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19 十五年も前の記憶だというのに、脳がその男の姿を認識した
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ホークの視界に、吹き抜けの螺旋階段を中二階へ案内されてくる、背の高い男の客が入った。
男は白髪交じりで、学校の制服を着た少年と一緒だ。
その男の背格好と歩く姿勢に見覚えがあった。
十五年も前の記憶だというのに、脳がその男の姿を認識した。
叔父のマーク・スチュアートだった。
通路を歩いてくる男の顎髭に覆われた顔を避けるように、ホークは慌てて下を向いた。
ウェイターの後に続いて、叔父とその連れがテーブルの脇を通り過ぎるのを、下を向いたままやりすごした。
ふと眼を上げると、ハルが不思議そうに、コーヒーカップの向こうから見つめていた。
「あ、エディってさ、すごくボクシングが強いんだ。知ってる?」
ううん、とハルが首を振る。
「ジムで対戦した時、思い切り殴られてさ……」
それとなく後ろの気配を探る。マークとその連れは、ホーク達のテーブルから一つ置いたテーブルについた。
まさかマークがこういう店に来るとは思わなかった。
叔父が好むとは思えない、若者向きのカジュアル・レストランだったからだ。
やっぱりシティは狭い。
「殴られたんですか?」ハルが目を見張って言った。
「ゲームだよ。でもまだ痣が消えないんだ」ホークは右脇腹をさすった。
「彼のことは話題にならないの?」
ハルが首をかしげる。
「ボクシングのことは聞いてませんけど、ミケルソンさんはよく、ミーティングで人事部にいらっしゃいます」
「そうなんだ」
「人件費予算のこととか、賞与を決める時とか、採用関係とか、なんでも人事のデータが必要なので」
「ふーん。君もあいつとミーティングするの?」
「上級のスタッフと一緒に出ることはあります。でも私はデータをつくるだけです」
「君はエディってどんな奴だと思う?」
ハルは瞬きをした。
「……どうって……すごく頭のいい人、です。切れるっていうか。間違いがあるとすぐ見つけるので怖いです」
ふふふ、とホークは笑った。
「そりゃ怖いな。で、すぐそれを上司に言うんだろう」
「……はい」ハルは下を向いた。
「いるよな、そういう奴。彼って何人?」
「スウェーデンです。大学はドイツで」
「ふーん。ここに来る前はどこの会社?」
ええと……ハルは目を上に向けて考えた。
「確かドイツの製薬会社だったような……でも、勤務地はポーランドだったかもしれません」
「ロシアじゃなくて?」
「ロシアにも転勤していたかも……でも、何でですか?」
「いや別に、ただ……金融出身じゃないのに出世しているな、と思って」
そうですね、とハルは頷いた。
「ああいう仕事はどこの会社にもある管理職ですからね」
おかげで参考になったよ、とホークは言い、マークに顔を見られないよう背を向けたまま、ハルの分も支払ってレストランを出た。
学校を出たばかりのように見えるハルだったが、既に入社して三年目だと言った。ロンドンに来てもうすぐ一年経つという。
「じゃあ、もう一年もエディに苛められているんだ」
「え、そんな……」
ほぼ満員の会社のエレベーターの中で、二人はぴったりくっついて立っていた。
カフェテリアのある三階でドアが開き、数人が降り、それより多い人数が乗って来た。
二十階の連中だった。
パメラとエディの秘書のシャロンもいた。彼らはホークと目で挨拶した。
パメラはホークにはにこやかな視線を送ったが、直後に隣に立つハルに気づき、急速冷凍のような速さで険しい目つきに変った。
……メデューサか。
八階のドアが開いてハルが降りる時、「また誘うよ」とホークは囁いた。
前方に立つパメラたちがちっとも避けてくれないので、ハルは身をよじる様にして、やっとエレベーターから降りて行った。
ドアが閉まり、乗っているのは全員二十階の肉食獣のような連中だけになった。
「へー。あんな胸ペチャの棒みたいな子が好みなのか」一人が言った。
「あの子、なんとなく男の子っぽいじゃないか。やっぱ、おまえあっちか」
「うるさい」ホークが言った。
「おっと、性的志向で差別しちゃいけなかった」
「あーこの間のトレーニングな」
「寝てたんで、覚えてねえよ」
男たちが喋る中、パメラは一言も喋らなかった。そのかわり、氷柱のような視線でホークを一瞥した。
男は白髪交じりで、学校の制服を着た少年と一緒だ。
その男の背格好と歩く姿勢に見覚えがあった。
十五年も前の記憶だというのに、脳がその男の姿を認識した。
叔父のマーク・スチュアートだった。
通路を歩いてくる男の顎髭に覆われた顔を避けるように、ホークは慌てて下を向いた。
ウェイターの後に続いて、叔父とその連れがテーブルの脇を通り過ぎるのを、下を向いたままやりすごした。
ふと眼を上げると、ハルが不思議そうに、コーヒーカップの向こうから見つめていた。
「あ、エディってさ、すごくボクシングが強いんだ。知ってる?」
ううん、とハルが首を振る。
「ジムで対戦した時、思い切り殴られてさ……」
それとなく後ろの気配を探る。マークとその連れは、ホーク達のテーブルから一つ置いたテーブルについた。
まさかマークがこういう店に来るとは思わなかった。
叔父が好むとは思えない、若者向きのカジュアル・レストランだったからだ。
やっぱりシティは狭い。
「殴られたんですか?」ハルが目を見張って言った。
「ゲームだよ。でもまだ痣が消えないんだ」ホークは右脇腹をさすった。
「彼のことは話題にならないの?」
ハルが首をかしげる。
「ボクシングのことは聞いてませんけど、ミケルソンさんはよく、ミーティングで人事部にいらっしゃいます」
「そうなんだ」
「人件費予算のこととか、賞与を決める時とか、採用関係とか、なんでも人事のデータが必要なので」
「ふーん。君もあいつとミーティングするの?」
「上級のスタッフと一緒に出ることはあります。でも私はデータをつくるだけです」
「君はエディってどんな奴だと思う?」
ハルは瞬きをした。
「……どうって……すごく頭のいい人、です。切れるっていうか。間違いがあるとすぐ見つけるので怖いです」
ふふふ、とホークは笑った。
「そりゃ怖いな。で、すぐそれを上司に言うんだろう」
「……はい」ハルは下を向いた。
「いるよな、そういう奴。彼って何人?」
「スウェーデンです。大学はドイツで」
「ふーん。ここに来る前はどこの会社?」
ええと……ハルは目を上に向けて考えた。
「確かドイツの製薬会社だったような……でも、勤務地はポーランドだったかもしれません」
「ロシアじゃなくて?」
「ロシアにも転勤していたかも……でも、何でですか?」
「いや別に、ただ……金融出身じゃないのに出世しているな、と思って」
そうですね、とハルは頷いた。
「ああいう仕事はどこの会社にもある管理職ですからね」
おかげで参考になったよ、とホークは言い、マークに顔を見られないよう背を向けたまま、ハルの分も支払ってレストランを出た。
学校を出たばかりのように見えるハルだったが、既に入社して三年目だと言った。ロンドンに来てもうすぐ一年経つという。
「じゃあ、もう一年もエディに苛められているんだ」
「え、そんな……」
ほぼ満員の会社のエレベーターの中で、二人はぴったりくっついて立っていた。
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二十階の連中だった。
パメラとエディの秘書のシャロンもいた。彼らはホークと目で挨拶した。
パメラはホークにはにこやかな視線を送ったが、直後に隣に立つハルに気づき、急速冷凍のような速さで険しい目つきに変った。
……メデューサか。
八階のドアが開いてハルが降りる時、「また誘うよ」とホークは囁いた。
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「へー。あんな胸ペチャの棒みたいな子が好みなのか」一人が言った。
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「うるさい」ホークが言った。
「おっと、性的志向で差別しちゃいけなかった」
「あーこの間のトレーニングな」
「寝てたんで、覚えてねえよ」
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