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70 なんか、いつもと違う感じしますけど
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その商品は東ヨーロッパのある小国が、国家の命運をかけた開発事業に投資する債券だった。
もともとロシアの圧力が強い地方の小国である。
現政権はロシアの影響を嫌ってEUに加盟しようとしている。
いくつかの銀行と提携し、収益の予測モデルをつくり、一応事業としての体裁を整えてはいた。
しかしそれは、あくまでもEUに加盟できればの話だった。
親EUの現政権が何かの拍子に倒れれば――
そしてそのあとに、逆戻りの親ロシアの政権でも立ち上がれば全てご破算となる。
つまり投資適格とはとても言えない。
各付けなど付けられないくらいの、博打のような債券だった。
株が専門のアラン・キャンベルが、債券の話をするのは不思議かもしれない。
そう思ったが、その日いつもの指値注文の電話がアンドレから入った時、
「そういえば」と切り出してみた。
「そんな話聞いたことがないな。ジャンク・ボンドじゃないのか」アンドレが言った。
「ジャンクになるとは限らないですよ」利回りの高さを強調した。
「そんなもの長期保有するほど気が長くないね」
「EUに加盟した時点で利率は下がります。債券価格が上昇しますから、その時売り抜ければいいんじゃないですか」
「そんなにいい商品なら、なんでおまえのところで扱わないんだ」
ホークは苦笑した。
「うちの審査は厳しくて」
三流銀行との取引は気が進まない、とアンドレは言った。
「そうですよね。いえ別に、聞いた話なので、ついでにお話ししただけです」
別にアンドレが買おうと買うまいと、どうでもよかった。
ただ、ロマネスクが買わなくても、アンドレが他の奴らに話すかもしれない。
その日はハルとランチに行った。
アダムは休暇中だったが、ハルのルームメイトのベッカを紹介してもらう件を話そうと思った。
「クリスマスはどうするの?」
グレシャム・ストリートを歩いた。
寒いので、ハルは茶色のフード付きダウンコートを着ている。痩せているからコートがかなり大きく見える。
「新年まで東京に帰ります。キャンベルさんは?」
「アメリカに帰る」
ハルが笑った。
「変ですね。アメリカに『帰る』んですか、イギリス人なのに?」
「ほんとだ。変だな」いつの間にかそうなってしまった。
クリスマス前で休暇中の人たちが多いからか、いつも行列しているレストランにすぐ入れた。
ウェイターに案内された席で、ハルがダウンを脱ぐのに手を貸した。
今のところマリーから電話はなかった。
それがいいことなのか悪いことなのか……。
「キャンベルさん?」ハルの声に前を向いた。
「どうかしたんですか?」
「ごめん」ウェイターが注文を待って立っていた。
ホークは魚料理を頼んだ。
「なんか、いつもと違う感じしますけど」ハルがスープのカップを両手で持って口につけた。
「シリアスというか」
「いつもシリアスじゃないか」
「またまた……。どうせ私じゃ相談に乗れませんけどね」
「いや、乗れる」ホークは水のグラスに手をのばした。
「アダムのことなんだ」
「グリーンバーグさん?」ホークは頷いた。
「あいつ、ガールフレンドがいなくてさ」
ハルはカップを口につけたまま、こっちを見ている。
「メス猫しか友達がいなくてさ。ま、これは可愛い猫なんだけど」
ハルが瞬きした。
「君のルームメイトって、ボーイフレンドいる?」
「ベッカのことですか?」ハルはカップを置いた。
「さあ、ボーイフレンドについてはちょっと……」
「友達なのに、訊かないの?」
「聞いたことないですね」
ホークの料理が来た。
「レモンかけます?」とウェイターが訊いた。イエスと微笑すると、彼がレモンを絞ってかけてくれた。
「サービスいいですね」ハルがウェイターの後ろ姿を見送った。
「で、ベッカってどんな子? 可愛い? 美人? 背の高さとか、スリーサイズとか、知ってる?」
「知りません」ハルは眉を怒らせた。ホークはにやっと笑った。
「髪の色とか目の色とかは? 確か、ルーマニア人だよね」
ハルは仏頂面になった。
「なんなんですか、もう」
「まあまあ。楽しいじゃないか、こういうの」
全然、とハルは切ったハンバーグにフォークを突き刺した。
「僕は君がいいと思うんだけど、それもちょっと、失礼だろ」
「さっきから、ずっと失礼ですけど」
ホークは最上級の笑顔をハルに向けた。
「駄目ですよ、そんな顔したって」
「美人なんだろ、ベッカって」
ハルは膨れたまま言った。
「はい、とても。髪は金髪で、キャンベルさんみたいな色です。ストレートのロングヘアです。目はヘーゼル。
私なんかより背が高くて、ちょっと太目で胸はEカップです」
わお! とホークは驚いて見せた。
「いいねえ、あいつの好みだ」
「でも、ベッカはもういないんです」
「え?」ホークの魚のナイフが止まった。
「いない?」ハルが頷く。
「出てっちゃいました」
「国に帰ったの?」いいえ、と首を振る。
「じゃ、仕事が見つかったの?」こくん、と頷いた。
「なーんだ、じゃあ、国内にいるんだろ。ロンドン? 連絡つかないの?」
「どこにいるのか知りません。なんか、すっごいお金持ちに気に入られたみたいで」
「なんだよ、それ。仕事に就いたんだろう?」
そうだと思うんですけど……。どこにいるのか電話もないし、わからないと言う。
ハルは一人になってしまったので、引っ越そうと思っていると言った。
あー。惜しかったな、Eカップ。
「別に僕の趣味じゃないからね」
「男の人って、そういうことばっかり」
二人分のランチをホークが払おうとした。
「自分で払えます」
ハルがいつもの黒いバッグから財布を取り出した。
グリーンの型押し革で、中に色々入れ過ぎているせいか形が歪み、角が擦り切れている。
「いいから」とホークがその手を押さえた。
もともとロシアの圧力が強い地方の小国である。
現政権はロシアの影響を嫌ってEUに加盟しようとしている。
いくつかの銀行と提携し、収益の予測モデルをつくり、一応事業としての体裁を整えてはいた。
しかしそれは、あくまでもEUに加盟できればの話だった。
親EUの現政権が何かの拍子に倒れれば――
そしてそのあとに、逆戻りの親ロシアの政権でも立ち上がれば全てご破算となる。
つまり投資適格とはとても言えない。
各付けなど付けられないくらいの、博打のような債券だった。
株が専門のアラン・キャンベルが、債券の話をするのは不思議かもしれない。
そう思ったが、その日いつもの指値注文の電話がアンドレから入った時、
「そういえば」と切り出してみた。
「そんな話聞いたことがないな。ジャンク・ボンドじゃないのか」アンドレが言った。
「ジャンクになるとは限らないですよ」利回りの高さを強調した。
「そんなもの長期保有するほど気が長くないね」
「EUに加盟した時点で利率は下がります。債券価格が上昇しますから、その時売り抜ければいいんじゃないですか」
「そんなにいい商品なら、なんでおまえのところで扱わないんだ」
ホークは苦笑した。
「うちの審査は厳しくて」
三流銀行との取引は気が進まない、とアンドレは言った。
「そうですよね。いえ別に、聞いた話なので、ついでにお話ししただけです」
別にアンドレが買おうと買うまいと、どうでもよかった。
ただ、ロマネスクが買わなくても、アンドレが他の奴らに話すかもしれない。
その日はハルとランチに行った。
アダムは休暇中だったが、ハルのルームメイトのベッカを紹介してもらう件を話そうと思った。
「クリスマスはどうするの?」
グレシャム・ストリートを歩いた。
寒いので、ハルは茶色のフード付きダウンコートを着ている。痩せているからコートがかなり大きく見える。
「新年まで東京に帰ります。キャンベルさんは?」
「アメリカに帰る」
ハルが笑った。
「変ですね。アメリカに『帰る』んですか、イギリス人なのに?」
「ほんとだ。変だな」いつの間にかそうなってしまった。
クリスマス前で休暇中の人たちが多いからか、いつも行列しているレストランにすぐ入れた。
ウェイターに案内された席で、ハルがダウンを脱ぐのに手を貸した。
今のところマリーから電話はなかった。
それがいいことなのか悪いことなのか……。
「キャンベルさん?」ハルの声に前を向いた。
「どうかしたんですか?」
「ごめん」ウェイターが注文を待って立っていた。
ホークは魚料理を頼んだ。
「なんか、いつもと違う感じしますけど」ハルがスープのカップを両手で持って口につけた。
「シリアスというか」
「いつもシリアスじゃないか」
「またまた……。どうせ私じゃ相談に乗れませんけどね」
「いや、乗れる」ホークは水のグラスに手をのばした。
「アダムのことなんだ」
「グリーンバーグさん?」ホークは頷いた。
「あいつ、ガールフレンドがいなくてさ」
ハルはカップを口につけたまま、こっちを見ている。
「メス猫しか友達がいなくてさ。ま、これは可愛い猫なんだけど」
ハルが瞬きした。
「君のルームメイトって、ボーイフレンドいる?」
「ベッカのことですか?」ハルはカップを置いた。
「さあ、ボーイフレンドについてはちょっと……」
「友達なのに、訊かないの?」
「聞いたことないですね」
ホークの料理が来た。
「レモンかけます?」とウェイターが訊いた。イエスと微笑すると、彼がレモンを絞ってかけてくれた。
「サービスいいですね」ハルがウェイターの後ろ姿を見送った。
「で、ベッカってどんな子? 可愛い? 美人? 背の高さとか、スリーサイズとか、知ってる?」
「知りません」ハルは眉を怒らせた。ホークはにやっと笑った。
「髪の色とか目の色とかは? 確か、ルーマニア人だよね」
ハルは仏頂面になった。
「なんなんですか、もう」
「まあまあ。楽しいじゃないか、こういうの」
全然、とハルは切ったハンバーグにフォークを突き刺した。
「僕は君がいいと思うんだけど、それもちょっと、失礼だろ」
「さっきから、ずっと失礼ですけど」
ホークは最上級の笑顔をハルに向けた。
「駄目ですよ、そんな顔したって」
「美人なんだろ、ベッカって」
ハルは膨れたまま言った。
「はい、とても。髪は金髪で、キャンベルさんみたいな色です。ストレートのロングヘアです。目はヘーゼル。
私なんかより背が高くて、ちょっと太目で胸はEカップです」
わお! とホークは驚いて見せた。
「いいねえ、あいつの好みだ」
「でも、ベッカはもういないんです」
「え?」ホークの魚のナイフが止まった。
「いない?」ハルが頷く。
「出てっちゃいました」
「国に帰ったの?」いいえ、と首を振る。
「じゃ、仕事が見つかったの?」こくん、と頷いた。
「なーんだ、じゃあ、国内にいるんだろ。ロンドン? 連絡つかないの?」
「どこにいるのか知りません。なんか、すっごいお金持ちに気に入られたみたいで」
「なんだよ、それ。仕事に就いたんだろう?」
そうだと思うんですけど……。どこにいるのか電話もないし、わからないと言う。
ハルは一人になってしまったので、引っ越そうと思っていると言った。
あー。惜しかったな、Eカップ。
「別に僕の趣味じゃないからね」
「男の人って、そういうことばっかり」
二人分のランチをホークが払おうとした。
「自分で払えます」
ハルがいつもの黒いバッグから財布を取り出した。
グリーンの型押し革で、中に色々入れ過ぎているせいか形が歪み、角が擦り切れている。
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