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15 上司から言われてないの? この人たちの件は、全部私を通してちょうだい
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ロマネスクの社長秘書兼財務担当のアンドレ・ブルラクとは日に何度も電話で話す。
委託されている有価証券と先物などの契約が多いので、殆ど毎日だ。
アンドレは運用の仕事が長いらしい――まずいことに市場のことはホークよりよく知っている。
こちらから勧める銘柄や商品だけでなく、時に指値の現物株売買の注文を入れてくる。
銘柄はいつも違う。
その日もある株を買って売る、指値注文が入った。
マーケットが開く前に電話があり、彼の言い値でトレーダーに買ってもらい、その日のうちに彼の希望の値になったら売る。
値幅があまり大きくなくても株数が多いので、必ず利益が出る。
これが今までの所一度もはずれていなかった。
アンドレの電話が終わらないうちに別の客からの電話が入り、クライアント・ラインの二つ目のランプが点滅した。
取ってくれ、とアシスタントのパメラの方に顔を向ける。
パメラはヘッドセットで他の電話に出ていたが、それを切ってホークの外線に出てくれた。
ようやくアンドレの電話が終わった時、ふと後ろに人の気配を感じた。
椅子ごと振り向くと、初めて見るアジア系の若い女性社員が、おずおずと何か言いたそうな様子で立っていた。
「僕?」とホークは指で自分を指した。
すごく若い。学校を出たばかりみたいな子だ。
ショートカットの黒髪、化粧は殆どしていないようなのに頬がバラ色、それもつやつや光っている。
白のシャツブラウスはちょっとぶかぶかだが、袖をまくっているので、細い腕の白い肌が新鮮だ。
地味なグレーのタイトスカートから、すんなり肌色ストッキングの脚が伸びている。
黒いフラットシューズに収まる足の甲に細い骨がすけている。思わず華奢な足首に目が行った。
無遠慮に眺めていると、彼女は遠慮がちな頬笑みを浮かべ、長い黒い睫毛を上下させながら言った。
「すみません、人事部の者です。この書類にキャンベルさんのサインが抜けていまして……」
アメリカ西海岸のアクセントに似た――と言ってもどことなく違う――独特のアクセントでゆっくりしゃべった。
見ると、契約書にサインした後渡された、大量の書類の中にあったものと思われる何かの誓約書だった。
「あ、これね」
ホークはページをめくり、ろくに読みもせず最後のページにサインしようとした。
すると彼女が「あの」と言うのが聞こえた。
ホークが目を向けると、
「何か内容に問題があって、サインされていないのかどうか、お訊きするようにと……」
え? あらためて書類に目を落とした。
『守秘義務及び勧誘禁止について』というタイトルの書類だった。
ホークが少し読み始めると、バタバタという足音が近づいてきて、「ちょっと!」とヒステリックな声がその場の空気を切り裂いた。
パメラだった。
「場中に営業員に話しかけないで!」
ホークと若い人事部員の間にパメラが仁王立ちした。
目の前に、ニットのスカートにやっと収まったような丸いヒップがあった。
「上司から言われてないの? この人たちの件は、全部私を通してちょうだい」
「す、すみません……」
人事部の彼女は慌てて後ずさり、逃げるようにトレーディング・フロアから出て行った。
「あ、これ……」ホークが読みかけの書類を差し出すと、パメラの手がひったくった。
「あとで私が持って行くから」入れ替わりにメモ用紙を突き出した。クライアントからの電話の件だった。
ありがとう、と言いつつホークは書類に手を伸ばした。
「まだ読んでないんだ」
パメラは眉を顰めた。
「読むの?」
ホークはにっこり笑いながら頷く。
「こーいうことは、私たちがやるからいいのよ。あとで人事部長に文句言っておかなきゃ」
パメラはバタバタと足音を立てながら戻っていった。
デスクに向き直ると、隣の席のアダムがにやにや笑っていた。
委託されている有価証券と先物などの契約が多いので、殆ど毎日だ。
アンドレは運用の仕事が長いらしい――まずいことに市場のことはホークよりよく知っている。
こちらから勧める銘柄や商品だけでなく、時に指値の現物株売買の注文を入れてくる。
銘柄はいつも違う。
その日もある株を買って売る、指値注文が入った。
マーケットが開く前に電話があり、彼の言い値でトレーダーに買ってもらい、その日のうちに彼の希望の値になったら売る。
値幅があまり大きくなくても株数が多いので、必ず利益が出る。
これが今までの所一度もはずれていなかった。
アンドレの電話が終わらないうちに別の客からの電話が入り、クライアント・ラインの二つ目のランプが点滅した。
取ってくれ、とアシスタントのパメラの方に顔を向ける。
パメラはヘッドセットで他の電話に出ていたが、それを切ってホークの外線に出てくれた。
ようやくアンドレの電話が終わった時、ふと後ろに人の気配を感じた。
椅子ごと振り向くと、初めて見るアジア系の若い女性社員が、おずおずと何か言いたそうな様子で立っていた。
「僕?」とホークは指で自分を指した。
すごく若い。学校を出たばかりみたいな子だ。
ショートカットの黒髪、化粧は殆どしていないようなのに頬がバラ色、それもつやつや光っている。
白のシャツブラウスはちょっとぶかぶかだが、袖をまくっているので、細い腕の白い肌が新鮮だ。
地味なグレーのタイトスカートから、すんなり肌色ストッキングの脚が伸びている。
黒いフラットシューズに収まる足の甲に細い骨がすけている。思わず華奢な足首に目が行った。
無遠慮に眺めていると、彼女は遠慮がちな頬笑みを浮かべ、長い黒い睫毛を上下させながら言った。
「すみません、人事部の者です。この書類にキャンベルさんのサインが抜けていまして……」
アメリカ西海岸のアクセントに似た――と言ってもどことなく違う――独特のアクセントでゆっくりしゃべった。
見ると、契約書にサインした後渡された、大量の書類の中にあったものと思われる何かの誓約書だった。
「あ、これね」
ホークはページをめくり、ろくに読みもせず最後のページにサインしようとした。
すると彼女が「あの」と言うのが聞こえた。
ホークが目を向けると、
「何か内容に問題があって、サインされていないのかどうか、お訊きするようにと……」
え? あらためて書類に目を落とした。
『守秘義務及び勧誘禁止について』というタイトルの書類だった。
ホークが少し読み始めると、バタバタという足音が近づいてきて、「ちょっと!」とヒステリックな声がその場の空気を切り裂いた。
パメラだった。
「場中に営業員に話しかけないで!」
ホークと若い人事部員の間にパメラが仁王立ちした。
目の前に、ニットのスカートにやっと収まったような丸いヒップがあった。
「上司から言われてないの? この人たちの件は、全部私を通してちょうだい」
「す、すみません……」
人事部の彼女は慌てて後ずさり、逃げるようにトレーディング・フロアから出て行った。
「あ、これ……」ホークが読みかけの書類を差し出すと、パメラの手がひったくった。
「あとで私が持って行くから」入れ替わりにメモ用紙を突き出した。クライアントからの電話の件だった。
ありがとう、と言いつつホークは書類に手を伸ばした。
「まだ読んでないんだ」
パメラは眉を顰めた。
「読むの?」
ホークはにっこり笑いながら頷く。
「こーいうことは、私たちがやるからいいのよ。あとで人事部長に文句言っておかなきゃ」
パメラはバタバタと足音を立てながら戻っていった。
デスクに向き直ると、隣の席のアダムがにやにや笑っていた。
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