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80  アラン、何か悩みでもあるの?

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「ねえ、どこで食べる?」

「何でも奢りますよ、お嬢様。この間の御礼に」

「この間の分だけ?」

 二人のカジュアルな服装でも入れそうなレストランを探した。

 ウォーレス・コレクションに向かう道筋の少し裏道に入った。

 静かな住宅街の中に、白い壁と緑の窓枠のきれいな店があった。

「あそこがいい」パメラが言った。

 どの窓にも花が飾られていて、豪華なカーテンと調和している。

 ホークは路上駐車している車の列になんとかZ4を割り込ませた。

 店の前に黒板に書かれたメニューが出ている。

 シャンパン付きのランチに間に合うようだ。

 二人が店の前の階段を上がると、ドアマンがさっとドアを開けた。

 ブラック・タイを締めた彼は、ホークが見せるより早く極上の笑顔を見せる。

 服装を確認する二人に「どうぞそのままで」とスマートに案内した。

 中は圧倒的に年配の客が多かった。

 高齢者ばかり座っているテーブルもあった。

 近所の高級住宅街の住人達という感じだ。

 ホーク達が一番若い。

 白いテーブルクロスの席に二人は座った。

 小さな花瓶に赤いバラが飾られていた。

「本当にこの店でいいの?」

「うん」

 パメラはフェイク・ファーを脱いでセーターだけになっている。

 胸元が深く開いている。

 ホークはダウンコートを脱ぐと、半そでのTシャツ一枚だ。

 メニューを見ているパメラが注文を決めるのを待った。

 なるべく長くかかるコースにしてくれるといいと思った。

「お薦めはシャンパン・ランチみたいだよ」

「うん、それにする」パメラがメニューを置くと、さっとウェイターがやってきた。

「ねえ、アランて、ずっと株の営業やるの?」

 ウェイターに注文し終わって、ホークは前を向いた。

「クビにならなければね」暖房の効いた店内で、冷えたペリエがおいしい。

「君はいつまでアシスタントやるの?」

「あたしもクビになるまでかな」と笑った。

「アシスタントなんて、どんどん若い子が出てくるし。給料安い方が売れるから」

 シャンパンのグラスが二人の前に置かれた。パメラが選んだロゼがピンク色に泡立った。

「ねえ、いつまで彼女と離れているつもり?」ホークはシャンパンのグラスに口をつけた。

「お互い仕事があるからさ……あっちは子供の学校もあるし」

「それって、なんか言いわけっぽい」

「別にそんな。一緒にいたいよ、本当は」

 ふうーん……。

「でも、人事のあの子とかと付き合ってるじゃない」

「付き合ってなんかいないよ」

「うそー。しょっちゅうランチ行ってるじゃない」

「時たまだよ」

「でもなんか、すごく仲良さそうで」

「君と僕だって仲いいよ」

「そうお?」

 ホークが頼んだマッシュルーム入りオムレツが来た。

「なにそれ、朝ごはんみたい」パメラが目を丸くする。

「食べてないんだ」ちょっと味見して、塩と胡椒をかけた。

 パメラはアーティチョークにホワイト・ソースのラザニアが乗った、パスタの一種らしきものを食べていた。

「お客さんとはどうなの?」

「え?」ホークは目を上げた。

「ほら、よく電話かかってくる変な人。蛇を飼ってる……」

 一瞬、あの合成写真を思い出しそうになって、店内の年配客たちに目を移した。

「あれは、単なるお客さんだよ」

「でもなんか、すっごくアランに馴れ馴れしくしてたじゃない。会社にまで訪ねて来たんでしょ? すっごい透け透けのドレス着て」

 ホークは皿に目を落とし、オムレツに集中した。

「とにかく、ただのお客さんだから」

 パメラのシャンパンが空になっていた。

 ホークがもう一杯勧めてウェイターを呼んだ。自分は要らないと言った。

「飲まないの?」

「きょうは君に御馳走する日だから」微笑んだ。

 パメラは二杯目も軽く空けたが全然顔に変化がない。……酒に強いようだ。

「でもあのくらいセクシーだと、男の人も誘いやすいわよね」

「なに?」ペリエを自分でグラスに注ぐ。

「アランのお客さんの人。会社のコンサートに来た時も、すっごい注目されてたもん」

 ホークは力なく微笑み、オムレツを三分の一ほど残した。

「どうしたの? まだ具合悪いの?」パメラが目を丸くした。

「いや、ちょっと味が薄いんだ」

 パメラの目がじいっと顔の隅々まで検分するように見た。

「アラン、何か悩みでもあるの?」

「……なんで?」

「だって、この間、なんかうなされていたから」

 倒れていた間――少しの間意識が飛んでいた。自分でも覚えていない。

「僕、何か言った?」
 
「よく聞き取れなかったけど……嫌だノーって、何度も言ってたみたい」

 ……思い出したくない。その前も後も。

「覚えてないな」かなり上等な笑顔を向けた。

「悪夢を見ていたんだ、きっと」

 そっか。ふっくらしたパメラの唇がデザートのイチゴムースをスルッと吸いこんだ。

「悩みなんて、アランに似合わないもんね」

 デザートがなくなる前に三杯目のシャンパンを頼んだ。

 それもパメラは軽く空けてしまった。

 ホークの皿でレモンシャーベットが溶け始めている。

 砂糖をまぶしたオレンピールを口に入れてほろ苦さを味わった。

 子供の頃はトライフルやジャムが好きだった。いつから食べなくなったのだろう。

 口をつけていないシャーベットをパメラの方へ寄せる。

 彼女のスプーンが掬おうとして、落とした。なぜかシャーベットは皿の上を逃げ回っている。

 ホークが自分のスプーンで掬ってパメラの口に入れてやった。

 彼女の舌がスプーンを舐めた。

「おいしい」

 見るとパメラの頬が少しピンク色になっていた。首から胸もほんのり染まっている。

 セーターの胸元から黒い下着が少し見えた。

 ……黒は――やばい、忘れた。

 コーヒーが来たのでホークはブラックのまま飲んだ。

 パメラは少しミルクを注している。

「ねえ、このあとどうする?」……来た。

 コーヒーから目を上げると、パメラのマスカラがぴたりと動きを止めてこっちを見ていた。

 周りのテーブルの客たちはまだ席を立つ気配がない。

 随分長いランチだ。急ぐ必要のない人達なのだろう。

「何かまだ食べる?」

「ううん。あたしはいい。アランは?」

「コーヒーのお代わりが欲しいな」

 パメラも付き合うと言ったので、ウェイターに二人分頼んだ。

 ピンク色に染まっていたパメラの頬がだんだん薄くなり、胸元も白く戻り始めていた。

 もう酔いがさめたのか。

「コーヒーよりシャンパンがよかった?」

「ううん。アランが飲まないからいい」

「じゃ、付き合うよ」

「ううん。ねえ、このあとどうする?」

 二杯目のコーヒーが素晴らしい速さで到着した。……もっとゆっくりでよかったのだが。

「どこへなりともお供しますよ、お嬢様」

 パメラがテーブルの上に身を乗り出した。

 胸がテーブルの上に……。

「アランの家に行って、続きを飲むの、どう?」ニーッと笑った。

 腕時計を見た。

「……今日は週末の掃除サービスが来ていて……」それは嘘じゃない。

「じゃ、あたしの家にする?」

 ちらっとエディに言われたことが頭をかすめた――上司と部下が特別な関係になるのは不適切だ。しかし……

 今の潜入捜査が終われば終わる関係だ。

 ここですげなく断ってしまったら、

 機嫌を悪くされたまま会社で顔を合わせることに……

 いや、どっちにしろ気まずいが……

 この際彼女の望み通りにした方が……。

 パメラはマスカラをぴんと立てて水色の目を丸くしている。

 だめだ。逃げられない。

「じゃ、そうしよう」

 
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