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75 身体はここにいるけど、魂はどっかに行っちゃってる感じ

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 クリスマスにワシントンに帰る許可をカルロからもらった。

 メイリードはすごく喜んだ。

「今度のお仕事は、お休みがあっていいわね」

 ……ワシントンは少し雪が積もった

 ……メリー・アンがバレエ教室のみんなより太っているのを気にしてダイエットしている

 ……フリーマーケットで素敵なサラダボウルを買ったから、ちょうどパーティーで使える

 ……ケーキに飾るドライフルーツを買いに行かなきゃ

 ……ツリーが大きすぎて、天辺が天井についちゃった……

「帰ったら、切ってやるよ」ホークはいつしか微笑んでいた。

 メリー・アンのためにコヴェント・ガーデンまで行った。

 ロイヤル・バレエのショップで舞台の写真集とロゴ入りTシャツを買ってきた。

 そう言えばあの子、ピアノはどうしたのだろう。いつの間にバレエになったんだ?

 メイリードにはエナメルで彩色した美しいイヤーボックスを買った。

 メッセージと名前も入れてもらった。



 クリスマスの日、メイリードが友人を数名招待した。

 それぞれ子供同士も友達らしい。

 メイリードとメリー・アンが焼いたフルーツケーキが、朝から家中にこおばしい香りを漂わせている。

 子供たちがプレゼント交換をして盛り上がっていた。

 トニーの秘書のフィオナも来ていた。

 アフリカ系のフィオナは、大きなリボンがアクセントのフューシャピンクのドレスを着ている。

 フィオナは独身だ。両親の家に帰る前に立ち寄ったのだった。

 トニーは妻のナタリーと、どちらかの両親の家に行ったらしい。

「まだ離婚してないんだな」ホークがトニーのことを言った。

「あの二人はラブラブよ」 

 ホントに? ホークはエプロンをかけてロースト・チキンを皿に切り分けた。

 温めたソースをそれぞれの皿のチキンの上にかけていく。

 フィオナは手に持ったホット・ワインをシナモンスティックでかき混ぜる。

「たまにはトニーに連絡してあげなさいよ。寂しがっているから」

「あり得ない」鍋に残ったソースを味見した。ちょっと甘かったかもしれない。

「あの人さ、仕事以外の予定、ちゃんと把握している?」

「いないわね」フィオナはにべもない口調で言った。

「この間も歯医者に行こうとしたから、先週行ってもう完治してるっておしえてあげた」

「アハハハ……やっぱり」

「でもあなたに関することは絶対忘れないわね」

「僕は仕事の一部だよ」

「仕事以上よ」フィオナの黒い大きな目は、白目とのコントラストがくっきりしている。

「ある種の責任感みたいな感じ」

「どうせ問題児だし」

「問題児でも弟みたいに可愛いのよ」

「僕の兄さんはもっと優しかった」

「あら、あなたたちは偶然ね。トニーは弟さんを亡くしていて、あなたはお兄さんを亡くしているんだわ」

「えっ、トニーに弟?」

「知らないの?」フィオナの褐色の手はふくよかで丸い。ホットワインのカップをすっぽり包んでいる。

「小さい頃に亡くしているのよ」

 向こうの居間ではケーキを食べながら、メイリードが来客たちとおしゃべりしている。

 ホークの足元に男女の子供がまとわりついてきた。

 テーブルの下でかくれんぼしているらしい。

 あぶないよ、と上から注意した。

「何かあったの?」フィオナが囁くように言った。

 びっくりして、何も、とホークは首を振った。

「身体はここにいるけど、魂はどっかに行っちゃってる感じ」

 ホークは口元に笑みを浮かべようとした。

 フィオナの顔が、全然駄目、と言っていた。

「メイリードの前で、そんな顔は駄目よ」

 茹でた人参とブロッコリー、じゃがいものローストをそれぞれの皿に盛った。

 フィオナはマグカップを持ってシンクの方へ行った。

「あ、そこに置いておいて」メイリードがカップを洗おうとするフィオナに言った。

 ホークの隣に立つと、指で優しくホークの頬を撫でる。

「ねえ、下からワインを持ってきて」

 地下に狭い貯蔵室があるが、一度家の外に出なければならない。

 ホークは鍵を持ってキッチンのドアから外に出た。雪が降っている。

 明かりを点けて階段を降りた。寒い。ワインはどこだ。

 そう言えば、どのワインか訊くのを忘れた。

 と思った時、後ろからフワッとダウンコートがかぶさってきた。

「ほらまた、コートを忘れてる」

 お揃いのワインレッドのダウンコートだ。

 フードをかぶったメイリードが立っていた。

「ありがとう」

「あのね、これを見せたいの」

 メイリードは重なった木箱の一つの蓋を開けて、中から一本のワインボトルを出した。

「私からのクリスマスプレゼント」

 天井に一つしかない小さな明かりの下で、古そうなワインのラベルを見た。

「私たちが出会った年」

 一九九六年。

「すごい……買ったの?」

 うふっとメイリードは笑った。

「そんな高い物じゃないの。でも、この年号が気に入って」

「もったいなくて飲めないな」

「そんなことない。二人で飲むの」指でラベルをなぞった。

「でも、おいしくなかったら、ごめんね」

 ホークはメイリードを抱きしめた。

「ありがとう」

「初めて会った時からあなたが大好きだったの」

「僕もだ」

「辛いことがあったのね」

 ホークが何か言いかけると、人差指でホークの唇を塞いだ。

「話さなくてもわかるわ」

 服を着替えるように「ホーク」を脱ぎ捨てられれば――。

 家に帰る時はデイヴィッド・コリンズになるはずなのに。

 貧相な明かりの下でもメイリードの顔は輝いて見えた。

 何もかも見通しているような目が見つめている。

「昔から、あなたはいつも一人で泣いていた」

「泣いてなんか……」

 メイリードがコートの内側からホークを抱きしめた。

 胸に彼女の頬がぴったりついて、髪からローズの香りが立ち上った。

「いっそ、このまま戻るの止めちゃったら?」

「それは名案だ」

 じんわりと温かくなってくる。

 天井上を通る配水管がゴーッと音を立てた。

「あ、誰かトイレに入った」

 バタン、と扉の閉まる音が響く。上はバスルームなのだ。

 メイリードと顔を合わせて笑った。
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