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第6章

38 特異なポジション ① ⚠

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 どれほど時間が経っただろう。はっと我に返った時、辺りは静まり返り、私は薄暗い廊下で一人、座り込んでいた。

 部屋へ戻ると、凌遅はパソコンの前で黙々と作業をしていた。彼は目の端で私の姿を捉えると、「終わったよ」とだけ口にした。
 それが何を意味するのか理解した時、私はさほど動揺しなかった。
 黙ってヴィネに渡された荷物の元へ行き、袋の中を探ると、私の着替えやクラッチバッグの他にクエマドロから贈られていた彼女のお菓子まで出てきた。引き渡しのどさくさで紛れ込んだのだろう。

 バッグを開けて自分の携帯端末を取り出し、それを持って部屋の隅に移動する。
 ベッドの前に座り、端末を起動すると、ロック画面にはいくつかの通知が表示されていた。ヴィネとクエマドロからだ。夜会の時に作ったグループの通知とメッセージに違いない。

 私はそれを無視してLR×Dの会員ページを開く。先ほどのチャンネルを探して飛ぶと、件の動画のアーカイブがあった。

 サムネイルを見た時点で、何が起こったのかすぐに知れた。
 異様に四肢の伸びた、まだら模様の人体が映っている。台に固定され、引き伸ばされたことにより、各部の関節が外れたのだろう。バランスに違和感を覚えるほどの伸長で、本来の長さより2、30センチは伸びていると思しい。皮膚にはおびただしい焼印の痕が散っていた。
 だらりと垂れ下がった首にも同様の跡が見られる。その首にかかるミルクティーカラーの髪と花のピアスが、否応なしに残酷な事実を突き付けてくる。

 これ以上見てはいけないとわかっているのに、再生をタップするのをやめられなかった。

「いぎゃあぁあああああ……!」

 悲痛な叫び声から動画は始まった。この時点で彼女の手足は歪に変形していて、体幹にはいくつもの火傷の痕が刻まれている。
 手足を引き伸ばすのは序の口で、それに上乗せした苦しみを与えるのが彼――ラックのやり方なのだろう。

「理想的な反応をありがとうございます」

 ひきつれのある顔面に無機質な笑顔を湛えた彼は、丁寧な素振りでヴィネの肌にスマイリーフェイスの焼印を押し当てていく。白い煙が立つ度に、彼女は身を捩りながら悲鳴を上げていた。
 皮膚を焼かれる痛みだけでなく、逃れようと体を動かすことでまた別の苦痛に苛まれる。
 衆目の中、全裸にされ、じわじわと体を作り変えられ……彼女は肉体だけでなく女性としての尊厳まで蹂躙されていた。

 地獄だ。一体、ヴィネが何をしたというのか。多方面で重宝がられ、LR×Dに尽力し続けていたはずの彼女が何故こんな目に遭わねばならないのか、私には理解できない。

 視聴に耐えかね、途中で何度かスキップしたが、虐待は30分ほど続いた。
 終盤になると、ヴィネの白い肌は焼印で覆い尽くされ、グロテスクな前衛彫刻のように変貌してしまっていた。

 BGMがクラシックに変わる。捻りも何もない、ショパンの別れの曲だ。その選曲に、血が沸騰しそうになる。

 小刻みに震える視界の中で、ラックはおもむろにヴィネに近寄り、何事か耳打ちした。
 すると彼女はわずかに目を見開き、ぼろぼろと大粒の涙を零した。

 何だ。あいつは今、何を言った……? 

 こちらが状況を把握する間もなく、事は動く。

「お疲れ様でした。いよいよフィナーレです。最後に一言、頂戴できますか?」

 ラックがヴィネの口元に顔を寄せるが、ヴィネは顔を歪ませ嗚咽し続けている。あまりの痛々しさに画面を直視できない。

「もしもし? 最後ですよ、お嬢さん。言い残したいこと、ございませんか?」

「……っ!」

 私は右手の甲を唇に押し付け、激情を抑え込みながら必死で動向を見守る。

 ヴィネは光の消えかけた目線を上げると、ようやく聞き取れる声で言った。

「……デン、たん……逃げ、てぇ……」

「どなたかへのメッセージでしょうか。伝わっていると良いですねえ。では、仕上げに移りましょう」

 次の瞬間、ヴィネの首に掛けられていたロープがゆっくりと上に引かれ、彼女は1分ほどひどく苦しみ抜いて絶命した。
 観客は沸き立ち、スーベニアを求めるコメントが次々と寄せられていく。真っ赤に充血した眼球、ピアスの付いた耳朶みみたぶとリストカットの痕がある左手首、猫のリングの嵌まった右手薬指、スマイリーフェイスで埋め尽くされた乳房を希望する声が多かった。

 私はしばらくの間、放心していた。何かを考えられる状態ではなかった。

 凌遅はこちらを一顧だにせず、作業に没頭し続けていた。
 彼が冷淡でよかった。今、下手に慰めの言葉をかけられたら、私はきっとどうにかなってしまったろう。そうなれば本懐を遂げるどころか、二度と立ち上がれなくなってしまう。


 1時間ほど経ち、作業を終えた凌遅が私の前に歩いてきた。手には見覚えのある紙袋が携えられている。彼は紙袋を私の足元に置くと、キッチンへ向かった。

 私はぼんやりとそれを眺める。「souvenirsスヴニール de familleファミーユ」という文字の下に、4匹のテディベアの家族らしき姿が描かれている。いかにも可愛らしいものを愛するヴィネの好みそうなパッケージだ。

 家族、か。何と縁遠い言葉だろう。
 物心がついた頃には、祖父母のうち3人はこの世にいなかった。唯一存命だった母方の祖母も、6年前に病気で他界している。

 そしてついには父も母も、友人のように思っていたヴィネも……私が大切だと思っている人は皆、私を置いて逝ってしまう。

 こうしてみると、私にはひたすら対人運がないらしい。
 あるのは多少の悪運と、クズを惹き付けるろくでもない性質のみか。

「……ふっ」

 こんな時だと言うのに、何故か笑いが込み上げる。私は己の感情がよくわからなくなっていた。


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