わけありのイケメン捜査官は英国名家の御曹司、潜入先のロンドンで絶縁していた家族が事件に

川喜多アンヌ

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108 お隣のばあさんが、聞き耳立ててると思うとな

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 後ろでハルがどんな顔をしているかは知らないが、ホークはシボーンの後について中に入った。

 家の中は何か木の実を炒ったような匂いがした。

 暖房が効いていて暖かい。ホークには暑いくらいだ。

 シボーンは少し足が不自由らしく、片側の腕を大きく振って歩く。

 そうしてやっと、片方の脚が前に進むのだ。

 雑然と、雑誌や衣類の重なりが、廊下のそこここに置かれている。

 居間の家具は古く、壁紙は黄ばみがひどく、汚れ方が部屋そのものと調和していた。

 一人暮らしの所帯らしく、カップボードの食器が少ない。

 キッチンに鍋があり、どうも特殊な匂いはその鍋から漂っているようだった。

 布張りのソファの上にはつくりかけのパッチワークが広がっている。

 ベッドカバーくらいはある大きさだった。

「わあ、素敵な色ですね」ハルが言った。

「ベッドカバーにするんですか?」

「ええ。バザーに出すのでね」

「うちの母もつくってます」

 パッチワークの柄域について話しこんでいる二人を背にして、ホークはガラスの窓を開け、ベランダに出た。

 ああ、涼しい。

 三〇三号室のベランダとの間には仕切りの壁がある。

 手すりの下には中庭が見える。低い植え込みと芝生、遊歩道とベンチ。

 今植え込みは枝ばかりで、ベンチも鳥のフンだらけだ。

 エアコンの室外機をまたいで身を乗り出し、隣を覗いてみた。

 ダークレッドに近い暗い色のカーテンがかかっていた。少し隙間が空いている。

 そこからソファやテーブルが部分的に見えた。

 まだ家具があるじゃないか。それとも新しく運び込まれたのか? シボーンの勘違いだろうか。

 壁につかまって手すりによじのぼれば隣に入ることはできる。

 しかし、相対する向かい側の棟の窓や左右の棟のベランダで、洗濯物を干している人がいる。

 通報されかねない。

 家具があるということは、誰かが住んでいる。または使っている。

 マーガレットではないなら、次の住人か。

 部屋の中に戻ると、二人がパッチワークを挟んでソファに腰かけていた。

 ホークは革ジャンを脱いだ。テーブルの上にサンドイッチが広げられている。

「お茶を淹れるわ」と言うシボーンを制して「あ、私が」とハルが立ち上がった。

「どうでした?」

 シボーンに向かってホークは肩をすくめた。

「まだ家具がありますよ。誰か住んでいるんですか?」

 シボーンは眼鏡の奥からホークを見て瞬きをした。

「マーガレットじゃないわよ」

「どうしてわかるんです?」

「だって、いつも違うカップルが来るもの」

 カップル? とハルが振り向き、目を丸くしてシボーンの顔を見た。

 ホークは軽く咳払いした。

「あの、それはどのくらい頻繁にですか」

「日によるわね。ま、午後から夜。彼らが出て行くと、お掃除の人が来るのよ」

 全て聞こえているわけだ。

 三人でお茶を飲みながらサンドイッチを食べた。

 BLTや野菜サンド、ジャム、チーズなどがあった。

「おいしい」パッチワークの話をしている二人をよそに、ホークは次々サンドイッチをたいらげた。

「君のサンドイッチが役に立ったな」

「殆どキャンベルさんが食べてましたよ」

 二人は来た階段を降りた。足音が反響する。
 
「マーガレットは、ボーイフレンドとどこかへ行ったんでしょうか」ハルの声が壁に響いた。

「ボーイフレンドじゃないって、あの人が言ってただろう」

「どうしてわかるんですか?」

 ハルの顔を見た。

「聞こえなかったからさ」

「聞こえない?」キョトンとホークを見ている。

「何が……」

 ホークはクスッと笑った。

「たのむよ、ハル……」

 えっ? と言ってハルの頬が赤くなった。

「やだ、キャンベルさんって……」

 やだって、なんだよ。ホークは笑いながら足早に階段を駆け降りて行った。

「最初に僕らが間違えられただろう?」

「え、間違えられたって?」パタパタとハルの足音が続く。

「『鍵持ってないの?』って」

 え、えーっ! 悲鳴のようにハルの声が響いた。

「お隣のばあさんが、聞き耳立ててると思うとな」

 信じられない、もう……。ハルが後ろでごちゃごちゃ言っていた。

「マーガレットのこと、どうしたらいいんでしょう」

 どこの組織だ――マーガレットを追い出して、あの部屋を使っているのは。

 そして、マーガレットをどうしたんだ。
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