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71 気にしないで。あたしはアランの味方よ

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 マリーからの電話がないまま午後のマーケットが終わった。

 こちらからかけようか迷っていると、エディに呼ばれた。

 オフィスまで行くとドアを閉めろと言われた。
  
 エディの前の椅子に座った。

「休みの間に色々報告が来ていてな……」エディは先週休暇だった。

「どこか行ったのか?」

 エディは手に持ったファイルから目を上げた。

「ああ、スウェーデンに」

「珍しいじゃないか、家に帰るなんて」

「家じゃない。友人の家だ」

 ホークはエディの手元を覗きこんだ。

「なんだい、それ?」

 エディは「見るな」とばかりにファイルを引っ込めた。

「おまえに関する報告が色々来ているから、話すことにした」

「なにそれ?」

「まず、コンプライアンスからだ。最近、特定のクライアントと、プライベートの話をしているそうだな」

 ホークの眉が険しくなった。

「だから、なんだ」

「あの電話は、そういう話をする電話じゃない」

「あっちから言ってくるんで、断れないんだよ。私用で使った分を払えとか言うのか?」

「そういう時は、客を教育しろ」

「出来るわけないだろう、マリー・ラクロワだぜ」

 エディは肩をすくめる。

「おまえ、その客と付き合ってるのか?」

「なんでそんなこと、訊かれなきゃいけないんだ」

「答えたくないのか」

「付き合ってないよ」ホークは横を向いた。

「不愉快だな……」

「おまえが不愉快に思っても、かまわない。仕事で訊いているんだ」エディはファイルを開いて紙の余白に何か書いている。

「まだあるぞ」

「まだ?」

「最近、外出が多いようだな。あちこちから苦情が来ている」

「客には全員、謝ったよ」

「客だけじゃない」

「わかってる。社内にも追々謝るよ」

 エディは大きく息をついた。

「どこで何をしているのか、誰に会っているのか、どこにも報告していないそうだな」

「ちゃんと報告してるよ」

「でも予定を大幅に超過していることまでは、報告していないだろう」

「……」無言でエディを睨み返した。

「就業時間中に無断で職場を離れるのは、就業規則違反だ。わかってるよな?」ホークは頷いた。

「じゃ、クビ?」

 エディがふと笑った。

「これ以上やったら、そうなるかもな」

「……わかった」ホークは目を伏せた。

「もういいか?」

「まだだ」エディがファイルのページをめくった。

「うちで扱っている商品以外を客に薦めるな」

 ……今朝の話じゃないか。

「薦めてないよ」

「すれすれだと言われたぞ」

「雑談しただけだ」

「とにかく、疑わしいことはもうやるな」

 ため息をついた。

「もういい?」

「もう一つある」顔を歪めてエディを見た。

「まだ?」

「ああ。外の女性関係はともかく、社内は感心しないな」

「何のことだよ」

「特に、上司と部下は駄目だ。不適切な関係だと判明した時点で、会社にいられなくなるぞ」

 ひょっとして、パメラのことか?

「待てよ。おれの部下の女性との関係が不適切って、どう言う意味だ」

「特定の女性社員にばかり仕事を頼むようだが」

「いい加減にしろよ。パメラのことを言ってるんなら、おれには彼女が必要だ。パメラがいてくれなかったら、どうにもならない」

「だが、彼女は株式営業部全員のアシスタントだ。他の営業から、おまえの仕事ばかりやっていると苦情が来ている」

「はっ! おれにどうしろって言うんだよ」

「彼女に他の営業員の仕事もするように、言えよ」

「あんたが言えばいいだろ」ホークは椅子の背に腕を回して横を向いた。

 エディがにやにや笑っている。

「おまえが上司だろう。おまえが言うんだ」ホークが横目で睨む。

「婚約しているのに、よくそんなに手を広げるな」

「よけいな御世話だ」

「別に、個人的におまえに文句があるわけじゃない。ルールだから言ってるんだ」

「コンプライアンスの連中に、おれの電話ばかり聞くなと言ってくれ」ホークは椅子から立ち上がった。

「みんなの電話を聞いてるさ」エディはファイルをパタンと閉じた。

 どいつもこいつも上司とかいう奴は――。

 不機嫌な顔で席に戻りながら、ホークはカルロやトニーなどの顔を思い浮かべた。

「アラン」

 ふわりとした静電気が近付いてきた。

 振り向くと、クリーム色のモヘアの膨らみがあった。

 パメラ。そう言えば、自分も彼女の上司とかいうものだった。

「叱られちゃったの?」マスカラびっしりの丸い目がくりくりと動いた。

「ちょっとね」ホークは顔を顰めた。

「この辺りにチクッた奴がいるらしい」

 パメラも鼻のあたりを顰めた。

「アダムよ、きっと。あいつ、結構そういうことやるんだから。

 自分の成績が悪いもんだから、人を蹴落とすしかないのよね」

 確かに自分はアダムに迷惑をかけたが……。

「気にしないで。あたしはアランの味方よ」

「あのさ」ホークはパメラの方に椅子を向けた。

「他の奴から頼まれた仕事、断ったりしてるの?」

 パメラはちょっと口を尖らせた。

「だって、アランのがいつも最優先だもの」

 パメラは顔の近くのカールした金髪を、一房指先にくるくる巻きつけた。

「この列の稼ぎ頭だし。金額が大きいし。うるさい客だし。

 ミスったら、すっごい大変だもの、他の子にまかせられないのよ」

 そのとおりだ。パメラがいなかったら、自分はどうにもならない。

 ふと、彼女の前任のジェニファーとロニーもそうだったのだろう、と思った。

 そして、婚約し……。

「他の人は、もう一人の子がやってるし。だいたい取引量がアランと違うんだから」

 そうだね、と言った時、クライアント・ラインが鳴りだした。

 パメラが「電話」と指さす。

「お電話ありがとうございます、LB証券欧州株式営業、アラン・キャンベルです」

「キャンベルさん……」マリーだった。

「すぐ、かけ直します」ホークは席を立った。

 会議室がどれもふさがっていた。

 廊下のドアを開けて、荷物搬入用エレベーターのある踊り場に出る。

 よく社員が携帯片手に私用電話をしている場所だ。

 しかし、既に先約がいた。

 若い営業員がホークの姿を見て、こそこそと背を向ける。

 ヘッドハンターと転職の話でもしている最中だったのだろう。

 ホークは廊下に戻り、エレベーターで地下に降りた。

 駐車場の自分の車に乗った。

「はい、ラクロワでございます」電話に出たのはマリーではない女だった。

 家政婦と思われる、中年の女の声。……まずい。

「すみません、LB証券のアラン・キャンベルです。ラクロワさんは、いらっしゃいますか?」

 しばらくして電話口にマリーが出た。

「マリー・ラクロワです」いつもの声ではない、よそ行きのような声だった。

「キャンベルです、すみません、電話をかける場所がなくて……」

「いいえ、そのお話は、お断りしたはずよ」

「は?」

「御苦労さま」マリーが電話を切った。

 まずい。

 だが、マリーの携帯にかければ記録が残る。

 またかかってくるのを待つしかない。
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