bias わたしが、カレを殺すまで。

帆足 じれ

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第8章

51 掃除屋 ② ⚠

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「つーか、遅いな、ベリトのヤツ。脚でも折られたか……?」

 野ウサギが周囲を窺いながら言う。
 ようやく落ち着きを取り戻しつつある心に最悪のイメージが浮かんだ時、後方から人の間を縫うようにしてベリトが姿を現した。

「いやー、早速ハプニングに見舞われちゃいましたねー。移動しましょう。事態はまだ進行中です」

 彼はそう言うと、歩くスピードを落とさず私達を先導する。

「何だよ、戦闘不能にしたんじゃないの?」

 小走りでフロアを移動しながら野ウサギが問う。ベリトは苦笑し、「一時的に退けるのが精一杯でした。僕の手には負えません」と返した。

「マジか……あんた、けっこういい武器、装備してなかった?」

 私の脳裏に、先ほどベリトが構えていた警棒状の道具が浮かぶ。彼は上着の上から、腰の後ろに帯びている装備──スタンバトンに触れながら述懐じゅっかいする。

「この手の道具って、使い手のフィジカルが物を言うんですよ。僕の身体能力は一般人と変わりませんが、殺しをビジネスにしている処刑人はやっぱり次元が違います。不意打ちや牽制ならある程度の効果も見込めますけど、相手が得物を持ってる場合、あんまり役に立ちません」

 つまりあの年配女性は、スタンバトンを所持した20代男性の攻撃を意に介さないレベルの戦闘力を有していると言うことか。

「あの年でその強さって……霊長類最強ババアかよ」

 野ウサギは忌々しげに舌打ちする。
 ベリトは、「処刑人の平均年齢が44歳っていうのはご存じですか? 実はベテランが多いんですよ。そして一部例外を除けば、年長者の方がスキルも高い傾向にあります」と言い添えた。

「どうせあたしの処刑方法は道具主体で、スキルとか関係ないけどさ」

 野ウサギが自嘲めいた口調で言った。

「それよりあたし、あんなバアサン、夜会で見かけたことないんだけど。例のオッサンよろしく、幽霊処刑人だったりすんの?」

「いえ。あの方は猫の爪キャッツポウさんと言って、れっきとした古参会員の一人です」

 ベリトが彼女に不似合いなやたらと可愛らしいHNハンドルネームを口にする。

「特殊な立ち位置にいる方なので、僕もお目にかかるのは初めてですけど、使っていた道具の形状からして間違いないでしょう」

「……てっきり、ジャニターだと思っていました」

 私がコメントすると、情報通の彼は「その通りです」と首肯しゅこうする。

「普段は裏方の仕事をされてるんですが、必要に応じて処刑も請け負うという変わり種でしてね」

「何でまた……処刑人に専念した方が楽だろうに」

 野ウサギの疑問はもっとももだ。ベリトは四方に目を配りながら説明する。

「あの通り、年配の方ですからね。ご多分に漏れずデジタルが苦手で、自分のチャンネルを運営したりするのは難しいようです。その代わり、普段はジャニターとしてお仕事をこなし、利用規約を無視した会員が出た時は、卓抜した殺しのスキルを活かして始末する“掃除屋デリーター”に早変わりするって話ですよ。ベルフェゴールさん直属のね。そのせいなんですかねー。時々、彼にとって都合の悪い会員が、何のとがもなく消されちゃうこともあるとかないとか……」

 一瞬の沈黙の後、野ウサギは鼻を鳴らした。

「なるほどね……あんたがその“ベルフェゴールさん”を嫌う理由、よくわかったわ」

 私もうなずいて同感の意を示す。

「あはは、理解者が増えて嬉しいです」

 ベリトは心底可笑しそうに破顔した。この人は一切の忖度そんたくなく、純粋に現状を愉しんでいるように見える。

 このままスクェア・エッダに留まり続けるのは危険だと判断した私達は、急いで車に戻ることにした。
 野ウサギの言葉を借りれば「今日はただのリハーサル」なので、危険を冒してまで長居する理由はない。あんなことがあったばかりで、また狙われるのではないかと思うと、吐き気を催すほどの不安に襲われる。
 とは言うものの、掃除屋もまさか人目のある場所で例の武器を振り回したりはしないだろう。
 待ち伏せされるとしたら駐車場か。死角が多いため、車に乗り込むまで気は抜けない。しかしこちらは一人ではないし、先ほどは不意打ちだったにもかかわらず何だかんだ回避できたので、そこさえ乗り切れればどうにかなりそうだ。そう考えると少しは気が楽になる。

 メインストリートの中央近くに来た時、不意に辺りが薄暗くなった。足を止めて確認するや、すべての照明が落ちている。吹き抜けや大型のパノラマウィンドウからの採光もあるため移動には困らないが、それまで流れていたBGMや環境音は止まっている。

 周囲の微かなざわめきの中、ほどなくして非常灯が灯り、構内放送が流れる。


「お客様にお知らせいたします。ただいま全館で停電が発生しました。非常用発電機で電力を供給しており、館内の照明は非常用照明のみとなります。暗くなっておりますので、ご注意ください」


 このタイミングで偶発的な停電が起こる確率は、いかほどだろうか。心臓が早鐘を打ち始める。

「わー、仕掛けてくる気満々ですねー!」

 ベリトの笑みを含んだ声とスタンバトンを抜く音が聞こえ、野ウサギは「この状況でワクワクすんなよ」と呆れながら私の背に手を添えた。

「僕が先導しますんで、お二方は後に続いてください」

 私はベリトと野ウサギに前後を挟まれるような形で、慎重に歩を進める。
 他の客達の動揺は少なく、各々ゆっくりと移動したり、連れと控えめな会話を交わしたり、ベンチに腰掛けてスマートフォンをいじったりしている。

我々はこの後、ほぼ確実に兇手きょうしゅの襲撃を受けるだろう。それがキャッツポウと呼ばれる件の掃除屋なのか、他の誰かなのか、個人なのか複数なのかさえ判然としない。
 一度疑い出すとすれ違う誰もが怪しく感じ、ベビーカーを押している女性ですら刺客に見えてくる。

 神経が過敏になり、かすかな物音にも胸が波打つ。前方の角からあの鉤爪が振り下ろされる情景が繰り返し浮かび、生きた空もない。

 落ち着け。

 私はポケットに手を入れ、護身具のキャップを外し、グリップを握り締めた。
 誰かが襲ってきたら、これを相手の顔に向けて親指でヘッドを押し、スプレーを吹きかける。動きを封じたら、とにかくその場から走って逃げる……頭の中で段取りを決めておかないと、体が動かないのはわかりきっているので、何度もイメージトレーニングを行う。
 そうしている間は恐怖に支配されなくて済むというのも大きかった。


 メインストリートをひたすら直進して駐車場を目指す。だいぶ進んだように思うが、一向に目的地までの距離が縮まった気がしない。広過ぎる館内が恨めしい。

「もうすぐですよ、次のエリアを抜ければゴールは目の前です」

 前方を行くベリトが肩越しに振り返る。その目が何かを捉え、急激に険しくなったのがわかった。

 何だ。何が来た……?

 彼は状況を確認しようとする私に、「ここは僕に任せて先に行け!」と言い放った。
 その後、くしゃりと破顔し、「これ、一度言ってみたかったんですよねー」と付け加えると、私の後ろに付いていた野ウサギに車のキーらしきものを預けて、来た道を猛然と引き返していった。

「やばいっ、急ぐよ!」

 何が何だかわからないまま、私はまた野ウサギに腕を掴まれ、一目散に駆け出す。

 折れた肋骨が、思い出したようにツキツキと痛み始めた。
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