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28 私の資産が減ったのを見たのは初めてだ

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 指定されたホテルのシャンパン・バーに、定刻三分過ぎに到着した。

 高い天井から大きなシャンデリアがいくつか下がり、照明を落として薄暗く、低いテーブルに蝋燭が灯されている。

 クラシックな肘掛椅子とソファが何組かあり、半分ほどの席が埋まっていた。

 ホテルの紋章柄の絨毯の上を、ウェイターに案内されて歩いた。

 彼らは奥の暖炉の近くに座っていた。

 トマシュ・レコフの左側に秘書のアンドレ、右側に若いプラチナ・ブロンドの女がいた。

 ホークを見て三人が立ち上がった。

 ホークはまずトマシュ、次にアンドレと握手し、トマシュが女の紹介をした。

「こちらはミス・マリー・ラクロワ。彼女も君の会社に口座を持っている」

 担当口座の一つだった。

 ロマネスクの第二口座だが、名義がマリー・ラクロワになっている。

 取引総額からすると真ん中辺だ。

 マリーが手の甲を見せて出したので、ホークはその手を取って軽く唇をつけた。

 彼女の脚元に、ペットを入れるような四角いバスケットが置かれている。

 何か動物が入っているらしい。

 既にシャンパンのボトルが開けられ、冷やされていた。

 勧められて、トマシュが差し出したグラスを受け取った。

「ロンドンは寒いな。きのうドバイから帰ってきたところでね」

 トマシュの英語は東欧系の特徴あるアクセントだ。

 九月も半ばを過ぎたので、朝夕はコートを着ている人も多い。

 もっとも、車で通勤するホークはコートを着ない。

 三人ともグラスの中身が減っていたので、ホークも口をつけた。

 マリーがちらっとホークを盗み見る。

 ラメの光るドレスに白い毛皮をはおっている。唇と爪の色が同じ赤だ。

 会話の間の空き方が少し長いような気がした。

 防御もなしに攻撃を待っている気分だ。

「今日はなかなかいい数字を見られたと、アンドレから聞いたよ」

 ホークは微笑で応えた。

 ロマネスクの直通電話は社長のトマシュの番号だが、当然秘書のアンドレが出ることが多い。

 ホークがよく話すのはアンドレだった。

「何日か前は、驚いたがね」

 トマシュが目を逸らし、飲みほしたグラスを静かに大理石のテーブルに置いた。

 切れ長の薄水色の目が鋭くホークに向けられる。

「私の資産が減ったのを見たのは初めてだ」

 静かな声がナイフの刃のように突き付けられた。

「あれは、販売時には予測できなかったリスクです」イングランド・アクセントを強調して言った。

「私は損をするのが嫌いなんだ」

「それは我々も同じです」

 話しながらトマシュの目は、ホークを頭の天辺から足の先まで値踏みするように見ている。

 ホークはダークブルーのシャドーストライプ入りスーツを着ていた。

 シャツは小さめの襟の白、ネクタイは織り目に光沢のある絹で瞳と同じブルー。

 会社を出る前に、朝から着ていた服を一式、ロッカーに置いてあったものに着替えたのだ。

 ドレッシング・ルームで自分の姿を念入りに点検した。

 上半身裸になって髭を剃りなおし、歯を磨き、髪に念入りに櫛を入れ、コロンをつけなおした。

「本当に予測できていなかったのか」

 ナイフの刃が首筋に立てられたように感じた。

 この男は知っている。

「はい」

「君らの商売は、客に損をさせるとわかっていても、物を売りつけることがあるだろう」

「僕はやりません」

 トマシュが微笑んだ。

 アンドレは無表情だ。

 マリーがまたホークを盗み見た。

「二度と損は見たくない」ナイフの刃が首筋を叩いている。

「約束してくれるか」

「できません」

 トマシュが唇だけで笑った。

「なんだと」

「出来ると言ったら、嘘になりますから」

 沈黙が降りた。一瞬後、

 トマシュがふふっと鼻で笑い、それがだんだん大きな笑い声になった。

「彼は勇敢だと思わないか」アンドレの方を見る。

 アンドレが声を出さずに笑った。

 ホークは表情を変えずにトマシュとアンドレを交互に見た。

 顔の横にマリーの視線を感じたが、無視しておいた。

「マリーにも君からよく教えてやってほしい。彼女は有価証券のことも、投資のしかたも、何もわかっていないんだ」

「もちろんです」ホークはマリーの目を見て微笑んだ。

「君とビジネスをするのは楽しそうだ。突然呼び出して済まなかったな」

 トマシュが言うのを聞いて、ホークは立ち上がった。

 また握手をして、シャンパン・バーを出た。

 ホテルの駐車場で自分の車に乗り込む。

 ステアリングに顔を伏せてしばらく目を閉じた。

 それからエンジンをスタートさせ、車を出した。
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