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76 念のため訊くが、君が書いたんじゃないよな
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年明けは『売り』から始まった。
売り時銘柄について、主だった客に次々電話をした。
関心を持った客はすぐに乗ってきた。
マリー・ラクロワにも電話を掛けた。通じなかった。
現在使われていない、というメッセージが返ってきた。
メールも送ってみた。配信不能、というメッセージが来た。
電話もメールも通じない。
ロマネスクに電話して、さっき売りの約定を決めたばかりのアンドレに訊いた。
「マリーはマデイラの別荘にいる」
「引っ越したんですか? 住所変更届を出していただかないと」
LB証券からいろいろな残高証明書が送られるので、宛先不明では困るのだ。
間違って別人が開封したりすると、LB証券側が始末書を書かされたりする。
「送ってくれ。こっちで転送してやる」
「御本人のサインが必要です。本人確認の書類も添付していただかないと……」
「いいから、こっちへ送れ」
数日後、ロマネスクから封筒が返送されてきた。
ホークは開封せず、資金決済課の担当に社内便で送った。
数時間後、コンプライアンスの男性スタッフから電話がかかってきた。
「アラン、ちょっと来てくれ」
十七階の法務部とコンプライアンスのオフィスまで行く。
電話の男性と法務部の女性スタッフが並んで待っていた。
マリー・ラクロワの住所変更届を見せられた。
「これは本人のサインじゃない」
この法務部の女性スタッフは、業務部資金決済課を担当している。
あらゆる署名の照合に慣れている。
彼女ははっきりと、偽造だと言った。
従って、住所変更は受け付けられない。
「念のため訊くが、君が書いたんじゃないよな」
ホークは、はっと息を呑んだ。
「違うよ」二人が真剣な面持ちで見つめている。
「ちょっと待てよ。開封前に封筒ごと渡しただろう。
それはロマネスクから送られてきたんだ」
女性スタッフが、そうだと頷いた。
「悪いな。担当者を最初にクリアしなきゃならないんだ」男の方が笑みを浮かべた。
ようやく二人から解放された。
原本は彼らが保管すると言うので、コピーを持って二十階に戻った。
マリーは本当にマデイラにいるのか。
それとも、もう生きていないのか。
エディのオフィスの外に立った。エディが振り向いた。
「どうかしたのか」
「法務部とコンプライアンスから、これが偽造だと言われた」
エディが書類に目を落とし、また目を上げた。
「マリー・ラクロワがいなくなった」
「まさか」
ホークは口を噤んだ。
小雪が舞っていた。
サウス・ケンジントンのコーヒーショップに、調査会社のロバート・ダレルを呼び出した。
ダレルは少々くたびれた感じのするキャメルのコートに、縞柄のマフラーをぐるぐる巻きにして現れた。
お互いのオフィスはシティにあるが、敢えて会社から離れたところで話したかった。
「なんだい、頼みって?」ダレルは高い丸テーブルの上に、脱いだムートンの手袋を置いた。
コートとマフラーを傍らのコートかけに掛ける。
ホークは首にワイン・レッドのカシミヤのマフラーをゆるりとかけていた。
ブラックコーヒーが半分ほどなくなっている。
「人探しを頼みたいんだ。個人的に」
ダレルはいつもの鼠顔で、下からホークの顔を見上げた。
いつもの愛想笑いが半分で止まった。
「いやに深刻そうだな」
売り時銘柄について、主だった客に次々電話をした。
関心を持った客はすぐに乗ってきた。
マリー・ラクロワにも電話を掛けた。通じなかった。
現在使われていない、というメッセージが返ってきた。
メールも送ってみた。配信不能、というメッセージが来た。
電話もメールも通じない。
ロマネスクに電話して、さっき売りの約定を決めたばかりのアンドレに訊いた。
「マリーはマデイラの別荘にいる」
「引っ越したんですか? 住所変更届を出していただかないと」
LB証券からいろいろな残高証明書が送られるので、宛先不明では困るのだ。
間違って別人が開封したりすると、LB証券側が始末書を書かされたりする。
「送ってくれ。こっちで転送してやる」
「御本人のサインが必要です。本人確認の書類も添付していただかないと……」
「いいから、こっちへ送れ」
数日後、ロマネスクから封筒が返送されてきた。
ホークは開封せず、資金決済課の担当に社内便で送った。
数時間後、コンプライアンスの男性スタッフから電話がかかってきた。
「アラン、ちょっと来てくれ」
十七階の法務部とコンプライアンスのオフィスまで行く。
電話の男性と法務部の女性スタッフが並んで待っていた。
マリー・ラクロワの住所変更届を見せられた。
「これは本人のサインじゃない」
この法務部の女性スタッフは、業務部資金決済課を担当している。
あらゆる署名の照合に慣れている。
彼女ははっきりと、偽造だと言った。
従って、住所変更は受け付けられない。
「念のため訊くが、君が書いたんじゃないよな」
ホークは、はっと息を呑んだ。
「違うよ」二人が真剣な面持ちで見つめている。
「ちょっと待てよ。開封前に封筒ごと渡しただろう。
それはロマネスクから送られてきたんだ」
女性スタッフが、そうだと頷いた。
「悪いな。担当者を最初にクリアしなきゃならないんだ」男の方が笑みを浮かべた。
ようやく二人から解放された。
原本は彼らが保管すると言うので、コピーを持って二十階に戻った。
マリーは本当にマデイラにいるのか。
それとも、もう生きていないのか。
エディのオフィスの外に立った。エディが振り向いた。
「どうかしたのか」
「法務部とコンプライアンスから、これが偽造だと言われた」
エディが書類に目を落とし、また目を上げた。
「マリー・ラクロワがいなくなった」
「まさか」
ホークは口を噤んだ。
小雪が舞っていた。
サウス・ケンジントンのコーヒーショップに、調査会社のロバート・ダレルを呼び出した。
ダレルは少々くたびれた感じのするキャメルのコートに、縞柄のマフラーをぐるぐる巻きにして現れた。
お互いのオフィスはシティにあるが、敢えて会社から離れたところで話したかった。
「なんだい、頼みって?」ダレルは高い丸テーブルの上に、脱いだムートンの手袋を置いた。
コートとマフラーを傍らのコートかけに掛ける。
ホークは首にワイン・レッドのカシミヤのマフラーをゆるりとかけていた。
ブラックコーヒーが半分ほどなくなっている。
「人探しを頼みたいんだ。個人的に」
ダレルはいつもの鼠顔で、下からホークの顔を見上げた。
いつもの愛想笑いが半分で止まった。
「いやに深刻そうだな」
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