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81 アランていつもあたしに謝っているわよね

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 ホークが支払いをしている間にパメラは化粧室に行った。

 支払いを終えて、ガラスのドアから自分の車を停めてある方を見た。

 Z4に寄りかかっている二人の男の姿がある。

 一人は知らない顔だ。

 もう一人は図体の大きいレスラーのような体格。なんとなく既視感が……

 駐車場で待ち伏せしていた奴に似ている。

 ドアマンをつかまえて、連れが化粧室から戻ってきたら、ここで待っているように伝えてほしいと頼んだ。

「承知しました」

 にこやかに応える彼に十ポンド札を渡した。

 ホークは男性用化粧室に入る振りをして、従業員用のドアから店の裏に出た。

 表に出て歩道をごく普通の速さで歩き二人の男の背後から近づいた。

「何か御用ですか?」

 二人が振り向いた。

 背の低い方は百七十五センチくらいで、四十代半ばくらいか顔に皺が目立つ。

 もう一人はもっと若いが岩を連想させる大男で、駐車場にいた奴の双子の兄弟かと思われた。

「キャンベルさん?」背の低い方がしわがれた声で言った。

 黒い革ジャンの前を開き銃の台尻を見せた。

「ちょっと訊きたいことがある」そのアクセントからアイルランド人だと思った。

 二人に挟まれて歩きながらホークは考えた。

 尾行されていたことに全く気付かないことがあるだろうか。

 いや、されていない。

 もしかすると車に発信器を付けられているのかもしれない。

 だとしたら、誰がいつどこで付けたんだ?

 すぐにでも車体を隅々まで検査したかったが、この二人を片づけるのが先だ。

 建築中のビルのシートをめくって足場の下をくぐり、鉄骨だけの屋内に入った。

 中は天井がなく空が見える。

 土曜日なので工事は休みらしく、人気はない。

「何を御訊きになりたいんですか?」

 アイルランド人らしき背の低い方の男がホークの胸に拳銃を突きつけた。

 消音器付きだ。安全装置がはずれている。

 男の両目は皺に埋もれて黒い淵のようだった。

「おまえは何者だ、キャンベル?」

「LB証券の社員ですよ」ぐいっと拳銃の先が胸を押した。

「なめるんじゃねえ。あの金の在りかをしゃべってもらう。

 しゃべるまで順々に身体に穴があくぞ。まず膝だ。次に足の甲、それから手の甲、最後に……」

 ホークは男をさえぎった。

「何の金のことですか?」

「マカロフ」男は顎で指図した。

 呼ばれた大男が腕を伸ばすより速く、ホークはしゃがんでスタートダッシュのように跳び、アイルランド人をタックルした。

 男は倒されながら引き金を引いた。

 あちこちの鉄骨に弾が当たって、けたたましい。火花が散る。

 男の銃を手と一緒に蹴って飛ばす。

 仰向けに倒れた相手の胸に飛び降り、肋骨を折った。

 念のため頭を蹴って首を折った。

 ここまで五秒ほどだが、その間にマカロフという大男が背後から襲ってきた。

 左腕が完全にロックされた。

 脇から回された太い棍棒のような腕が咽を圧迫する。

 奴のもう片方の腕は首の後ろを圧迫する。……片羽絞かたはじめ?……苦しい。息ができない。

 わずかに自由のきく右腕と上に上がった左腕をなんとか首の後ろにある腕に伸ばそうと、頭をのけぞらせた。

 全体重がマカロフにかかっているが、奴はびくともしない。

 あと一分もこのままでいれば自分は死ぬ。

 両腕も上半身も使えない。ホークは足を前に振り上げた。

 今日履いているのは頑丈なゴム底のトレッキング用ブーツだ。

 そのかかとで思い切りマカロフの向こうずねを蹴りつけた。呻き声がした。もう一発、三,四,五……骨を折ってやるつもりで蹴りつけた。

 ようやくマカロフの膝が曲がった。片脚を奴の脚の間に入れ、膝の後ろを押した。マカロフがくず折れた。

 悲鳴を上げたのは自分だった。岩のような塊の下敷きになったのだ。

 棍棒のような腕に胴を掴まれ、下半身をロックされた。

 背筋を使ってのけぞり、肘で奴の頭頂を殴りつける。

 決まったが、感電したように肘が痺れた。

 さっきから聞こえるのは、自分の喘ぎ声と悲鳴ばかりだ。

 それでも下半身が自由にならない。マカロフは頭を振り、起き上がりざま、殴りかかって来た。

 咄嗟に上半身を捻って避けた。石のような拳が地面を突いた。その隙に奴の下からすり抜けた。

 マカロフが立ち上がる前に、その頭に横から回し蹴りを入れた。

 同じ場所を二回、三回、四回……と奴が倒れるまで蹴り続けた。

 マカロフの頭が地面にうつ伏せに落ちた。耳から出血している。

 頸動脈に手を伸ばした。脈がなかった。

 激しい呼吸がおさまらない。鼓動も激しかった。

 ダウンジャケットのジッパーを開けて内ポケットの携帯を取り出した。

 最初からカルロと通話状態にしておいたのだが、衝撃のせいで切れたらしい。掛け直した。

「大丈夫か?」

「……ああ」喘いでいるような声になった。

「もう清掃班が着く頃だ。おまえはすぐ移動しろ」

 工事現場の正確な位置を知らせて携帯を切った。

 先に片付けたアイルランド人が落とした拳銃を拾い、十発残っていた弾丸を全てばらまいた。

 肘が痛い。動くと上半身の骨と関節のあちこちが痛かった。

 ダウンを脱いで砂埃を払う。ジーンズも汚れている。たぶん髪も顔も汚れているだろう。

 パメラは待ちくたびれて帰ってしまったかもしれない。

 ダウンを着た。痺れて力の入らない右腕でジッパーを上げようとした時、突然吐き気がこみ上げた。

 しばし鉄柱で身体を支えて息を整え、こらえた。

 なんとか普通に見える足取りでZ4まで戻り、車の後部のタイヤ周りを手で探った。

 バンパーの裏、後輪の近くにそれはあった。

 磁石で貼り付けるタイプの発信器だ。

 ホークは自然に落ちたようにそれを道路に落としておいた。

 レストランのガラスのドアに近づくと、先ほどのドアマンがさっとドアを開けた。

「ずっとお待ちですよ」笑顔が少し控えめだった。

「パメラ……」マスカラの縁取りが一気に丸くなった。

「どこに行ってたの、アラン?」

「ごめん、ちょっと外の空気を吸いに……」声を出すと上半身の骨に響く。まさかどこか骨にひびが入っているのだろうか。

「気分でも悪いの?」当然ながら、かなりご機嫌斜めだ。

「ごめん……なんでもないんだ」

 Z4の助手席のドアを開けて彼女を先に座らせた。

「そんなに気分悪いなら、別に無理して付き合ってくれなくていいのよ」

「そうじゃないったら……」運転席に座るとまた骨に響いた。

 シートベルトを締めるのも一苦労だ。くそ。

 その瞬間、吐き気が来た。

「うっ!」ドアを開けて歩道にぶちまけた。

「アラン!」

 背中で息をしながら、吐くものがなくなるまで、苦しんだ。さっき吐いておくんだった……。

 ようやく息がおさまり、目を開けると、目の前にペットボトルの水が差し出されていた。

 パメラだった。

「……ありがとう」

 口の中を漱ぎ、一息ついた。

「アラン、顔色がすごく悪い」パメラが心配そうに見ていた。

「大丈夫じゃないと思う」

 ごめん……と言ってホークはステアリングに顔を伏せた。

「あたし、自分で帰るから」ホークははっと起き上がり、パメラの腕を掴んだ。

「送るよ」

「いいってば、気にしないで。それとも運転できる? あたしが運転しようか?」

「せめて送らせてくれ」

 痛む上半身を無理やり真っすぐにして運転した。

 ハムステッドのパメラの家の前で彼女を降ろした。

 ホークは謝り続けた。

「アランていつもあたしに謝っているわよね」パメラは笑った。

「ランチごちそうさま。元気になったら、また誘って」

 後ろ姿がドアの向こうに見えなくなるまで見送った。
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