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41 ふと、誰かに見られているような気がした

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 ジェニファーと別れて再び公園の中に戻り、カルロに連絡しようと携帯を取り出した。

 そのときふと、誰かに見られているような気がした。

 立ち止まったホークの脇をローラーブレードの少年たちが通り過ぎた。

 前から老夫婦らしいカップルがやってくる。

 斜め後ろにはアジア系の観光客の団体。

 携帯をしまってゆっくり歩き出した。

 ケンジントン宮殿の脇を、ゆったりとした歩調で歩いた。

 フラットとは逆の、ケンジントン・ハイ・ストリートの方に向かって歩く。

 人通りの少ないイスラエル大使館の前の、写真撮影禁止の道を通った。
 
 通りに出る直前のゲートで、車両が守衛所の前で停まっている。

 その脇を、ベビーカーを押す若い女が通ろうとしている。

 ホークは手を貸して、笑みを交わしながら、ベビーカーを先に通してやった。

 その時、五十メートルほど後ろで、木の陰に男が隠れるのが見えた。

 なんだ、あいつは。

 ハイ・ストリートの人波の中を歩いて地下鉄の駅に降りた。

 そのまま改札を入り、サークルラインの北周りに乗った。

 隣の車両に自分をつけ回しているらしい男が乗っている。

 見たところ四十代くらいか。

 中肉中背で茶色い髪、紺のパーカーを着てリュックを背負い、なぜか首にカメラを下げている。

 何かのカモフラージュか。見覚えのない男だ。

 どこからつけられていたのかはっきりしないが、プロじゃない。

 自分を捜査官のホークだと知ってつけ狙う殺し屋、という殺気がないのだ。

 かと言って、撒くことができないから、ずぶの素人ではないのかもしれない。

 ベイズウォーターの駅で下車し、階段を上がって改札を出た。

 そのまま自分のフラットの方へ歩く。

 三十メートルほど後ろに男はいた。

 しつこいやつだ。何が狙いなんだ。

 緑多い教会の角を曲がって、人通りがない小道の入り口で足を止める。

 教会の塀に背をつけた。

 続いて角を曲がってくる男には、姿が見えなくなる。

 一分ほどでさっきの男が現れ、小道を通り過ぎようとした。

 その一瞬、ホークの腕が後ろから男の首に巻きついた。

 男が声を出すより早く口を塞ぎ、片腕をひねり上げた。

「おれに何か用か」耳元で囁いた。

 男は抵抗もせず、呻きながら「やめてくれ」ともう片方の手で合図する。

「誰に頼まれておれをつけている?」

「そ、そんなんじゃない……」

「おまえは誰だ」

「怪しいもんじゃない……」やっと絞り出すような声だ。

「馬鹿言え。十分怪しいだろうが」

「き、君に危害を加えたりなんかしないよ。この通り、武器も何も持っちゃいない」

 すがるような目で男がホークを見上げた。

 なんとなく鼠に似ている。

 確かに武器を持っている歩き方ではなかった。 

 男が抵抗する様子がないので、ホークは腕を緩めて男の首からカメラを取った。

 男は背を丸めたまま、やれやれと腕をさする。

 ホークはカメラのスイッチを入れて、メモリーの中の撮影されたファイルを見た。

「なんだ、これは」

 デジタル一眼レフの連写モードで撮った、ホークの顔のアップや全身の写真が何枚もあった。

 どうやら昼過ぎにフラットを出た時からつけられていたらしい。

 エントランスを出たところから始まり、歩く後ろ姿、ケンジントン公園でサンドイッチを買っているところ、ベンチでコーヒーを飲む姿などが、望遠で撮られていた。

 かなり離れたところから狙われていたわけだ。

「おまえ、変質者か」

「ち、違う……」

 ジェニファーと並んでベンチに座っている様子を、何枚も撮られていた。

 ホークは次々消去した。

「た、頼む、全部は消さないでくれ……」

 男は痛そうに腕をさすりながら、コートの中に手を入れて、名刺を一枚出した。

「モデル・エージェンシーのスカウトをやっている」男の手がホークの手にしがみついた。

 名刺には、ロンドン・モデル・マネージメントという会社名と、シニア・コンサルタント、ロバート・ダレルという名前が書いてあった。

「信じると思ってんのか」指先で名刺をはじいた。

「頼むから、それ以上消さないでくれ。写真がないと今日の日当が出なくなる。

 君をスカウトしようと思って追っていただけなんだ」

 額の皺と目尻の皺とが、男の顔を「本当に困っている」ように見せていた。

「君に無断で何かに使ったりもしないから」

「何かに使うなんて、もってのほかだ」ホークは男を睨みつけた。

「絶対に許可しない」

 ホークは男にカメラを押しつけ、二本の指を男の両目に突き付けた。

「二度とおれにつきまとうなよ」



 メモリースティックの中身は、ロマネスクに資金を預けている犯罪組織の記録のようだった。

 よく見ると、どこからいくら手数料を取っているかがわかる。

 ただし全て番号で管理されていて、名前がない。

 それぞれの顧客は口座番号を持ち、銀行の口座のように資金の出入りが管理されている。

 しかし――

 「この口座番号と犯罪組織を結びつける対照表がない限り、証拠能力がない」とカルロは言った。

 残念だ。

 ロマネスクは本業の海運業の他に、私設の運用機関として、有志から資金を集めてそれを運用し、利益を分配している。

 その際、個別の契約書があるかどうかはともかく、一定の手数料を差し引いている。

 運用手数料とでも呼ぶべきか。あるいは口座管理手数料か。

 だとしても、これだけでは不正な行為ではない。

 たまたま有志が犯罪組織だった、と言い抜けられてしまう。

 ロマネスクは善意の第三者だと主張することができる。

 当局に届けのない無登録のプライベートバンクだから、顧客の素性を調査してKYC(顧客デューデリジェンス)をクリアする義務がない。

 ロニーは時々、キャナリー・ワーフの近くにあるロマネスクのロンドン事務所に出向いていたらしい。

 隙を見て、アンドレのラップトップからダウンロードしたのだろうか。 

 自分なら絶対にやらない。

 アンドレは、当然、ラップトップにデータのダウンロードを検知するセキュリティ・ソフトを入れているだろう。

 何者かがデータを盗んだことに気づいたはずだ。

 カルロが指示したわけでもないのに、ロニーはなぜそんな愚かなことをしたのだろう。

 しかも不思議なのは、彼がそのデータをカルロに渡さなかったことだ。

 ジェニファーに預けてどうするつもりだったのだ?

 それに、ジェニファーに贈ったあのダイヤの指輪。

 捜査局が知らない、なにがあったのだ?

 その他に、アンドレが出す指値注文の記録も一つ残らず保存されていた。

 素人の自分でも気づいたくらいだ。

 プロの証券マンのロニーは不審に思っていただろう。

 だがそれも、カルロに報告はされていなかった。

「ロマネスクは、誰かからインサイダー情報を手に入れているんじゃないのか」電話の向こうでカルロが言った。

「……トレーディング・フロアの誰かだって言うのか」

 ディスプレイの立ち並ぶデスクの列。

 ヘッドセットをつけたまま、しゃべりまくる営業員。

 電話のコードを交差させて、二つの受話器に同時に答えるトレーダー。

 トレーダーか営業か。

 誰であれ、よほどの見返りがなければ、法律違反行為を敢えて犯すわけがない。

 当局に通報されれば間違いなく業界追放だ。

 将来を危険にさらしてまで、ロマネスクから金を貰いたいと思っているのは誰か。

 差し迫った事情で金が必要なのは――

「誰かやりそうな人間がいるのか」

「いや……」はっきりとではないが、何か今までに耳にしたような……

 ジェニファーはロニーの取引を全て把握していた。

 だから、ここにロマネスクが出す指値注文が記録されていることがわかったはずだ。

 このデータを見て怯えたのだろうか。

 このせいでロニーは死んだと思っていたのか?

 今は、このデータを託されたアラン・キャンベルが行動するのを待っている。

 しかし、ホークは当局には届けない。

「ジェニファー・ハドリルを、遠ざけてもらえないか」カルロに言った。

「どういう意味かな」

「彼女に仕事を斡旋してくれないか? どこか、できれば国外の」

「……やってみよう」

 どこかのヘッドハンターを通して出来レースの面接を仕組む。

 彼女が飛びつくような、魅力的な報酬で。

「他に問題は?」カルロが言った。

「ちょっとしたハプニングが、あったけど」

「なんだ」

「変な男につけられて、写真を撮られた」

「なんだと?」

「でも、捕まえて殆ど写真は消去したよ」

「殆ど? おい、気は確かか」

 言わなきゃよかった。

「ロバート・ダレルって名前だ。モデル・エージェンシーのスカウトだとか」

 馬鹿な……。カルロのため息は、手持ちの証券取引口座が全て元本割れしたときの、顧客の反応に似ていた。
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