わけありのイケメン捜査官は英国名家の御曹司、潜入先のロンドンで絶縁していた家族が事件に

川喜多アンヌ

文字の大きさ
上 下
78 / 139

78 トレーラーに追突されるのに比べれば可愛いものだ

しおりを挟む
 メールボーイがいつもと同じように各デスクに封書を持ってきた。

 その中に、見なれないB5サイズくらいの白い封筒があった。

 アラン・キャンベル宛てに宛先がタイプされている。差出人の名前はない。

 LB証券のメール係りは、各階に配布する前に全ての封書や小包をスキャンし、爆発物や危険物のチェックをする。

 配られたということは、不審物ではないということだ。

 何か固い紙状の物が入っている。カードかもしれない。

 ホークはレター・オープナーで封を開けた。

 指で引き出したそれは最初模様に見えた。

 赤と白――

 それが血の赤で、白は人の肌だとわかった時、息が止まった。

 写真だった。血塗れの女の裸身。顔の半分はなかった。

 残っていた片目と血に塗れたプラチナブロンドで、マリー・ラクロワだとわかった。

 こめかみの辺りでサーッと泡立つような音がした。

 目の前にピンクと紫色の星がちらついた。

 視野が暗くなる……。

 まさか――

 慌てて封筒を引き出しに突っ込んだ。

 まだ完全にブラックアウトしていない視界を頼りに席を立つ。

 歩く床が見えない。

 目は開いているのに前が見えない。

 耳から聞こえる喧騒を頼りに、机や人にぶつからないように……。

 フロアのガラスドアを手探りで押し開けた。

 廊下の壁を手で伝いながら、なんとかトイレに辿り着いた。

 一番近い個室に入ると身体ごとドアを閉めた。

 ドアに寄りかかったまま、ずるずると膝が折れていく。

 目を開けていられなかった。

 息が苦しい。

 あのおせっかいなカウンセラーが言っていた通りだ。

 本当にフラッシュバックが起こった。

 マリーの姿に繋がって、一年近く前に潜入していた時の、残虐な光景が次々に網膜に映し出された。

 ネクタイを弛め、シャツの襟を開けた。

 息ができない――

 この先血の海を見るたびにこうなるのか……。

 くそっ、消えろ!

 心臓の鼓動がうるさい。

 自分が喘ぐのがうるさい。

 全力疾走しているみたいだ。

 ドアをノックする音がした。

「おい、大丈夫か」

 誰だろう。知っている声だ。

「助けを呼ぼうか」

 ゆっくりと目を開いてみた。

 個室の壁がちゃんとアイボリーの模造大理石に見える。

 仕切りとドアは焦げ茶色の木目。

 医者や救急車を呼ばれたりしたら困る。

 肩で息をしながら仕切りを頼りに立ち上がり、ドアを開けた。

 ルパートがいた。

 黒い縮れっ毛、赤い縁取りの眼鏡、丸く見開いた小さい水色の目……。

 その瞬間、ルパートが、正常な人間社会からつかわされた天使のように見えた。

 ホークはルパートの肩に両腕を伸ばし、ぐったりと倒れかかった。

「おおおおい、おまえのことは好きだよ。けど、これはちょっと……」

 うろたえたルパートが叫んでいるのも構わず、ホークは抱きついた。

 助けてくれ、僕を捕まえていてくれ、この発作に連れて行かせないでくれ――。

 ルパートが携帯でパメラを男子トイレに呼んだ。

 救急車は免れた。

 ルパートの肩を借りて、ホークは三階のファースト・エイド・ルームに連れて行かれた。

 ファースト・エイドは男女一緒だ。

 仕切りのカーテンを閉められる。

 奥のベッドでは搾乳中の女性社員がいるらしかった。

 ホークはピンク色のリネンと枕カバーのかかったベッドの一つに寝かされた。

 パメラがカーテンを閉め、しゃがんでホークが脱ぎ捨てた靴を揃えている。

「ありがとう」小さな声しか出せなかった。

 まだ完全に消えていない。

 おびただしい血の光景が現れるたびにホークは顔をしかめた。

「どこか痛いの?」

 違う、と首を振る。目を覆うように持って行った手をパメラの手が握った。

「すごく冷たい」

 パニック症状になると体温が下がるのか。

 全身に汗をかいているせいで、額も頬も手も冷たい。

 リハビリ中に説明された記憶はあるが、よく覚えていない。

 パメラの手が温かい。少し目を開けると、彼女が心配そうに見ていた。

 マスカラに縁取られた水色の目だ。

「どこか具合が悪いの?」

「なんでもない」首を振った。

「そんなわけないでしょ。いつも元気なのに」

 鼓動がやっと収まってきた。パメラの手が気持ちいい。

 離さないでくれ、と手を握り返した。

「健康診断も行ってないでしょ。人事から何度も催促されてるわよ」

 いらない、と首を振った。

 またパメラが何か言おうとするので、手を更に強く握った。

 目を閉じていても、彼女がじっと見ているのがわかる。

 パメラは小さなスツールに腰掛けたまま、ずっと手を握っていてくれた。


 
 あの写真を送ったのはロマネスクの連中に決まっている。

 小一時間経って落ち着いてきたので、パメラを帰した。

 汗を吸ったシャツを着替えてから二十階のフロアに戻った。

「大丈夫か?」皆が一様に心配そうに声を掛けて来た。

「ありがとう」と言いながらホークは席に着いた。

「ほい、電話」アダムが数枚の電話メモを寄こした。

 中にロマネスクのアンドレ・ブルラクの名前があった。

「キャンベルはいつ戻るかって訊かれたからさ、ちょっとわからないって言ったんだよ。

 そしたら、今すぐつなげってうるさくてさ、しょうがないから急病だって言っておいたぜ」

 ありがとう、と言ってホークはアンドレのメモを捨てた。

 自分が急病と聞いて、さぞロマネスクの連中はほくそ笑んでいることだろう。

 だが、トレーラーに追突されるのに比べれば可愛いものだ。

 写真をカルロのチームに調べてもらい、夜その結果が来た。

「かなり合成の部分が多いので、写っている人物の血液かどうか判明しない。

 殆どは着色だ。ただ、開いている目の様子が生きている人間の表情と違う。

 死亡しているか、または麻薬で意識不明の可能性がある」

 もしトマシュがマリーをお払い箱にしたとしても、あっさり殺したら金にならない。

 麻薬漬けにして売春組織に売り飛ばすかもしれない――カルロはそう言った。
しおりを挟む
感想 19

あなたにおすすめの小説

【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?

冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。 オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。 だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。 その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・ 「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」 「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」

【完結】家族にサヨナラ。皆様ゴキゲンヨウ。

くま
恋愛
「すまない、アデライトを愛してしまった」 「ソフィア、私の事許してくれるわよね?」 いきなり婚約破棄をする婚約者と、それが当たり前だと言い張る姉。そしてその事を家族は姉達を責めない。 「病弱なアデライトに譲ってあげなさい」と…… 私は昔から家族からは二番目扱いをされていた。いや、二番目どころでもなかった。私だって、兄や姉、妹達のように愛されたかった……だけど、いつも優先されるのは他のキョウダイばかり……我慢ばかりの毎日。 「マカロン家の長男であり次期当主のジェイコブをきちんと、敬い立てなさい」 「はい、お父様、お母様」 「長女のアデライトは体が弱いのですよ。ソフィア、貴女がきちんと長女の代わりに動くのですよ」 「……はい」 「妹のアメリーはまだ幼い。お前は我慢しなさい。下の子を面倒見るのは当然なのだから」 「はい、わかりました」 パーティー、私の誕生日、どれも私だけのなんてなかった。親はいつも私以外のキョウダイばかり、 兄も姉や妹ばかり構ってばかり。姉は病弱だからと言い私に八つ当たりするばかり。妹は我儘放題。 誰も私の言葉を聞いてくれない。 誰も私を見てくれない。 そして婚約者だったオスカー様もその一人だ。病弱な姉を守ってあげたいと婚約破棄してすぐに姉と婚約をした。家族は姉を祝福していた。私に一言も…慰めもせず。 ある日、熱にうなされ誰もお見舞いにきてくれなかった時、前世を思い出す。前世の私は家族と仲良くもしており、色々と明るい性格の持ち主さん。 「……なんか、馬鹿みたいだわ!」 もう、我慢もやめよう!家族の前で良い子になるのはもうやめる! ふるゆわ設定です。 ※家族という呪縛から解き放たれ自分自身を見つめ、好きな事を見つけだすソフィアを応援して下さい! ※ざまあ話とか読むのは好きだけど書くとなると難しいので…読者様が望むような結末に納得いかないかもしれません。🙇‍♀️でも頑張るます。それでもよければ、どうぞ! 追加文 番外編も現在進行中です。こちらはまた別な主人公です。

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました

氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。 ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。 小説家になろう様にも掲載中です

キャンプに行ったら異世界転移しましたが、最速で保護されました。

新条 カイ
恋愛
週末の休みを利用してキャンプ場に来た。一歩振り返ったら、周りの環境がガラッと変わって山の中に。車もキャンプ場の施設もないってなに!?クマ出現するし!?と、どうなることかと思いきや、最速でイケメンに保護されました、

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

処理中です...