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第6章
40 特異なポジション ③ ⚠
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私は冷め始めていた紅茶を一口飲み、凌遅に向き直る。
「……少し考え直してみたいので、あなたがうちに来ることになった経緯と、父が何を話していたかを、できるだけ詳しく教えてもらえませんか」
「やけに殊勝だな。君らしくもない」
凌遅は軽く鼻を鳴らすと、いつもの感情の乗らない声で話し始めた。
「君の父親から、自宅を使っての解体作業に関する相談を受けたのは、約1年前だ。娘が高校に入ったので良いタイミングだと言っていたよ。中学時代は厳しい状況に置かれていたようだが、進学してからだいぶ角が取れた。この分なら、自分が死んだとしてもきっと折れないだろう――」
私の動悸が速くなる。
「――むしろ最愛の母親をむざむざ死なせ、顔を合わせる度に暗くなるだけの忌々しい存在が片付いて、清々するかも知れない」
待ってくれ。何故、そうなるんだ。私は、そんなこと一度も……。
「部屋一面に広がった父親を見たら驚くだろうが、はっきりと死んだことが自覚できれば、娘が己の意思で立ち上がる良い契機となるだろう。自分はそれを切望している、と」
「……っ!」
めまいがした。父は、自分が私の足枷になるとでも思っていたのか。
人殺し。
5年前、私がそう責めたのをずっと苦にしていたのか。
違うんだよ、あれは。ただ、私はとても動揺していたんだ。
怖くて辛くて、どこかに感情をぶつけなければ、内側から壊れてしまいそうだった。
その矛先にいたのが、たまたま……。
その時、最悪の思考が頭をよぎった。ずっと考えないようにしてきたことだったが、唐突に思い知る。
父は、私との暮らしに絶望して死んだんだ。
私は膝を抱え、うずくまる。
無理だ、もう……。
心が軋む音が聞こえる。張り裂けそうだ……。
いっそ5年前に壊れていれば良かった。そうすれば、父はまだ生きていたかも知れない。それにヴィネも、私のために死ぬことはなかった。
「続けてもいいか、バーデン・バーデンの処女」
凌遅の声で、私は我に返る。そっと顔を上げると、彼はガラス玉のような目を瞬き、
「無理か。だったら、まずカップの中身を片付けな」
そう言って、席を立った。
心のこもっていないはずのその言葉が、ほんの少し優しく聞こえる。気が滅入っているとはいえ、絶対に殺してやろうと思っていた讐敵相手に情けない話だ。
私は再び自嘲し、カップに口を付けた。
冷めた紅茶は飲みやすかったが、あまり美味しくはなかった。でも、今はどんな小さな刺激でも傷ついてしまいそうだったので、却って丁度良かったかも知れない。
飲み終えたカップをキッチンに持って行くと、凌遅はダイニングで本を読んでいた。
「落ち着いたか」
好い声が問う。
私は黙ったまま彼の向かいに座り、切り出した。
「あなたが初めてうちに来た時のことを聞かせてください。漏らさず、全部……」
「…………」
彼は本を閉じ、こちらに向いた。
「到着したのは昼過ぎだ」
「……少し考え直してみたいので、あなたがうちに来ることになった経緯と、父が何を話していたかを、できるだけ詳しく教えてもらえませんか」
「やけに殊勝だな。君らしくもない」
凌遅は軽く鼻を鳴らすと、いつもの感情の乗らない声で話し始めた。
「君の父親から、自宅を使っての解体作業に関する相談を受けたのは、約1年前だ。娘が高校に入ったので良いタイミングだと言っていたよ。中学時代は厳しい状況に置かれていたようだが、進学してからだいぶ角が取れた。この分なら、自分が死んだとしてもきっと折れないだろう――」
私の動悸が速くなる。
「――むしろ最愛の母親をむざむざ死なせ、顔を合わせる度に暗くなるだけの忌々しい存在が片付いて、清々するかも知れない」
待ってくれ。何故、そうなるんだ。私は、そんなこと一度も……。
「部屋一面に広がった父親を見たら驚くだろうが、はっきりと死んだことが自覚できれば、娘が己の意思で立ち上がる良い契機となるだろう。自分はそれを切望している、と」
「……っ!」
めまいがした。父は、自分が私の足枷になるとでも思っていたのか。
人殺し。
5年前、私がそう責めたのをずっと苦にしていたのか。
違うんだよ、あれは。ただ、私はとても動揺していたんだ。
怖くて辛くて、どこかに感情をぶつけなければ、内側から壊れてしまいそうだった。
その矛先にいたのが、たまたま……。
その時、最悪の思考が頭をよぎった。ずっと考えないようにしてきたことだったが、唐突に思い知る。
父は、私との暮らしに絶望して死んだんだ。
私は膝を抱え、うずくまる。
無理だ、もう……。
心が軋む音が聞こえる。張り裂けそうだ……。
いっそ5年前に壊れていれば良かった。そうすれば、父はまだ生きていたかも知れない。それにヴィネも、私のために死ぬことはなかった。
「続けてもいいか、バーデン・バーデンの処女」
凌遅の声で、私は我に返る。そっと顔を上げると、彼はガラス玉のような目を瞬き、
「無理か。だったら、まずカップの中身を片付けな」
そう言って、席を立った。
心のこもっていないはずのその言葉が、ほんの少し優しく聞こえる。気が滅入っているとはいえ、絶対に殺してやろうと思っていた讐敵相手に情けない話だ。
私は再び自嘲し、カップに口を付けた。
冷めた紅茶は飲みやすかったが、あまり美味しくはなかった。でも、今はどんな小さな刺激でも傷ついてしまいそうだったので、却って丁度良かったかも知れない。
飲み終えたカップをキッチンに持って行くと、凌遅はダイニングで本を読んでいた。
「落ち着いたか」
好い声が問う。
私は黙ったまま彼の向かいに座り、切り出した。
「あなたが初めてうちに来た時のことを聞かせてください。漏らさず、全部……」
「…………」
彼は本を閉じ、こちらに向いた。
「到着したのは昼過ぎだ」
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