(続編連載開始しました)わけありのイケメン捜査官は英国名家の御曹司、潜入先のロンドンで絶縁していた家族が事件に

川喜多アンヌ

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66 仲間内で秘密を守るのは、至難の業

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 翌朝、まだ眠っていたいと抗議する身体を無理やり起こし、普通通りに出勤した。

 アダムも来ていたが、眠そうに欠伸を連発している。

 側に寄ると酒臭いので皆に避けられている。

 朝から五杯目のコーヒーを飲みながら、アダムがホークの方を向いた。

「おまえ、ゆうべうちに来たか?」

「送って行ったの忘れたのか」ホークは横目でアダムを見た。

「そうだったんだ……なんか、おまえが部屋にいたような気がしてさ。わりい、わりい」

 アダムは身を乗り出して、ホークの顔を覗きこんだ。

「どうしたんだ、その顔?」

 ホークの右の頬には青痣ができかけている。

「おまえを担いでいて、転んでぶつけたんだよ。それも覚えてないのか」

 覚えてねえなあ……とアダムは頭をぼりぼり掻いた。

「じゃあ、これは?」ホークは手を見せた。

「おまえんちの猫」

 アダムは目を丸くした。

「おまえ、カーチャにちょっかい出したのか?」

「あっちが近寄って来たんだよ」

「あいつ人見知りなんだけどな……」

 四人の死体は誰にも発見されない。

 人知れず蒸発したように消え失せてしまう。

 しかしあのクリニックの獣医だけは、そうはいかない。

 トレーディング・フロアのあちこちにぶら下がっているスクリーンにBBCニュースが映った。

『ロンドンのウォーターフロント・エリアで冷酷な強盗殺人事件』という報道が流れた。

 ヘッドホンで音声を聞き、画面を凝視した。アダムも同じことをしている。

 獣医は、昨夜クリニックの診療時間が終わった直後、帰宅しようとしたところを襲われた。

 室内がひどく荒らされており、獣医の直接の死因は銃撃によるものだが、全身にひどく傷を負っていることから、かなりの暴行を受けた模様……。

 それは暴行と言うより拷問だ。ホークはカルロにメールした。

 ――ニュースに出たぞ。

 ――獣医は七発撃たれていた。両膝、両足の甲、両手の甲、最後に後頭部。

 ――あのアイルランド人は何者だ?

 ――まだわからん。

「おい、アラン!」アダムの声に顔を上げた。

「見たか、今のニュース?」

「……いや、メールしてたから、あまり」

「信じられねえよ……。あれ、あの先生じゃねえか」

「……あの先生?」

「獣医の先生だよ、おまえと一緒に蛇を診せに行ったじゃないか」

 ええっ? とホークは驚いて見せた。強盗? 殺された? そんな……。

「おれたちが飲んでる頃に……」

 アダムは茫然と画面を見ていた。

 既に次のニュースに移っていたが、画面の方を向いたまま固まっている。

「……物騒なんだな」言いながら、横目でアダムを見ていた。

 ショックを受けて当然だ。

 なんで知り合いの獣医がそんな目に遭うのか、全く知らないのだ。

 あの四人の死体がなければ、獣医の件は一つの殺人事件として捜査される。

 しかし、連中はそうでないことを知っている。

 なぜ獣医を殺した二人と、もう二人の殺し屋が消えてしまったのだ? 

 ロマネスクとアイリッシュ・マフィアはその点を絶対おかしいと思っている。
 
 当然四人はもう生きていないと思っている。

 四人を消したのは誰か、と考えている。

 誰だと思うだろう。

 アラン・キャンベルか、アダム・グリーンバーグか。

 または、そのどちらでもない誰かか。

 誰にせよ、そいつがあの二千万ドルを横取りした奴なのだ。

「アダム、昼は?」ホークは立ち上がった。

 いやー、とアダムは首を振った。

「食欲、出ねえよ……」

 ホークがエレベーターホールに出ると、ルパートとライアンがいた。

 一緒にランチに行くことになった。

「アダムは?」とライアンが訊いた。

 さっきニュースで、知り合いの獣医が強盗に殺されたと聞いてショックなのだ、と話した。

 ほんとかよ……ひでえな……。

 そうは言っても報道される殺人事件というものは、知り合いが巻きこまれでもしない限り、他人事だ。

 獣医の件はうまい具合に世間から忘却されていくことだろう。

 しかし、報道されていない殺しの件は、そうはいかない。

 自分の考えごとについ集中していて、ルパートに二度呼ばれるまで気づかなかった。

「あ、ごめん、何?」

 三人は、簡単にランチを済ませようと、ハンバーガーとコーヒーを手に、三階のカフェテリアのテーブル席に座っていた。

「おまえ、さっきからどうしたんだ?」

「何でもない、で?」

 ルパートは、まじまじとホークを見て言った。

「最近、東京に電話しただろう?」

 ……した。ホークは頷いた。

「ロマネスクの件で」

「タックがおれに、電話してきてさ」タックとは、東京支店の営業、タック・ヤマグチのことだ。

「おまえが変なプライスで売れと言ってきたから、無理だって言ったのに、それがその日のうちに売れたって」

「……ああ」

 ライアンもホークの顔を見つめている。

 ルパートは声を潜めた。

「ロマネスクって、ひょっとして、やばいことやってんじゃねえの?」

 やめろよ、とライアンが言った。ルパートは更に声を小さくした。

「で、買った奴を調べろって、おまえ頼んだんだって?」

 ホークはハンバーガーを口に持って行きかけて、手を止めた。

 この連中、仲間には何でもかんでも喋る。

 仲間内で秘密を守るのは、至難の業ってわけだ。

「買った奴を訊いちゃいけないのか」

「そんなことはねえよ」ルパートは笑った。

「たださ、何か臭い匂いがするから、調べてんのかと思ってさ」

 なんでそんな……。ホークは目を逸らして笑った。

「どんな奴が買うのか知りたかっただけだ。後学のために」

 ふむふむ、とライアンが頷いた。

「どこで客になるか、わかんないもんな」

 アダムにスモークチキン・サンドとフレンチフライを買って席に戻ると、

「オー、サンキュー」と言いながら、電話メモを差し出した。

 マリー・ラクロワ。PCBプリーズ・コール・バック

 携帯からかけた方がいいと思い、ホークは席を立った。

 トレーディング・フロアを出て、空いている会議室に入りドアを閉めた。

「こんにちは、ラクロワさん、アラン・キャンベルです。すみません、今戻りました」

「……助けて」いつもと違っていた。声が小さく、擦れている。

「どうかしましたか?」

「リリーが……」

 また餌を吐いたのだろうか。

「どうしたんです?」

「トマシュが、リリーを殺したの」

「えっ?」いつもと違う理由がわかった。マリーは泣いていたのだ。

「いったい、何があったんです……」

「トマシュが、役立たず! って言って、リリーの、頭を、踏みつぶしたの……」

 会議室のセンサーが作動して、空調が動き出した。妙に大きな音に聞こえた。

 マリーの嗚咽が聞こえて来た。

「ラクロワさん、今一人ですか?」

「……ええ」

「トマシュは?」

「どこかに行っちゃったわ。どこだか知らないけど」

「僕にどうしてほしいですか」

「……助けて」

「どうすれば、助けられるんです?」

「トマシュが、『おまえもこうなりたくないだろう?』って言ったの。『それとも売春でもするか?』って」

 会議室の壁はガラスなので、廊下から中が見える。

 廊下の先に人影が見えたので、壁のコントロール・パネルに手を伸ばし、ブラインドを降ろした。

「……ひどいですね。でもきっと、何かに怒っていて、勢いで言ってしまったとかでは……」

「あの人がそういうことを言う時は、大抵そうなるのよ」

 ブラインドの向こうを、数人が話しながら通り過ぎた。

 窓際に歩いて行き、見るともなしに、窓の外に顔を向けた。

「あたし、トマシュに棄てられる。そしたら、行くところがないわ」

 窓ガラスの向こうの雲の果てに、ヘリコプターが、赤いランプを点滅させながら飛んでいく。

 見ていると、テムズの向こう側の、どこかの建物の上空でホバリングし始めた。

「じゃあ、棄てられる前に、棄ててやりましょう」

「……どういうこと?」

「あなたは若いんですよ、ラクロワさん。まだいくらでもやり直せます」

「よく……わからないわ。どうすればいいの?」

「色々用意することがあります。明日、一人で外出する予定はありますか?」明日は土曜日だった。

「明日は……エステの予約があるわ」

「それをキャンセルして、僕と会えますか?」

 はっと息を飲むのが聞こえた。

「……いいわ」

「ラクロワさん」ホークは、営業の時とは違う優しい声音で言った。

「いつもと同じように振舞って下さい。絶対にトマシュに悟られないように」

「でもあたし、あの人が怖くて……」

「怖がっているのは自然ですから、怖がってください。明日出かける時は、いつもエステに行く時のように出てきて下さい」

「……わかったわ」

 マリーと待ち合せの場所を決めて、席に戻った。

 アダムが暇そうにA4の紙にレシートを貼り付けていた。

 経費の精算をやっているらしい。

「アダム、今週末の予定は?」

 アダムはスティック糊を塗ったレシートを、上からべたっと叩いた。

「妹の赤ん坊を見に、実家に帰る」

「へえ、妹がいるんだ」

「ああ。なんで?」

「いや、あまり飲むなよ」

「なんだよ、おまえに心配されるのか、おれは」

 アダムの実家は、カンタベリー方面の小さな町だ。

「ひょっとして、来週休みだっけ?」

「ああ、イーサンが戻るからな」じゃあ、ずっと誰かと一緒だろう。その方がいい。

「カーチャも連れて行くのか」

「ああ。一週間もほったらかしにできないからな」アダムは顔を顰めた。

「もったいねえよな」

「何が?」

「ポイントだよ。一年間貯めてたのに、パーだぜ。先生が殺されちまったからなあ……」

「……」開いた口がふさがらなかった。
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