー  メイド。明るくて元気。  エヴァ  メイド。コミュ障。  ハリー  近衛兵隊長。まじめでお人好し。  ポール  近衛兵。わりと常識人。  ヴィル  近衛兵。筋肉バカ。    クライフ  王立弁護士。髭と帽子のジェントルマン。    ムバッペ  離島の警察官。童顔で子どもっぽい。    ジョゼ・グラディオラ  考古学者、マイラの父。宝探しのロマンチスト。    マキシマス  有名な建築家。ワイルドで優しい  ハーランド族  離島の先住民。恐ろしい戦闘力がある。

人狼ゲーム『Selfishly -エリカの礎-』

半沢柚々
ミステリー
「誰が……誰が人狼なんだよ!?」 「用心棒の人、頼む、今晩は俺を守ってくれ」 「違う! うちは村人だよ!!」  『汝は人狼なりや?』  ――――Are You a Werewolf?  ――――ゲームスタート 「あたしはね、商品だったのよ? この顔も、髪も、体も。……でもね、心は、売らない」 「…………人狼として、処刑する」  人気上昇の人狼ゲームをモチーフにしたデスゲーム。  全会話形式で進行します。  この作品は『村人』視点で読者様も一緒に推理できるような公正になっております。同時進行で『人狼』視点の物も書いているので、完結したら『暴露モード』と言う形で公開します。プロット的にはかなり違う物語になる予定です。 ▼この作品は【自サイト】、【小説家になろう】、【ハーメルン】、【comico】にて多重投稿されております。

処理中です...