わけありのイケメン捜査官は英国名家の御曹司、潜入先のロンドンで絶縁していた家族が事件に

川喜多アンヌ

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9 麻薬カルテルに採用されたおまえならできる

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 トニーは内心ガッツポーズした。
 
 よし。餌に食いつこうか考えている。釣り上げるぞ。

「証券会社に流れる犯罪組織の収益をブロックして脱税を阻止する仕事だ。

 捜査官は証券会社に潜入して、株の営業をやる」

「はあ?」まさに二週間前、同じ反応をトニーもした。

「おまえ、卒業前に証券会社でインターンやってたよな」

「そんなの何年も前だよ」

「シリーズセブンとか、必要な資格は全て持っているよな」

「無理」覚えているわけないじゃないか……とホークはつぶやく。

「トレーニングするから大丈夫だ」

「そういうのは普通、経験者をリクルートするだろう。なんで僕なんだ?」

「最初の奴はそうだった。だが、潜入捜査と戦闘経験が足りなくて失敗した」

「なんで証券会社の営業やるのに戦闘経験が必要なんだ?」

「殺されたからだ」

「誰にどうやって?」ナイフとフォークを持つ手はさっきから止まったままだ。

「実は交通事故だ――というか、警察が事故と断定した」

「自分で運転中?」

「いや、タクシーに乗っていた。追突されたんだ」

「それじゃ逃げられないな」ホークは魚を一切れ口に入れた。

「僕でも駄目だ」頭を振る。

「おまえが同じ目に遭うとは限らない。正体を見破られなければいいんだ。演技は前任者よりおまえの方が上だ」

「そうかもしれないけど」首を横に振った。「まだ死にたくない」

 これまでに彼が引き受けた仕事だって十分危険だった。

 殺し屋を演じるくらい向う見ずな男に断られたら、それこそ引き受け手がいないだろう。

 クーパー本部長がいまだにホークを指名しているのは、他の候補者探しがうまくいっていないからだ。

 それに、新たに新人をリクルートしている時間はない。

「前回の仕事に比べれば天と地の差だぞ」

 とたんに皮肉な笑いを浮かべた。

「殺さなくていいけど殺されるかもしれないから?」

 先ほどのウェイトレスがコーヒーを持ってきた。

 ありがとうと言ったホークの笑顔は前と比べるとかなり控えめだった。

「潜るのは証券会社だ。高給取りの生活をしながら、休みも取れるし連休ならワシントンの家にも戻れる。行ったきりじゃない」

 ホークは金では釣れない――もともと育ちが良すぎる。だが、恋人と会う自由には釣られるはずだ。

「ふうん」ホークはブラックのままコーヒーに口を付けた。

「で、何をするんだ」

「前任者の正体がなぜばれたのか真相を探れ。彼はある顧客をマークして、資金が犯罪組織のものだとわかる証拠を掴んだ。それを我々に渡す前に死んだんだ。彼が掴んでいた証拠を見つけ出せ」

 ホークは片肘をつき、額を支えて顔をしかめた。

「その捜査のためになんで証券会社に入る必要があるんだ? 普通は顧客側に潜るだろう」

「それができればそうしている。ロシアなんで、さすがにやりにくい」

「ロシア?」思わず声が高くなり、ホークは慌てて声を顰めた。

「まさか、ロシアへ行けって言うのか」

「だから、そうじゃない」

「だよな。ニューヨークか」

「いや、シティだ」

「ロンドン?」

 ホークの目がしばらく動かなかった。あれこれと頭の中で素早く考えているようだった。

 トニーはコーヒーカップを脇に寄せてテーブルの上に身を乗り出した。声を顰める。

「優秀な捜査官はたくさんいる。だがおまえはイギリス人だから就労ビザが要らない。シリーズセブン(外務員資格)を持っている。採用されれば明日からでも現地に行かれる」

 シリーズセブンは数年ごとにアップデートしないと失効するが、それは捜査局がなんとかする。

「採用って?」

「応募して面接を受けるんだ」

「無理」ホークは首を振った。

「おまえらしくないな。麻薬カルテルには採用されただろう」

「それとどっちが難しいかと言えば……」

「カルテルだ」

 ホークがトニーを睨んだ。

 トニーのコーヒーは口をつけられないまま冷めかけていた。

 例のウエイトレスがやってきたが、向きあって沈黙している二人に戸惑って、遠慮がちにビル勘定書きを置いて行った。

「訓練は二週間だ」トニーは事務的に言った。

「証券会社の株の営業員がどう行動するのか、日常的に何を話し、何に関心を持つのか、知っていなければならないことの全てを身につけろ」

「まだやるって言ってないよ」

「おまえに選択肢はない」

 ホークは窓の外に目を向けた。

 レストランの庭に小さな池があり、そこに鳥が数羽飛んできて、水しぶきがあがった。

 緑濃い植え込みと芝生の上に日差しが降り注ぎ、池の水面をきらめかせている。

 芝生の向こうにはパーゴラがあり、蔓バラが黄色い花をいくつも咲かせてからみついていた。

 いつの間にか周囲のテーブルはだいぶ空いてきた。ランチタイムの終わりだった。

 庭の方を見たままホークは言った。

「母と叔父に会いたくない」

 それが、ロンドンに行きたくない本当の理由だというくらいトニーにはわかっている。

「捜査局としては、それはリスク・ファクターにはならないと判断した」トニーは言った。

 偽装がばれて困るのは捜査官の身分の方だ。

 ホークが母親と再会したからと言って、なぜ違う名前で証券会社で働いているのか、理由はいくらでもつくれる。

「叔父の会社がシティにあるんだよ。知ってると思うけど」

「会ったら挨拶すればいい」

「なんて言ったらいいかわからない」

「だったら、無視すればいいだろう」

 ああ、面倒な奴だ。

 勝手に家出した手前、自分から家に戻ることができないでいる。

 もうとっくに母親を許しているくせに。

「訓練は明日からだ。朝から晩までびっしりだからな。行く前にここで、最低限の武器の扱いのブラッシュアップをしておけ」

 じろりと青い目が向けられた。

「イギリスで銃なんか持ち歩けない」


 トニーが支払いのサインを済ませる間、ホークは先に外に出ていた。

 レストランの隣にプールバーがあり、まだ開店前だがドアが開いていて、店員が床を掃除していた。

 ホークがトニーの肩を軽く叩いた。

 見ると、彼は半分開いているドアからバーの中に入り、すたすたと壁際まで進み、的に刺さっていた三本のダーツを手にして戻って来た。

 五メートル近く後退し、ドアの近くに立っていたトニーをちらっと見た。

 次の瞬間、三本のダーツを右手、左手、逆手の順に投げ、全部的のど真ん中に突き立てた。

 モップを掛けていた店員が、中腰のまま固まっていた。

 ホークは涼しげに笑みを浮かべ、店員に礼を言って出てくると、「十分だろ」とトニーに言った。
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