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第11章

87 しておかねばならないこと ♠

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 梅雨が明ける頃、バーデン・バーデンの処女の主治医から退院の許可が下りた。本来なら喜ぶべきところだが、当人の表情は硬い。目前に迫ったに備え、自らを奮い立たせているように見える。この分だと、退院したらすぐ「バエルに会わせてください」と要求されるに違いない。

 先方にはだいぶ前に連絡を入れ、既に了承を得ている。彼は此度こたびの入院の経緯も把握しているらしく、彼女が回復したらベルフェゴールに気付かれないように会おうと提案してきた。でないと副代表は気を悪くするだろうから、と愉快げに言われた時、この人らしいと実感した。
 初めて会話を交わした時と何ら変わることのない態度は、不抜ふばつの自信と余裕によるものだ。すべては彼の思惑通りに進んでいるということなのだろう。

 退院予定日の前日、バーデン・バーデンの処女は松葉杖を突きながら、世話になった人間達のもとへ挨拶に回っていた。当日はバタバタするだろうと考えてのことらしい。
 その際、院内コンビニで購入したボックスティッシュを配りたいと言い出し、俺は荷物持ちとして駆り出された。

「あらぁ、そんな気にしなくていいのに。ありがとうね」

 大抵の者はこのようなリアクションをし、彼女の退院を祝福する言葉をかけていた。このエリアにいる傷病者は、処刑人や本部の人間といったLR×Dの関係者か、表の社会で生活するのが難しい訳ありの者だけなので、余計な詮索をされることはなかった。
 ただ、中の一人から「そちらは伊関さんのお兄さん? それとも彼氏さん?」と訊かれた。
 以前の彼女であれば、「いえ、ただの同居人です」などと返していただろうが、バーデン・バーデンの処女は穏やかな表情を浮かべ、「一時的にお世話になっている人なんです」と答えていた。
 きっかけは定かではないが、彼女の心境に何らかの変化があったらしい。俺への警戒心が薄れ、信頼を寄せ始めたように思える。

 俺はバーデン・バーデンの処女に対して、嘘を吐いたことは一度もない。だがそれは、すべてを曝け出していることと同義ではない。
 伝えていない重要な話もいくつかある。これを言えば、多くのことがあっという間に片付き、彼女の疑問も氷解するだろう。同時に彼女がどんな反応をするかも想像がつく。
 いつかは伝えるべきタイミングが来る。しかし、時はまだ満ちていない。だから今しばらくは静観するつもりでいる。

 その間に、俺もしておかねばならないことがある。外堀は埋めたから、あと少しだ。
 これが済んだら、俺はようやくあの人に報いることができると信じている。ただの自己満足だとわかってはいるが、これが片付かないうちは俺も前に進めないのだ。
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