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第11章
84 何らかの痛み ⚠
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ベルフェゴールとの悪夢のような遣り取りの後、一転して平和な時間が訪れた。梅雨特有の不快感はあるものの不穏な兆候は一切なく、静かでやや気怠い日常が繰り返されていく。嵐の前の静けさなのだろうか。
気になることと言えば、ベリトがどこか落ち着かないことくらいだ。理由を訊いても「こっちの話です。バーデン・バーデンの処女さんの不利益になるようなことは何も起こっていないのでご心配なく」と返され、それ以上は教えてもらえなかった。
ただ先日、リハビリを終えた私がエレベーターを降りた際、私の病室がある方角から廊下全体に響くほどの声量で「くっそぉぉおおおお!!!」と叫んでいるのが聞こえたので、さぞ気に食わないことがあったのだろう。
すぐに帰るのは何となく躊躇われて、しばらく近くの休憩スペースで時間を潰し、彼が出て行った頃合いを見計らって部屋に戻った。さり気なく凌遅に確認すると、「例の如く、ベルフェゴール関連の愚痴を聞かされただけだ」と言って薄く笑っていたので、大事でないのは確からしい。
リハビリを開始して1ヶ月が過ぎる頃には、私の体調は目に見えて回復していた。歩行訓練も進み、松葉杖で移動できるまでになった。本来であれば、あと数ヶ月の訓練が必要かと思われたが、肉類を中心とした高たんぱくな食事を摂りながら励んだおかげか、通常の2倍以上のスピードで目標を達成していたらしい。担当者曰く、この分だと間もなく退院も見えて来るとのことで、モチベーションが高まると同時にある願望を抱くようになった。
某日、ベッドで夕食を終えた私は、凌遅に一つの頼みごとをした。
「実践的な刃物の使い方をレクチャーして欲しいのですが」
何の前置きもなく振ってみたところ、ソファベッドで読書をしていた彼は黙ってこちらを見つめた後、「まずは彼の言い分を聞いてみるんじゃなかったのか」と訊いてきた。
「そのつもりです。ただ、納得できなかった場合、はいそうですかで済ませる気はありませんから」
「どうする気だ」
「……何らかの痛みを与えて、思い知らせたいと思っています」
私の答えに凌遅はふんと鼻を鳴らす。
「具体的な話をしよう。“何らかの痛み”ってのは、どういうものだ。頬を引っ叩くレベルの話じゃないよな」
「ええ……」
「刃物を使いたいようだが、君の求めるものが拷問なのか処刑なのかによっても話は変わって来る。想定しているのはどちらだ」
私が「ひとまず殺すのは無しで」と伝えると、凌遅はひょいと立ち上がり、部屋の隅に置かれている差し入れ用のコンテナの元へと移動した。とうに松葉杖なしで歩けるようになっているのだった。
彼はコンテナの中からりんごと備品の果物ナイフを取り出すと、床頭台のそばの椅子に腰を下ろした。
「痛みを与えるにもいろいろな方法がある。パッと思い付くだけでも、爪を剥ぐ、指を切り落とす、両目を切り裂く、眼球を突く、耳を削ぎ落す、口角を切り裂く、歯を圧し折る、舌を切り取る、皮膚を引き剥がす……」
「……っ」
思い出してはいけない光景が浮かびそうになり、私はキツく目を閉じて首を振った。
「君が考えているのはどれだ。場所によって刃物の使い方が異なるから、まずは詳細にイメージしてみな。決まったら、相応のやり方を教えてやる」
「…………」
無言の私に、凌遅の言葉が刺さる。
「それが無理なら、端からそんなことを企むべきじゃない」
「……いや、私は――」
彼は私が言葉を紡ぐ前に、さっきのりんごと果物ナイフを寄越した。
「心構え自体は良い。だが、君には迷いがある。そいつを払拭できないうちは、まだ時期じゃないんだ。しばらくは、りんごに相手をしてもらいな」
そう言い捨てると、凌遅はソファベッドへ移動し、読書の続きに戻った。
不満ではあったが、彼の言葉は理に適っていたし、自分の甘さを再認識させられた気がして情けなくなった。
気になることと言えば、ベリトがどこか落ち着かないことくらいだ。理由を訊いても「こっちの話です。バーデン・バーデンの処女さんの不利益になるようなことは何も起こっていないのでご心配なく」と返され、それ以上は教えてもらえなかった。
ただ先日、リハビリを終えた私がエレベーターを降りた際、私の病室がある方角から廊下全体に響くほどの声量で「くっそぉぉおおおお!!!」と叫んでいるのが聞こえたので、さぞ気に食わないことがあったのだろう。
すぐに帰るのは何となく躊躇われて、しばらく近くの休憩スペースで時間を潰し、彼が出て行った頃合いを見計らって部屋に戻った。さり気なく凌遅に確認すると、「例の如く、ベルフェゴール関連の愚痴を聞かされただけだ」と言って薄く笑っていたので、大事でないのは確からしい。
リハビリを開始して1ヶ月が過ぎる頃には、私の体調は目に見えて回復していた。歩行訓練も進み、松葉杖で移動できるまでになった。本来であれば、あと数ヶ月の訓練が必要かと思われたが、肉類を中心とした高たんぱくな食事を摂りながら励んだおかげか、通常の2倍以上のスピードで目標を達成していたらしい。担当者曰く、この分だと間もなく退院も見えて来るとのことで、モチベーションが高まると同時にある願望を抱くようになった。
某日、ベッドで夕食を終えた私は、凌遅に一つの頼みごとをした。
「実践的な刃物の使い方をレクチャーして欲しいのですが」
何の前置きもなく振ってみたところ、ソファベッドで読書をしていた彼は黙ってこちらを見つめた後、「まずは彼の言い分を聞いてみるんじゃなかったのか」と訊いてきた。
「そのつもりです。ただ、納得できなかった場合、はいそうですかで済ませる気はありませんから」
「どうする気だ」
「……何らかの痛みを与えて、思い知らせたいと思っています」
私の答えに凌遅はふんと鼻を鳴らす。
「具体的な話をしよう。“何らかの痛み”ってのは、どういうものだ。頬を引っ叩くレベルの話じゃないよな」
「ええ……」
「刃物を使いたいようだが、君の求めるものが拷問なのか処刑なのかによっても話は変わって来る。想定しているのはどちらだ」
私が「ひとまず殺すのは無しで」と伝えると、凌遅はひょいと立ち上がり、部屋の隅に置かれている差し入れ用のコンテナの元へと移動した。とうに松葉杖なしで歩けるようになっているのだった。
彼はコンテナの中からりんごと備品の果物ナイフを取り出すと、床頭台のそばの椅子に腰を下ろした。
「痛みを与えるにもいろいろな方法がある。パッと思い付くだけでも、爪を剥ぐ、指を切り落とす、両目を切り裂く、眼球を突く、耳を削ぎ落す、口角を切り裂く、歯を圧し折る、舌を切り取る、皮膚を引き剥がす……」
「……っ」
思い出してはいけない光景が浮かびそうになり、私はキツく目を閉じて首を振った。
「君が考えているのはどれだ。場所によって刃物の使い方が異なるから、まずは詳細にイメージしてみな。決まったら、相応のやり方を教えてやる」
「…………」
無言の私に、凌遅の言葉が刺さる。
「それが無理なら、端からそんなことを企むべきじゃない」
「……いや、私は――」
彼は私が言葉を紡ぐ前に、さっきのりんごと果物ナイフを寄越した。
「心構え自体は良い。だが、君には迷いがある。そいつを払拭できないうちは、まだ時期じゃないんだ。しばらくは、りんごに相手をしてもらいな」
そう言い捨てると、凌遅はソファベッドへ移動し、読書の続きに戻った。
不満ではあったが、彼の言葉は理に適っていたし、自分の甘さを再認識させられた気がして情けなくなった。
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