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91 キャンベルさん、あなた、あたしのこと嫌いなのね
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ハルがおしえてくれたマーガレットのアドレスにメールを出した。
訊きたいことがあるので会ってほしい。
どこへでも場所を決めてくれたらそこへ行くから、と言ったのだが、一日たっても返事が来なかった。
携帯にも電話したが、留守電状態だった。
メールと同じ内容のメッセージを残した。
返事が来ないのは、会いたくないからか。外国にでも旅行に出たか。
それとも――返事ができない状態なのか。
営業成績が少し上向き始めた。
もともと主要な客には分散投資させているので、一つがこけても他で挽回する。
下がり切る前に利益を確定させて売り抜け、裁定買いをする。
ポンドが上がり調子なので、為替ヘッジ(為替変動の影響を避ける)をしつつ先物を売る。
ユーロはドイツ政府とECB(ユーロ圏の金融政策を決める)の動きに連動して、身動きが取れない。
アメリカの雇用統計は予想を上回る増加を見せ、新興国の輸出は減少。
朝方高かった株価は、利益確定売りが先行したために、すぐに下がり始めた。
ロマネスクはどこで聞きつけて来たのか、LB証券では扱っていない中国の社債を買いたいと言って来た。
どこかの炭鉱に投資する債券だ。
念のため、レイチェルに評判を訊いてみると、
「クソみたいな債券で、デフォルト間違いなし」という返事が返って来た。
「その誰かさんが関心を持っている社債はね、資源価格に連動してんのよ」
「資源?」商品先物については全く知らない。
「例えばね、これから五年位、鉄鉱石は、世界各地で増産される予定なの。なのに需要が減ったら、どうなると思う?」
なぜ需要が減るのかわからなかったが、ホークは言った。
「価格が下がるな」
「でしょ? 生産がだぶついて、需給バランスが狂って、資源価格が暴落すると、資源メジャーの業績を直撃するわね。当然、株も下がる」
「待ってくれ、なんで鉄鉱石の需要が減るんだ」
「どこかの大きな新興国さんの輸出が減ったら、鉄鉱石とか胴とか原材料の資源需要が大幅に減るのよ」
「輸出は減るのか」
「もう減り始めてる。そちらの新興国より、自国や別の国で生産した方が採算が合うから、生産拠点を移した企業が多いのよ」
「じゃあなんで、九・七パーセントなんて高利率を謳っているんだ」
レイチェルは鼻を鳴らした。
「嘘こいてるってことよ」
「詐欺なのか?」
「さーねー。大体、地方のお役所の肝煎りで発行しているんだから、まんざら詐欺のつもりじゃないんでしょ。
ただ、素人の客に、リスクを説明しないで売りまくってるきらいはあるわね」
いったい何を裏付けに、九・七パーセントの高い利率を喧伝するのかわからないが――
とかくわかりやすい説明を真に受ける、ハイリスク・ハイリターン志向の客が飛びつきやすい。
LB証券が関わらない商品でよかった。
こんなのを売ってデフォルトされたら、命がいくつあっても足りない。
アンドレの電話が切れた後、またすぐ1番の電話が鳴った。
「ねえ、早く、投資について教えに来てよ」電話越しにレベッカの鼻にかかる声が言った。
「また今度、落ち着いてから伺います」
「何なのよ、キャンベルさん? あなた、あたしのこと嫌いなのね」
またこんな事をクライアント・ラインで……。
これでまたコンプライアンスに怒られる。プラス、エディの嫌みつきだ。
「レベッカさん、すみませんが、取引以外のことを、このお電話では話せませんので」
レベッカのけたたましい声がかぶさった。
「いいわ。トマシュに言うから。あなた、トマシュに言われたら来るんでしょ」
「あの、そのお話はまた今度……」
「必ず来て」
ヘッドセットを着けたままため息をつくと、肩先に誰かが立つのを感じた。
「アラン」振り向くと、パメラだった。
彼女が近くに寄ってくるのは久しぶりだ。
今日はシックな黒いドレスを着ている。
胸元の切れ込みはかなり深く、大きな色石のネックレスが下がっている。
谷間を隠すようで隠していない。
「ちょっと予定を入れたいんだけど」
「いいよ、何?」また、ランチかと思っていると、
「あのね、ボーナス・コミュニケーションの日、ジェイミーが、アランに部下の分をやってほしいって」
わかるようで、わからなかった。ホークは瞬きした。
「あたしが適当に、入れていい?」
「ああ、いいよ」
パメラはにこにこした。
「去年は全員、ジェイミーが自分でやったんだけど、朝六時半からスタートしても、夜までかかっちゃったの。
大変だから、直属のマネージャーにカスケードすることにしたんですって」
「ふうん」要するに、自分が成績をつけた部下達に、ボーナスの手紙を渡す係りをやれということだ。
「じゃ、あたしもアランからもらうから」パメラはにこにこしながら席に戻った。
しかし、渡すのはいいが、彼女たちにいくら払うことにしたのか知らないと気づいた。
知っていそうなのは、エディかハルだ。
エディには、それしか選択肢がない場合以外、何か訊きに行きたいとは思わない。
だから、ハルにメールした。
「僕の部下達のボーナスが、いくらかおしえてくれ」
「まだ決まっていません」
発表の日まであと三日だ。
ハルが自分の席にいるとわかったので、電話した。
「どうして?」
「ぎりぎりまで決まりません」
「最終でなくていいんだ。今の数字で」
「できません。私がクビになります」
「誰にも言わないよ」
ハーッとため息をつくのが聞こえた。
「駄目です」
それ以上、どうなだめすかしても、ハルは教えてくれそうになかった。
他のマネージャーたちは、部下の数字を知っているのだろうか。
トイレでジョルジオと一緒になった。
「どうだ、調子は?」訊かれてホークは首を振った。
「そっちは?」
「先行きが不透明だからな。疑問点がいっぱいあるんだが、答えが出ないからしょうがない。VI指数(予想変動範囲)は低いし、
なんとなく、コール(先物オプションを買う権利)がプット(売る権利)より先行しているから、
これから株価は上昇するような気配だろう? もう少しエクスポージャーを増やした方がいいんだろうな」
もっとリスク分散させる、という意味だ。
「君がそう言うなら、おれもそうするよ」ジョルジオはふっと笑った。
「東京に行くんだって?」
「『セブンオークス』が、日本の投資先探しに熱心でな」
「いつ?」
「ボーナス・コミュニケーションのすぐあとだ」
「あーそう言えば、部下の数字って、知ってる?」
「だいたいな」
「おれ知らないのに、手紙だけ渡せって言われてさ」
「ジェイミーに訊けよ」
そう聞いて、そのあとジェイミーのオフィスを覗いてみたが、エディが中にいたのでノックするのを止めた。
訊きたいことがあるので会ってほしい。
どこへでも場所を決めてくれたらそこへ行くから、と言ったのだが、一日たっても返事が来なかった。
携帯にも電話したが、留守電状態だった。
メールと同じ内容のメッセージを残した。
返事が来ないのは、会いたくないからか。外国にでも旅行に出たか。
それとも――返事ができない状態なのか。
営業成績が少し上向き始めた。
もともと主要な客には分散投資させているので、一つがこけても他で挽回する。
下がり切る前に利益を確定させて売り抜け、裁定買いをする。
ポンドが上がり調子なので、為替ヘッジ(為替変動の影響を避ける)をしつつ先物を売る。
ユーロはドイツ政府とECB(ユーロ圏の金融政策を決める)の動きに連動して、身動きが取れない。
アメリカの雇用統計は予想を上回る増加を見せ、新興国の輸出は減少。
朝方高かった株価は、利益確定売りが先行したために、すぐに下がり始めた。
ロマネスクはどこで聞きつけて来たのか、LB証券では扱っていない中国の社債を買いたいと言って来た。
どこかの炭鉱に投資する債券だ。
念のため、レイチェルに評判を訊いてみると、
「クソみたいな債券で、デフォルト間違いなし」という返事が返って来た。
「その誰かさんが関心を持っている社債はね、資源価格に連動してんのよ」
「資源?」商品先物については全く知らない。
「例えばね、これから五年位、鉄鉱石は、世界各地で増産される予定なの。なのに需要が減ったら、どうなると思う?」
なぜ需要が減るのかわからなかったが、ホークは言った。
「価格が下がるな」
「でしょ? 生産がだぶついて、需給バランスが狂って、資源価格が暴落すると、資源メジャーの業績を直撃するわね。当然、株も下がる」
「待ってくれ、なんで鉄鉱石の需要が減るんだ」
「どこかの大きな新興国さんの輸出が減ったら、鉄鉱石とか胴とか原材料の資源需要が大幅に減るのよ」
「輸出は減るのか」
「もう減り始めてる。そちらの新興国より、自国や別の国で生産した方が採算が合うから、生産拠点を移した企業が多いのよ」
「じゃあなんで、九・七パーセントなんて高利率を謳っているんだ」
レイチェルは鼻を鳴らした。
「嘘こいてるってことよ」
「詐欺なのか?」
「さーねー。大体、地方のお役所の肝煎りで発行しているんだから、まんざら詐欺のつもりじゃないんでしょ。
ただ、素人の客に、リスクを説明しないで売りまくってるきらいはあるわね」
いったい何を裏付けに、九・七パーセントの高い利率を喧伝するのかわからないが――
とかくわかりやすい説明を真に受ける、ハイリスク・ハイリターン志向の客が飛びつきやすい。
LB証券が関わらない商品でよかった。
こんなのを売ってデフォルトされたら、命がいくつあっても足りない。
アンドレの電話が切れた後、またすぐ1番の電話が鳴った。
「ねえ、早く、投資について教えに来てよ」電話越しにレベッカの鼻にかかる声が言った。
「また今度、落ち着いてから伺います」
「何なのよ、キャンベルさん? あなた、あたしのこと嫌いなのね」
またこんな事をクライアント・ラインで……。
これでまたコンプライアンスに怒られる。プラス、エディの嫌みつきだ。
「レベッカさん、すみませんが、取引以外のことを、このお電話では話せませんので」
レベッカのけたたましい声がかぶさった。
「いいわ。トマシュに言うから。あなた、トマシュに言われたら来るんでしょ」
「あの、そのお話はまた今度……」
「必ず来て」
ヘッドセットを着けたままため息をつくと、肩先に誰かが立つのを感じた。
「アラン」振り向くと、パメラだった。
彼女が近くに寄ってくるのは久しぶりだ。
今日はシックな黒いドレスを着ている。
胸元の切れ込みはかなり深く、大きな色石のネックレスが下がっている。
谷間を隠すようで隠していない。
「ちょっと予定を入れたいんだけど」
「いいよ、何?」また、ランチかと思っていると、
「あのね、ボーナス・コミュニケーションの日、ジェイミーが、アランに部下の分をやってほしいって」
わかるようで、わからなかった。ホークは瞬きした。
「あたしが適当に、入れていい?」
「ああ、いいよ」
パメラはにこにこした。
「去年は全員、ジェイミーが自分でやったんだけど、朝六時半からスタートしても、夜までかかっちゃったの。
大変だから、直属のマネージャーにカスケードすることにしたんですって」
「ふうん」要するに、自分が成績をつけた部下達に、ボーナスの手紙を渡す係りをやれということだ。
「じゃ、あたしもアランからもらうから」パメラはにこにこしながら席に戻った。
しかし、渡すのはいいが、彼女たちにいくら払うことにしたのか知らないと気づいた。
知っていそうなのは、エディかハルだ。
エディには、それしか選択肢がない場合以外、何か訊きに行きたいとは思わない。
だから、ハルにメールした。
「僕の部下達のボーナスが、いくらかおしえてくれ」
「まだ決まっていません」
発表の日まであと三日だ。
ハルが自分の席にいるとわかったので、電話した。
「どうして?」
「ぎりぎりまで決まりません」
「最終でなくていいんだ。今の数字で」
「できません。私がクビになります」
「誰にも言わないよ」
ハーッとため息をつくのが聞こえた。
「駄目です」
それ以上、どうなだめすかしても、ハルは教えてくれそうになかった。
他のマネージャーたちは、部下の数字を知っているのだろうか。
トイレでジョルジオと一緒になった。
「どうだ、調子は?」訊かれてホークは首を振った。
「そっちは?」
「先行きが不透明だからな。疑問点がいっぱいあるんだが、答えが出ないからしょうがない。VI指数(予想変動範囲)は低いし、
なんとなく、コール(先物オプションを買う権利)がプット(売る権利)より先行しているから、
これから株価は上昇するような気配だろう? もう少しエクスポージャーを増やした方がいいんだろうな」
もっとリスク分散させる、という意味だ。
「君がそう言うなら、おれもそうするよ」ジョルジオはふっと笑った。
「東京に行くんだって?」
「『セブンオークス』が、日本の投資先探しに熱心でな」
「いつ?」
「ボーナス・コミュニケーションのすぐあとだ」
「あーそう言えば、部下の数字って、知ってる?」
「だいたいな」
「おれ知らないのに、手紙だけ渡せって言われてさ」
「ジェイミーに訊けよ」
そう聞いて、そのあとジェイミーのオフィスを覗いてみたが、エディが中にいたのでノックするのを止めた。
応援ありがとうございます!
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