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82 噂は高速取引より早くフロア中を駆け巡った

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 日曜日、カルロに紹介してもらい、捜査局の職員が行く診療所に行った。

 本来休みだが特別だ。

 レントゲンを撮ってもらった。

 どこにも骨には異常がないとわかった。

「過重な圧力がかかったために、関節が限界まで抵抗した結果の痛み」だと説明された。

 たぶんマカロフという奴は百五十キロくらい体重があったはずだ。

 自分は今朝量ったら八十キロを割っていた。

 会社員生活で身体がなまり、筋肉量が減っているのだ。

 あんな奴と素手で戦うには限界を超えた体重差だった。

 トレーニングを増やさなければ生死にかかわる。

 だいたい研修生の頃から、柔道やレスリングが最も苦手な科目だった。

 相手に接近して技をかけることができない。

 先に相手にかけられてしまうか、逃げ回って試合にならないかだ。

 いつもトレーナーに怒られていた。

 発信器の件は謎だった。

 ロマネスクの手先か、アイリッシュ・マフィアの手先か。

 それがどこで自分の車に発信器を取り付けることができたのか、不気味だった。

 フラットの駐車場なら監視カメラに写っている。

 だがあそこまで来るなら、待ち伏せ自体駐車場でするだろう。

 最初に来た奴らがそうしたように。

 たぶん発信器は別の場所で付けられている。

 ふだん自分が長く車を停めているところは会社しかない。

 会社の駐車場にも監視カメラはあるが……。

 その誰かは会社の駐車場に入ることができる奴だ。

 会社でも家でもないところでアラン・キャンベルを捕まえようとしていたのだ。

 あるいはキャンベルが行く場所を、全て把握しようとしているのかもしれない。

 ロマネスクが頼んだ調査会社のことがふと頭に浮かんだ。

 アラン・キャンベルの身元を徹底的に調査するために。



 とりあえず不適切な関係にはならずに済んだが、パメラには何重にも借りが増えてしまった。

 目が合うと、彼女は優しくにっこり笑顔になった。

「もう元気になった?」

 ホークは殊勝な顔をして、黙って頷く。

 しかし、噂は高速取引より早くフロア中を駆け巡った。

「デート中にゲロ吐いたんだって?」

「おまえ、最低」

「パメラに鞭で打たれるぞ」

「奴隷にされるの、覚悟しとけよ」

 肩の関節に、ふとした拍子に痛みが走る。

 顔をしかめた。このくらい、なんだ。

 片羽絞めだろうと袈裟固めだろうと、トレーラーに追突されるよりは可愛いもんだ。

 アダムが隣でしきりに客に商品を勧めている。

 約定が決まったらしく、上機嫌でオーダーを出した。

 見ると、パメラがアダムのサポートをしていた。

 金額はさほど大きくないが、アダムの顧客リストでは上位に入っている名前だった。

「いいねえ、パメラは早くて」アダムはにんまりした。

「間違いもないし。いいアシスタントだよなあ」

「ああ」

「あんないい子にデートに誘われて、不首尾に終わる奴がいるんだからなあ」

 ……いつものことながら、くどい奴だ。それにしつこい。

「早く挽回した方がいいと思うぜ。即効性の特効薬を使わないとな」

「特効薬?」横目でアダムを見た。

 アダムがズズッとデスクの上をすり寄って来て、耳元で囁いた。

 きつい口臭に、思わず顔を背けそうになる。

「彼女ってさ……だろう?……けっこう……のが好きらしいぜ」

 なんとも卑猥な、

 就業中にオフィスで口にすべきではない、

 相手によっては不快だと本気で怒りそうな、

 人事部の「苦情・相談受付係」が聞いたら、上司に報告書が飛んで、

 間違いなく警告・懲戒処分になりそうなことを、言った。

 しかし実は、ふだん男たちが日常的に口にしているような、

 単に失笑を買う程度の発言だった。

 「おまえも一回試してみろよ」

 ホークは口臭に顔をしかめた。

「遠慮しとく」

 クライアント・ラインの1番が点滅した。
 
 何か考える前に反射神経が電話を取った。

「ブルラクさん、おはようございます。LB証券、アラン・キャンベルです」

「キャンベル、今日トマシュが会いたいと言ってる」

「はい。何時頃がよろしいでしょうか」

「夕方六時頃、メイフェアのホテルに来れるか。シャンパン・バーのある……」

「はい」

「じゃ、そこで待っている」アンドレが電話を切ろうとした。

「あ、すみません、何かご用意していくものはありますか?」

「いや、特にない。おまえ一人で来い」

 彼らは何を、どこまで知っているんだ。

 おとといの二人の男たちが行方不明になったことを、知っているのだろうか。

 奴らがアラン・キャンベルを襲ったことを、知っているのだろうか。

「ロマネスクか」アダムの声に我に返った。

「ああ」

「最近あのセクシーなブロンディーから電話ないじゃないか」

「マデイラの別荘に行ってるんだってさ」眉一つ動かさずに言った。

「ごーせいだな。あの彼女も、おまえに随分ご執心だよなあ」

「雑用を頼まれていただけさ」

「キャンベルさん、助けて! なんてなあ」アダムが裏声でマリーの口調を真似した。

「吐くぞ」横顔でアダムを睨みつけた。
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